2005回顧

ジョアン・セーザル・モンテイロの『行ったり来たり』は、死期を悟った男が映画を撮ること、公開時に自分は既にこの世にいないことを知っている男が「やれることをすべてやってしまうこと」と他者にとってそれでもなおこれが「映画たりうること」との間で揺れ動きながら撮られたことを窺わせる感動的なドキュメンタリーである。そのときモンテイロは、「あと10年たったら思いきったことをやれるかもしれません」と語っていたゴダール(もっともそれから10年以上が経っている)(1)より確実に優位にいただろう。この遺作にはブッシュの肖像の下に置かれた巨大な張り型のように、いつものモンテイロだったらそこまではと思われるやりすぎな細部といつものモンテイロの厳格な固定画面の長回しと女たちとの艶かしい対話(未完の企画だったサドの『閨房哲学』の反映だろう)が危うく同居している。

この映画に漂う無上の自由感は、自分自身を生前に埋葬するというフィクション映画へのささやかな抵抗の儀式の後での、スクリーンの向こうから観客を見つめる瞳を写し出す唐突なラスト(これまた死者による生者への抵抗である)のような、文字にすれば誰でも思いつきそうな個々のアイディアに由来するわけではない。モンテイロ自身大好きだと語っているウッチェロの「サン・ロマーノの戦い」を思わせる厳格なコンポジションが人物の動きをも容易に包括し見るものに快楽を賞味させながらいつまでも続けられるほどの卓越した才能を示す一方(現在の日本の殆どの作家が用いる固定画面が退屈きわまりないのはこの距離感が近すぎるか遠すぎるかのどちらかだからである)、死に瀕してなおその才能のすべてを危機に陥らせる振舞いを演出することができたことに由来するのである。モンテイロはヴィスコンティとは違い、彼を絶賛した晩年のカルメロ・ベーネに似て「芸術貴族的」であり、それゆえに自由なのだ。

この映画のいつ果てるともない対話シーンは必然的にキャメラの前の「上演」となる(既に前作『白雪姫』がサウンド上の上演の映画だった)。1950年代の終わりから1960年代半ばにかけて、ドライヤーやフォードの晩年に提出された「上演の映画」がオリヴェイラやストローブ=ユイレやリヴェットらに受け継がれ、同時にテレビが現れ始め、動く映像と音がそれまで閉じ込められていた映画館を飛び出して、それが虚構なのか現実なのかという問題が世界を覆い始めた時期にあたる。 2005年に最も流行したとされる言葉が「小泉劇場」であったように、それはまさに現在の問題なのである。 映画がメディアとエンターテインメントの担い手たる役割をテレビへと譲り渡したとき、「最も偉大な情報批判は映画から生まれた」(2)。

例えばエリック・ロメールは『グレースと公爵』公開時に「フランス革命に参加した民衆は操作されていた」と断言しその保守性を非難されていたが、2005年にフランスで起こった若者の暴動と、そのイメージとメディアを利用して民衆の支持率を稼いだ政府の行動を予告することになった。その意味で「右翼として」ロメールは批判者たちよりも遥かに冴えていたと言える。若いフランス映画が退屈なのはこうした側面が欠けているからである。「いつもよりラング的だった」(3)というロメールが『死刑執行人もまた死す』を援用しているのは明らかだ(グレースが逃亡者を寝室に匿うシーンは『死刑執行人・・・』のアンナ・リーが同様にしてレジスタンスを匿うシーンを思わせる)。

ここでストローブの「最もブレヒト的な映画作家はラングではない、フォードだ。映画的空間においてラングの映画は-私にとって-ブレヒト的弁証法以前の段階の抽象である」(4)という言葉を念頭に置き、「ブレヒトはラングが観客の反応を気にすることに苛立った」(フリッツ・ラング/ピーター・ボグダノヴィッチ「映画監督に著作権はない」井上正昭訳、筑摩書房)という話を「ラングは映画というメディアを操って(ゲッペルスはその能力を買っていた)普及させようとし、ブレヒトは教育しようとした」からだと解釈してみると、古典映画が普及を目的とするなら現代映画は教育(すでに普及した映像の分析/注釈)のスタンスをとることで古典映画による「操作する/される」という閉じた回路から我々を解放すると言えるだろう。年々増え続ける回顧上映によって古典映画にのみ人々が特化しそこにとどまろうとするなら、現代映画を無視することで過去に犯された過ちを知らずに繰り返す危険性があると言えるだろう。すぐれた現代映画は、偉大な古典映画がメディアの王者だった時代に戦争に加担した罪を償うのである。

ただし我々は古典時代に生きた人々の作品にも現代的な批評性を見てとることはできる。例えば『映画監督 中川信夫』(滝沢一、山根貞男編、リブロポート)に収められたテクストを読むと中川信夫は日本の無声映画にとって最良の批評家であったことがわかるが、それだけでなく後に撮られた彼の時代劇は、敬愛する山上伊太郎=マキノ正博の映画への最良の批評だったということが察せられる。『影法師捕物帖』には老中田沼意次一味が城の部屋で悪だくみの相談をしているところでキャメラが後退移動するといきなりそこに影法師(嵐寛寿郎)が突っ立っているシーンがあり、『亡霊怪猫屋敷』の真っ暗な病院の廊下で何事もないように勤務している看護婦たちの光景を見る時と同様に観客を大笑いさせるが、それはちょうどハリウッド映画に対するメキシコ時代のブニュエルのように、観客に距離を取らせつつ楽しませ、映画が当時いったい何に従っていたのかを知るよう誘う。さらにそれは、バグダッドでフセイン像を引き倒す人々が現実には大して集まっていなかったことを示す遠景のように、今も昔も情報操作というものがいかにフレームの中と外で成立しているかということをあからさまに教えてくれるのである。

(1)ゴダール全評論・全発言。 奥村昭夫訳、筑摩書房、p383

(2)ジル・ドゥルーズ、「記号と事件-1972〜1990年の対話」宮林 寛訳 河出書房新社

(3)「もっともっと激しい映画にすることもできた 」彦江智弘訳、ユリイカ2002年11月号 青土社

(4)http://www.torinofilmfest.org/db_view.php?ID=71&lang=eng&cat=8

(2006.1.9)

©Akasaka Daisuke

index