特集アルゼンチン映画の秘宮 リサンドロ・アロンソの2本

本日は大雪の中こんなに沢山の方がご来場いただき本当にありがとうございます。ちょっとこの日にたまたま大雪が降ってしまったということで・・・皆様たいへんな御努力でここまでいらっしゃったと思います。ありがとうございます。それと今回のリサンドロ・アロンソの作品上映に尽力いただきましたアルゼンチン大使館の皆様、それとこの場を提供いただきましたアテネ・フランセ文化センターとアップリンクの皆様にも御礼申し上げます。今回アルゼンチン映画の秘宮特集ということで、今まで上映された作品をまとめて上映できることになりました。今までいらっしゃった皆様も再度御覧戴ける機会をもうけましたので、ぜひ明日以降の上映も御覧になって下さい。今回リサンドロ・アロンソ作品を2作品『死者たち』Los Muertos (2003)『リヴァプール』Liverpool (2008) と御覧いただくんですが、これも実は上映許可していただけるとは思っていなかったんです。すでに彼を知っていらっしゃる方もおられると思いますが、リサンドロ・アロンソ監督は国際的にはアルゼンチンを代表する若手監督の一人と言われています。すでにフランスやアメリカで回顧展が行われていますし、カンヌやいろいろの映画祭で上映されたりしています。現在俳優ヴィゴ・モーテンセンとともに新作を撮っています。タイトルが不明になっていますが、今年新作として日本上映されるかも不明なので、これも紹介されるかわからないし、旧作も今後上映されるかわからないので、今回許可していただけたのでラッキーだったとは思いますが、本当でしたら最初に作った映画『自由』 La libertad (2001) と『ファンタズマ』Fantasma (2006) も上映したかったところなんですね。想像していただけるかどうかと思うんですが、アロンソ監督は非常にシンプルな映画を撮る人で、今見ていただいた『死者たち』もそうです。刑務所から出所した男が家に帰るという、ストーリーが一言で語れてしまうような作品です。この後の『リヴァプール』というのも、船乗りが何処かに行く、という・・・これから御覧になるので深く説明できませんけれど、こちらも一言で言える作品です。この前に撮った『自由』という作品もまた一言で言えるものでして、木こりの若者の一日を撮った、という映画です。つまり一日の時間をどうやって70分にするか、という作品です。ですから通常ドキュメンタリーでもフィクションでもいいんですが、何がどんな理由で起こるかや誰が何をするのかのような文字情報が重要視されるのですが、アロンソの映画は何をどのようにするか、つまりHOWですね、どういうふうに、が大事になってくるような作家です。

『自由』というのはアロンソが映画学校を卒業して、父親の買った田舎の土地に行ったところ、たまたま出会った木こりの若い男がいて、彼の一日を撮ったら面白いんじゃないかと考えて頼んだら、「お金をくれるならいいよ」と引き受けてくれたので撮ったという映画です。これが第一作目で、これが映画祭等で評価されて、それまでは映画作家なんてなろうと思っていなかったのが、それで急に道が開けてしまった、とインタビューで言っています。で、その後もうちょっと普通っぽい映画を作ってみよう、ということでこの『死者たち』というのを作ることになったらしいんですが、その『死者たち』を作る時に普通っぽい映画というのは何かと考えてみると、劇映画だったらストーリーを考えよう、と。それで「刑務所から出て故郷に帰る男の話」というのを考えて、これに見合ったような人物を見つけようとあれこれ探しまわったらしいんですが、結局この主演しているアルヘンティーナ・バルガスという人はその主演俳優探しをやっているときのガイドだったんですね。こういう人がいないかというのを紹介する人で、結局見つからなくて、こういう映画なんだけど出てくれないか、と言ったら「カネくれるならいいよ」と答えて出ることになったということらしいんです。で、出来上がってカンヌ映画祭等で上映されて評価されて、アロンソ自身が言うには「この映画はアルゼンチンだと単館ロードショーで3500人しか来なかったけど、フランスでは16館で上映されてもっといっぱい人が来た」と。で3作目は『ファンタズマ』(幻想)という映画で、この主演しているバルガスが自分の出ている映画を映画館に見に行く、という話です。自分の映画というのはこの『死者たち』なんですけど、その他になぜかこの映画館の空間にいろんな人がいる、というのが面白いんじゃないかということでできたのがその『ファンタズマ』です。これは本人が言うには、その前にたまたま見ていたツァイ・ミンリャンの『楽日』という映画がありまして、これはご存知のように台湾のある大きな映画館が『残酷ドラゴン 血斗!竜門の宿』を上映して終る一日を描いた映画ですが、これで別の映画が作れないだろうかと考えて作った映画だ、と。やはり同じように映画館を描いているわけです。で、その後に続いて今日御覧戴くのが『リヴァプール』。『死者たち』でアマゾンの方に行く話を撮ったので、今度は雪山に行く話を撮ろうと思った、と。このように彼の映画の源は単純な一つのアイディアのストーリーが多いんです。それをどういうふうに撮るかがメインになる、と言いましたけど、それはどのように画面を作るか、どのように編集するか、どのようにシーンを組み立てるかということになっていくんですが、その一日なり旅する長時間なりをどのように70分から80分の上映時間に組み立てるのか、ということだと思うんですね。実は彼の映画の本当のテーマというのは時間をどういうふうに組み立てるのか,だということがわかってきます。

最初の映画は・・・まあ今回上映できませんでしたからこれを取り上げるのはよくないかと思うんですが、この『自由』はこの木こりの若者の一日の仕事とメシ食ったり休んだり昼寝したりとそんな一日を撮っていくんですが、見てない人にこれを説明するとなると非常に難しいことになる、とわかります。例えば「どんな映画なのか」と聞かれて「う〜ん20分くらいずっと木を切ってるところしかない」と答えるしかないんですね。実際そう言う描写しかない、切るべき木を探して切って運んで、ということの合間にトイレに行ったりメシ食ったり、そんなことしかない。普通に仕事をしている人がやってることをしてるだけです。ただそれをどう組み立てるか、ということを考えると面白くなるんです。一つの職業の人を一日撮っていくとすると、一見、人それぞれの撮り方ができると思われるでしょうけど、似通っていってしまう、ということもあります。例えば木を切っているところだけを撮ってもわからないだろうからそれに説明を入れたり、あるいはその人が説明をしながら切るということをしてしまいがちですが、アロンソの場合説明を一切やらないんですね。ただ情報としては人を追っていって、その切った木を集めている、としか見えないわけですが、よく見てみると、リズムとか起こっているアクションで言うと、木を切るというアクションだけをつなげるということをやっていまして、感じ取れる人は感じ取れるかもしれないんですが、全く気づかない人は気づかないだろうというところなんですが、これは細心の努力が払われているわけですね。あるいはただ日常的にやっていることを繰り返してくれないか、と頼んでやってもらっているように見えるんですが、フレームの中にいる若者に外に出ないように動かす演出をしているように見えるんです。そこが不自然なんですが自然に見えるということがすぐれた演出と言えるかもしれません。実は映像を作ったり作ることに興味がない人にとってはわかりにくいといいますか、納得し難いことがあるかもしれませんが、映像を作ったことがある人にとっては非常に面白いといえるんですね。もう一つ時間で面白いのは、何もしない時間というのも一日のうちにあるわけないんですよね。昼寝したり、食事を作っている時、例えば映画の中で鍋で煮ているのをぼーっと待っているような時間、そういう時間人は何もしないわけですけど、そこから突然何かを始める、行動に移る瞬間、その前の長い何もしない時間はいらないから切って捨ててしまえと言って捨ててつなぐか、それとも何もしない時間を撮り続けてその人がパッと次の作業に移るのを続けて撮るかでかなり違うと思うんです。まあ映像を撮ったことがあるかないかで興味の有無があるかと思うんですね。これは作ったことのある人にとっては非常に面白い瞬間がたくさん含まれている作品だと思うんです。一連の作業をどこで切ってどこでつなぐのかにとても気をつけているような映画です。

この『自由』というのは普通ドキュメンタリーのカテゴリーに入れられているんですけど、フィクションのカテゴリーに入れられてもおかしくない演出や組み立てがある。どちらの領域にも入ってくるわけで、これは2001年の作品なんですが、ちょうど世界的に映像のドキュメンタリーとフィクションの両面性が話題が映画の中でわき起こってきた時代の潮流の中で撮られた映画ともいえるんですね。同時に一般的にビデオカメラが小型化して映像をいじったことがない普通の人でも映像を作れるようになってきた時代の映画でもあります。ですから今そしてこれからの時代の映画だとも言えるんですね。で、今御覧になっていただいた『死者たち』はリサンドロ・アロンソ監督によると先程述べたように普通の映画に近づこうとして撮ったということを念頭において見直してみると、また違った映画に見えます。一連の行為をできるだけワンカットでおさめようという意図で作っているような映画に見えます。例えば主人公が旅をしている時に蜂の巣に火をつけていぶしてそこから蜜をバッと取り出して食べるというシーンがありますけど、あるいは船を漕いでずっと来るとヤギがつながれていて、そこでパッと刀を抜いて首を斬るというシーンも、できるかぎり一つの画面の中で決定的なところを撮ろうという組み立てになっていたと思うんです。ですからこの映画は前の作品と違って何もしないような時間をカットして作ろうとしているような作品になっています。これは、一つには1980年代に流行したロードムービーがありますね。映画好きだったらすぐに思い浮かぶと思うんですが、ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュの映画あるいはキアロスタミの『そして人生は続く』とかですね。そういった作品群では旅をしていて人と会ったり会わなかったりしながら映画が展開していく。そういうロードムービーの映画に近くなっていると思います。出会いと出会いによって起こる出来事を最小限の画面と編集の経済原則で作っていく傾向があったと思うんですが、そういう映画に近くなったと思うんですね。リサンドロ・アロンソはそういう映画に自分たちも影響を受けたよ、とインタビューで言っているんですね。もう一つには、船で行くシーンでは監督自身はヘルツォークがすごく好きだ、と言っているんですね。ヘルツォークの映画にも船と水というのが出てきます。『アギーレ』『フィッツカラルド』でもいいですが、もう一つ主人公が異郷の中を旅するということがやりたかった、ということも言っています。そういう反映もあるんじゃないかと。そう考えてみるとアロンソ監督が映画をよく見て作っているんじゃないかということがわかるんですけども、同時にある時代の中で見た映画についての映画を作っているというふうにも言えるんじゃないかと一方では思います。それはある種の国際映画祭で評価されて各国に紹介されるような映画の一つの傾向を反映していて、ここではアルゼンチン映画の若手の代表的な作家としてとりあげているんですけど、それと別に、国際的な映画祭マーケットの受賞作品の文脈の中で、つまり横と縦の関係ですね、そういうふうに考えると、こういう作家が必然的に出てきたかな、という考えを抱かされるような作家でもあるんですね。

もう一つはアロンソ監督がブエノスアイレスの国立映画大学で学んだあと映画を撮っていますけど、この大学はかなり多くの活躍中の若手作家を輩出していまして、ちょうどこの「アルゼンチン映画の秘宮」と同時期に東京写真美術館で恵比寿映像祭をやっているんですが、そっちのほうでマティアス・ピニェイロ監督の『盗まれた男』という映画を上映しています。できれば面白い映画なので御覧になっていただければと思うんですが、こちらも国立映画大学を卒業した作家とスタッフで撮られた作品です。制作にも大学が関わっています。この大学の学長を勤めているのが今回の「アルゼンチン映画の秘宮」で2本の映画を上映するマヌエル・アンティン監督です。『敬われるべき全ての人々』『キルケ』ですが、この人は1960年代にデビューして1980年代まで撮ってます。1982年までアルゼンチンは軍事政権だったんですが、民主化後にアルフォンシン大統領から国立大学の学長をやってくれないかと言われて、当時国立映画学院だったと思いますが、この人はそこでアルゼンチン映画を国際映画祭でできるだけ受賞させる戦略というのをやったんですね。ルイス・プエンゾの『オフィシャル・ストーリー』とか、軍事政権下の虐殺や亡命、拷問といった主題が出てくるのがこの時代あたりからなんですが、それらが映画祭やアカデミー賞の受賞対象になるわけです。まあこれがよかったか悪かったかは国内的にも賛否両論あって、やはり「アルゼンチン映画の秘宮」で上映する『四つの注釈」『夜の音楽』を撮ったラファエル・フィリペッリ監督は、この人も現在の国立映画大学の教授で、ピニェイロのような人を教えたり自分の映画のスタッフとして使ったりしていますが、彼に言わせると「アンティンの政策は今イチ問題があって、本当にいい映画を作るより対外的に受ける映画を作っていたんだから」とちょっと批判的なんですね。で彼がその時何をやっていたかというと、かなり早い時期に35ミリからビデオに移行していたわけで、今回の『四つの注釈』はデジタルなんですが、コマーシャルにはならないけれど非常に実験的な作品を発表していた人です。そういう意味ではアンティン〜フィリペッリとアロンソやピニェイロのような若手の人たちへつながるようなラインというか線で、まあ1960年代以降なんで、映画作家主義っぽい目線になってしまうんですが、現在のアルゼンチン映画を見ていただけたら面白いんじゃないかと思います。

もう一つ、今回もやりますがウーゴ・サンチャゴ監督の『侵入』というのは今の若い人たちが再評価している作品なんですね。これも商業的には失敗作で軍事政権から作品を没収された作品で、現在のはパリにあったポジフィルムをつないで作ったインターネガから作った修復版だそうですが、それを見た若い人たちが再評価しているということがあるんです。もう一つこれはボルヘスとカサーレスというアルゼンチンを代表する文学者二人が脚本に参加しているという意味もありまして、自国の作家を映画的に再発見するということでもある。サンチャゴは今ブエノスアイレスで新作を撮っていて、それを助けている監督マリアーノ・リニャスをはじめ若い作家やスタッフが伝説的な作家を助けようという動きというか、1960年代と現在の結びつきがあります。ですから今回1960年代の、古典というほど古くなっていない作品と現在の作家を一緒に見ていただけるというのは非常に貴重な機会を作れましたので、両方見ていただけると面白いんじゃないかと思います。あと、『闘鶏師の恋』ですが、監督レオナルド・ファビオは1960年代にアルゼンチン国内でスーパースター歌手であり、ポピュラーな存在だったわけですが、その後軍事政権に迫害され亡命せざるを得なくなってやはり作品を没収されたりして一時映画が見られなくなって、帰国してからの作品はフアン・ペロンの熱狂的な信者であることを前面に出していたプロパガンダ的なドキュメンタリーを撮ったりして賛否両論あった存在だったんですが、この『闘鶏師の恋』はそれ以前に影響を受けていたネオレアリスモやヌーヴェルヴァーグやロベール・ブレッソンの映画からの影響を考えてみると、この時代のアルゼンチン映画がどのようなものだったかを類推して見るには格好の作品ではないかと思います。かなり短い映画でこの作品だけでファビオを語るのはどうかなとは思いますが、1960年代を考える上では非常に面白いと思います。いずれにせよ今回上映する作品はアルゼンチン映画の中で考えると大ヒットした作品というのではないんですね。意図的にアカデミー賞や映画祭での受賞作品は避けています。むしろ国内でもなかなか上映されなかったり軍事政権に没収された映画、「影の流れ」と言いますか、実際には多くの人目には触れなかったんですが今の若い人たちから再評価されて影響を与えている作品を上映できたと思います。その中でいうとアロンソ、アンティンやフィリペッリも時間というものについて非常に優れた作業をしていますので続けて見ていただき、できましたらアルゼンチン映画への興味をつないでいただけたら嬉しいかな、と思ってます。

(2014年2月8日にアップリンク・ファクトリーで行ったレクチャーに加筆訂正した)


©Akasaka Daisuke

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