アルゼンチン映画の秘宮vol.1 イントロダクション

ご来場いただきましてありがとうございます。前の回御覧になった方もいらっしゃいますし次の回御覧になる方もおられるのでどこまでしゃべっていいのかというのは少し困ってしまうところですが、このNew Century New Cinema presents でアルゼンチン映画紹介の企画第一回目を迎えることができました。で、このアルゼンチン映画ですね、私自身が果たして紹介をやっていいものかどうか長い間考えていた企画なんですが、どのくらい前に構想された企画かと言いますと、1999年、2000年あたりからでして、ちょうど13~14年経つわけなんですね。何故かというと当時1990年代後半アルゼンチン映画の新しい波というのが国際的に話題になっていた時代で、パブロ・トラペロの『Mundo Grua』とかマルティン・レイトマンとかが活動し始めた時期ですが、日本では映画よりデフォルトとか国家破綻の危機の方が大きく報道されていたんですね。その後たぶんNHKだったかサンダンスの企画だったと思うんですが、そこで紹介されたルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』、これは面白い映画で、ちょっと前にも見直したんですが、彼女が若手作家の中でも最も注目されていたんですね。そのあたりからアルゼンチンの新しい映画を特集したら面白いんじゃないかと言い始めたんですが、私自身は考えはしてもぶっちゃけスペイン語は専門ではないので、どうしてもそちらは他の人か配給会社がやったらいいのではと思っていました。本気で自分が何かをしようとは考えていなかったんです。そうこうするうちに誰もやらずに10年以上の月日が過ぎてしまいましたが、その間自分では行動に移しませんでしたがアルゼンチン映画のことは追ってはいた、でも具体的にコネクションがなかったんです。

きっかけになったのは昨年日仏学院のほうでラウル・ルイス追悼特集がありまして、講演をやらせてもらった時に、ラウル・ルイスはチリ時代とヨーロッパで作った作品がありますけど、彼は映画を撮る前にアルゼンチンに行って勉強した時期が、一年ほどですが、あったんですね。なぜかな、と思って調べてみると、当時1960年代のアルゼンチン映画、新しいラテンアメリカ映画の波として国際映画祭で紹介されていたんですが、ブラジル、キューバ、チリなど非常に話題になっていたんですね。それとこれも昨年、偶然これも私がアテネ・フランセでしゃべらせてもらったんですが、グラウベル・ローシャ、この人もシネマ・ノーヴォとして当時大きく取り上げられていました。で、ラウル・ルイスの当時のインタビューを読みますと、アルゼンチン映画はラテンアメリカの中でちょっと別格というか、産業として他のラテンアメリカ諸国に輸出していたわけでして、他の国は産業として成立してなかったんですね。ラテンアメリカの国としてはアルゼンチンとメキシコがプログラムピクチャーとして毎週とか毎月映画館に作品をかけられる産業として成立していたんです。で,その中から出てきた新しい映画というところで洗練していた、と言ってたんです。当時のアルゼンチン映画のプログラムピクチャーの例を後で御覧いただくんですが、ここはもちろんサイレント時代からフィルムノワールやメロドラマ、コメディーや音楽映画も作ってましたが、ハリウッドに学んで産業を立ち上げたのは他の国と同じだけれど、面白いのはハリウッドの優れた撮影監督でその後アンソニー・マンのフィルムノワールなんかで有名になるジョン・アルトンという人を招いて、彼がスタジオを作るのに貢献したんですね。それに人をやってこれも『市民ケーン』等の撮影で有名なグレッグ・トーランドの助手として学ばせたりしたんです。そういった人たちの仕事をこのシリーズで上映したいと思っているんですが、今日のマヌエル・アンティンの『キルケ』にもそういった撮影の伝統が反映していると思うんです。

例えばヒューゴ・フレゴネーズ、アルゼンチンだとウーゴ・フレゴネーズの英語題名『Hardly a criminal』本国だと『Apenas un delicuente』という映画ですが、かなり派手な銃撃戦とカーチェイスがあるんです。フレゴネーズは面白い人で、一度宣伝の人としてハリウッドで働いて、その後母国に帰国して映画を撮ってこれをメジャー会社に売りつけてそこからハリウッドでゲーリー・クーパーやバーバラ・スタンウィックの出た『吹き荒ぶ風』なんかを撮っていくわけです。アルゼンチンからハリウッドに輸出された監督として非常に有名なんですね。この人は1950年代の人ですが,その後の世代でレオポルド=トーレ・ニルソンなんかが出てきて、この人は日本でも『天使の家』が公開されていますけど、それより前に作家のホルヘ・ルイス・ボルヘスが脚本に加わったノワール『Dias de Odio』なんかがあって、ぜひ上映したいと思ってますし、その他ウーゴ・デル・カリルとか、この人は俳優から監督になった人でやはり面白い人で、この人もフィルムノワールやメロドラマで活躍しています。彼らは撮影所の職人的な監督として活躍していたんですが、1960年代に入りますと、政情が不安定になってきます。当時の大統領フアン・ペロン、日本ではエビータの夫として有名ですが、彼が1955年に亡命してその後軍部がクーデターで政権を握り、そのあたりからペロニスタとの間で争いになってくる。映画のほうは面白いことに、逆に新しい世代の監督が出てきます。それが今日御覧になったマヌエル・アンティンやデヴィッド・コーンなどでして、もともと撮影所に入りたかったわけではなく作家やアーティストを目指していて映画産業に参入してきたということですが、似たようなケースは日本の場合にもあったわけで、1960年代は多様な作風が生まれてくることになります。

で、今日見ていただいたマヌエル・アンティンの『キルケ』これはアンティン監督の3作目で、彼は作家のフリオ・コルタサルの小説を3本映画化しています。この『キルケ』は脚本にも加わっていて、あとは原作の映画になるんですが、コルタサルは後年ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』の下敷きになった小説を書いたということで国際的に有名になりますが、実はその前に結構映画に関わっていたりします。コルタサルが関わったこのアンティン監督の映画で特徴的なのは、まあこの後御覧になる方もいるのであまり詳しく言えないのですが、「時間を消す」ということなんですね。この映画で言うと一人の女vs三人の男なんですが、実際はそのうち二人の男は死んでいるということで、その二人と新たに加わる男の間の時間を消す,消去する、ということなんです。この「時間を消す」というのは1960年代〜1970年代に多くの国の映画作家たちが試みてきた主題なんですね。典型的なのはレネ〜ロブ=グリエがやった『去年マリエンバートで』ですが、あれは会ったか会わなかったか、どちらにしてもそれ自体いつでもない固有の時間を作るということでしたが、アンティンがやったのは後年ベルトルッチが1970年の『暗殺のオペラ』でやった父と子の間の時間を消すということに近いんですね。ご存知の通り、これはボルヘスの「裏切り者と英雄のテーマ」を下敷きにしています。それに『ラストタンゴ・イン・パリ』でもアパルトマンで過ごす時間の感覚を消すということをやっています。ですからベルトルッチが後年派手なカラーでやったことを1960年代初頭のアルゼンチンですでにやっていた人がいる、とも言えます。面白いことに、ロブ=グリエは文学ではフランスヌーヴォーロマンの旗手で『マリエンバート』の後で自分でも『不滅の女』『嘘をつく男』(これも「裏切り者と英雄のテーマ」が下敷き)を撮るんですが、彼もミニュイ社に勤めていた時期ラテンアメリカ文学のフランスへの紹介者で、ビオイ=カサーレスの「モレルの発明」を紹介していて、そこでよく言われるのは「マリエンバート」という名が出てくるのでこの小説の影響を受けたのではないかということです。本人は否定してますが。で、それを質問した人というのがジャック・リヴェットで、彼はその後『セリーヌとジュリーは船で行く』を撮った時「モレルの発明」に影響されたと言ってますし、『暗殺のオペラ』やリヴェットの脚本に加わってるエドワルド・デ・グレゴリオはブエノスアイレスからパリにやって来た人で、ラテンアメリカ文学のエッセンスをフランスに伝えたのではないかということがあります。60年代のブエノスアイレスとパリの間での人的交流と言うよりは思考的な交流があったという感じなんですね。

一方アンティンのほうも当時アルゼンチンでレネの影響ではないかと非難されたそうですが否定しています。でもコルタサルはパリに住んでいたのでそれがあったかどうかは定かでないのですが。ただ1960年代の映画は時間を消すとかどこでもない空間を作るというような潮流が間違いなくあったわけでして、その中でアンティンの映画、来月上映する『敬われるべき全ての人々』も見直してみるのが面白いのではないかと思います。もう一つ、1980年代に日本公開されたウーゴ・サンチャゴ監督でボルヘスやビオイ・カサーレスが脚本に加わったとされる『はみだした男』というのがありましたが、その前に彼らが撮った『侵入』という映画を見ますと、これもまた銃撃戦をやってるんですが(笑)これと同世代の1960年代後半の最も重要な作品と言われているアルベルト・フィスチェルマンの『プレイヤーズvs堕ちた天使たち』が今の世代に見直されていて非常に面白いんですね。サンチャゴの映画の方は有名文学者たちが加わっているけれどむしろジャン=ピエール・メルヴィルの映画に近いようなフィルムノワールで、片方は抜粋で見ると「なんのこっちゃい」という感じなんですが(笑)これも上映できそうなんでその時見てもらうのが一番いいのですが、簡単に言いますとある劇場から始まって劇団員たちが芝居を演じていくんですが、ある種のカタログみたいな、一見全然関係ないようなドラマのシーンが、コメディとかミュージカルとかメロドラマとかがランダムにつなげられていきます。同じ俳優たちが演じているシーンが、フリージャズとかポップスとかプログレとかが彩っていくかなりグダグダな映画なんですけど(笑)これはフィスチェルマンの第一作なんですが、国内で劇場公開されませんでした。でフィスチェルマンは何作か撮っているんですが結局CM業界の人になってしまいます。で、このときのスタッフであるカルロス・ソリンとかラファエル・フィリペッリといった人たちが次の世代を担う作家として育っていくわけです。この映画自体は非常に自由でグチャグチャな語り口で映画としてどうなんだと言うところもありますが(笑)今になって歴史的に見てみると非常に面白いんですね。それと今言ったラファエル・フィリペッリという人は国立映画大学の教授になってトラペロやマルテル、あるいはリサンドロ・アロンソのような若手を育てて今や影のゴッドファーザー的存在として有名なんですが、彼の非常に面白い映画『不在』を見ると、彼も軍事政権の弾圧を受けてアメリカに亡命していた人で、帰国して1987年に製作したんですが、まず女性監督がカメラに向かって台本を読むところから始まって、彼女が撮影する映画のワンシーンとしてある活動家の死を語るんですが、それは活動家の友人がカメラに向かって語る証言の映画化として語っていく、という二重のフィクションとしての仕掛けが施されています。それは彼が亡命した軍事政権下では映像と音がコントロールされていて、帰国後そうしたメディアの状況を意識して作られていた、真実がメディアを介して隠蔽されたり操作されていることもあるんだよ、ということを観客に意識させるような作りになっています。昨日実は彼の近作『四つの注釈』を初めて見たんですが、それはピアソラとも組んだことのある作曲家・ピアニストの故ヘラルド・ガンディーニがシューマンにインスパイアされたオペラを本番とリハーサルと注釈を加える人物や無人の空間をコラージュしながらオペラの時間に合わせて再構成するという非常に面白い作品で、ぜひ御覧いただきたいと思っています。

さて今までいろいろ言って来ましたが、アルゼンチン映画で映画祭やアカデミーなんかで賞を取って紹介された映画以外にも、このようにアンダーグラウンド的というか観客より作り手や批評家やメディアを考える人たちに非常にインパクトを与えた作品というのが数多くあるんですね。このシリーズではそれをちょっとでもお見せできれば、と思っています。それは『キルケ』のくだりでも言いましたが、アルゼンチンだけでなく国際的にオーディオヴィジュアルを考える上で現在重要な作品群なんですね。それとラファエル・フィリペッリは「現代映画;小津からゴダールへ」という著作がありますので、日本でもうちょっと注目されていいんじゃないかと思います。まあここに来られて「なんじゃこりゃ」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、できればその「なんじゃこりゃ」的なものを念頭に置いてこのシリーズを御覧になってくれれば、と思っています。

(2013年5月25日 アップリンク・ファクトリーで行ったレクチャーを加筆訂正した。マヌエル・アンティン氏、ラファエル・フィリペッリ氏、ブエノスアイレス国立映画大学、在日アルゼンチン大使館、アテネ・フランセ文化センター、UPLINKの皆様に感謝いたします)


©Akasaka Daisuke

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