『あじまぁのウタ』

『ボウリング・フォー・コロンバイン』のヒットと注目が教えてくれるのは、現在の日本の人々の多くが「ドキュメンタリー」という言葉から情報ワイドショー番組に近いものをイメージしているという悲しい事実だろう。しかしWTCビルという象徴を狙って飛行機を突入させるのと似たような発想でライフル協会の象徴だったヘストン宅に突撃するという閉鎖的な思考回路を皆絶賛しているのはかなり不思議ではないだろうか?イラク戦争時の報道機関が使っていた情報操作とさして違わない、作者の見た目からこそいかにも「真実が語られうる」という手法をとっているこの映画の話法を分析してみるのは「情報操作の手法分析」としてメディアリテラシーの授業では有効ではあるが・・・映画としてはちと古くさい。ちなみに現在の情報操作とは、映画雑誌がアメリカ映画しかこの世にないかのごとくとりあげるように「ある短期間市場そのものを占領してしまい、その後はきれいさっぱり忘れてしまう」のをバカみたいに繰り返すというものだ。だがナチス・ドイツ台頭前に「特性のない男」のムージルが「娯楽は強制の一部として成立する」と書いていたような、選択意欲を失わせるこれまた時代遅れの手法が今の不況に有効と思っている人なんているのか?・・・。

ところでドキュメンタリー映画が情報以上のものを伝えうるとするなら、それはいったいどんなときなのか?例えば青山真治『あじまぁのウタ』を、りんけんバンドのMTVとして見ることは可能だ。だがこのバンドのライヴと上原知子と照屋林賢の会話とレコーディングという極めてシンプルな構成で成り立つ小品には、情報以上の何かを見せようとする映画の意志を見てとることができるのだ。例えば暗がりで曲の出を待つ上原知子の顔に暖かい光が注がれ、メロディが流れてくる一瞬。それはいわゆるプロモーションビデオが常にとらえ損ねている重要な瞬間だ。待つ姿勢から歌いださんとするごく短い時間に、何が起こっているのか?おそらくとらえられている本人も正確にはわかっていないはずの、ドラマティックな変貌。歌が始まり、終わり、そしてまたはじまるまでの時。

その「天上の」歌声を出すためには途中で水を飲むことさえ危険な行為なのだ、と上原はレコーディングの際に語る。照屋との和気あいあいのやりとりから、「歌う」という冒険に向かうまでの一連の彼女の変化をとらえること。青山真治はそのごく短い時間をカットせずにおくことこそかろうじて映画ができるサムシングだ、と心得ているようだ。

例えばゴダールの『ワン・プラス・ワン』は「悪魔を哀れむ歌」の「演奏を始めるときとやめるとき」が真に重要だということを示し得た偉大なドキュメンタリー映画だった。それはちょうどユーロスペースで再公開されるストローブ=ユイレの『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』が曲の構造を演奏者とカメラの精密な位置によって視覚化するという対極にある。その姿勢は後のMTVや音楽ドキュメンタリー映画では決して受け継がれることがなかったが、マノエル・デ・オリヴェイラが『クレーヴの奥方』『家路』で描いた出待ちの楽屋の光景は、そこにアーティストがとらえられたことがなかった姿をつけ加えたと言えるかもしれない。

受け継がれることがなかった伝統に背を向けてうんざりする代物を作ることはないだろ?青山は限界のある作業の中にあってささやかに、例えば上原知子のメークアップを撮るときに、そうつぶやいているように思える。あるいは上原と照屋が出会いを回想し、曲作りと互いの苦労を笑いあう楽しげな会話をじっと撮っているときにも。あるいはレコーディングの演奏で最後の一音をしくじったように見えたときの照れ笑いにも。それこそ大半の人がゴミ箱に捨て去ってしまった貴重な時間なのだ。青山はここで、ただ「残しておくことが映画にできること」だと示している。

そしてこの『あじまぁのウタ』はアーティストについての映画であると同時に、カップルの映画でもある。会話のシーンにおいてもっぱら写っているのが上原知子の顔なのは、そこに照屋林賢への、絶えず愛情のこもった朗らかな笑いという反映に気づくなら、青山真治が「カップルの映画であることを示すためには、ひとりの顔を示せばよいのだ」と言っていることに思いいたることだろう。

(初出ラティーナ2003年7月号)


©Akasaka Daisuke

texts/archives