ハルトムート・ビトムスキー インタヴュー

『B52』を撮った山形国際ドキュメンタリー映画祭2001の審査委員長(表賞式の日にはなぜかそうなっていた)ビトムスキー監督は、インタビュー当時カリフォルニア・アート・インスティテュート(カリフォルニア芸術大学 Calart)の映画・テレビ学部長を勤め、この後もアメリカで仕事を続けたいと述べていた(その後ベルリンに戻り、2006年現ドイツ映画&テレビ・アカデミー学長)。なおこのインタビューは米軍のアフガニスタン空爆開始の日に行われた。もちろんB52も出撃している。テレビを見ましたか?の問いには「悲劇だね」との答え。

;1999年に東京のアテネフランセ文化センターでビトムスキー監督の作品『第三帝国アウトバーン』とハルーン・ファロッキ監督の作品『この世界を覗く・戦争の資料から』を併映してプログラミングしてもらったことがあるのですが、お二人は以前共同作業をされていたんですよね。ビトムスキーさんのほうがよりマテリアルといいますか、物質的な要素に興味をお持ちのように感じられます。

ハルトムート・ビトムスキー(以下、HBと略)まず我々が共同作業をしていたのは30年も前のことです。私たちも若かったですし、どんな方向に行きたいのかもはっきりしていませんでした。しだいに成長するにつれて木のように枝わかれしていったのです。双子じゃありませんでしたから。ブレヒトのある戯曲で言うように、「2つのものがいっしょになるときはいつも、3つめの方に向かうもの」です。この場合3つめのものを政治的な映画製作ということで言うと、ハルーンと私がそれぞれとった映画づくりの進展を指すことになります。

;でもお二人ともイメージを批評する映画を作っておられる意味では共通点もあるわけですね。例えば『B52』のなかで爆撃機を集めた絵を目の前にその「美学」を語っている軍人の言葉はシリアスなのですが、全く別の立場から見ると滑稽でバカげた言葉に聞こえます。

HB;まずハルーン・ファロッキはエイゼンシュテインの映画から、私の方はよりロッセリーニの映画から派生しています。彼はよりモンタージュに深く傾倒していますが、私の方はより人生と物質それ自体の方に興味があります。たぶんこちらの方が豊かなんです。私が好きじゃないのはカメラの前に誰かを立たせてインタビューし操作しようとする監督です。私は被写体に語らせようとしますし、考えを話すチャンスを与えようとしています。私は彼らを、そのすべての矛盾をも信頼しています。それらは自然にあらわになってきて、ある時、バカげたものに、あるいはおかしなものに変わるのです。そして時にそれ自体がコミカルでバカバカしい瞬間に導かれるのです。

;ビトムスキーさんがファウンド・フッテージ(記録映像)を使うときも同じことが言えると思うんです。『アウトバーン』や『フォルクスワーゲン・コンプレックス』に使われた、撮られた当時はシリアスな、悲劇的な映像だったり、ナチスのプロパガンダのための映像として機能していたとしても、現在それを異なった文脈で見るなら、全くコミカルで愚かなものに見えます。例えば世界貿易センタービルの爆破映像が現在悲劇的なものだとしても、後になって使われる時、まったく喜劇的なものになりうると思うんです。

HB;もちろん、ファウンド・フッテージを使うことには多くのことが言えます。まず一つは、それを自分が監督する時でさえも、後でその映像がファウンド・フッテージになるということです。なぜならイメージそれ自体が述べていることを扱わなくてはならないからです。もう一つは私がフッテージを使う時に思い浮かべる言葉で、ロラン・バルトが言っていた、作者を離れてテクストをある場所から別の場所に移動するとき、それを動かす者こそがテクストの発明者となる、ということです。それは創造です。聖書を書き写す人々のようなものです。彼らは聖書のコピーについてただ自分の行ったミスの作者なのです。それが作者の権利なのです。でも二つの作者のタイプというものがあります。一つはコメンテーターであり、テクストを取り上げ、自分の思考を押印する人です。もう一つは引用する人で、ただその思考と関係なく他人のテクストを取り上げ、一緒にしたりします。人がフッテージを使う時、信頼しなければならないのは、あるテクストから取り上げた引用を新しい文脈の中に置くとき、おそらく100年後にもまだ語るような力とエネルギーです。 そう、常に潜在的な、見えない著作権があるのです。でも引用についてのアイディアを続けると、ある場所からある場所に移されたテクストはより強力で豊かになることを確信するに違いないのは、オリジナルのテクストでは見えなかった何かを言うことができるからです。今は理解できないことも、新しい文脈の中でならできるかもしれませんし、1つの音もここでは誰も聞けない新しい音になることもできるのです。16世紀のテクストも全く違った我々の世界で別の何かを語ることができます。それがファウンド・フッテージを使って作業するということです。ドキュメンタリーを作ることもテクストの場合とそう変わらないのです。現実の生活を10分間撮影するなら、10分間を「引用」することになります。

;ではとりわけ『アウトバーン』や『B52』の、とりわけ「愚かさ」の側面に興味があったのではないのですか?

HB;確かにそのすべてがおかしく愚かかどうかはわかりませんが、私は人間の努力や骨折りが多くの消滅や空虚やムダに行き着くのを見ました。人々は爆撃機を作りますが、結局それはスクラップにされ鉄クズになるのです。でもこれはおかしいのではない。それはコミカルな側面ですが、おかしいだけでなく悲劇的なのです。すべて使い捨ての労働資源は何もなりません。1機のB52を作るかわりに病院を建てることもできるのに。あれは病院をスクラップにするようなものなのです。例えば『B52』や『フォルクスワーゲン・コンプレックス』や『第三帝国アウトバーン』に従事しているのは、膨大な労働者です。B52の建設にはまったく合衆国の信じがたい労働量が使われました。最近10年間で770機を製造するのにです。重要なのはこれほどの労働資源がいつ投下されたかということです。膨大なアメリカ経済はただB52をそこに置いておくために働いていたということなのです。これは異常なことです。すべてはムダなのです。そして爆撃機を小さな破片に破壊するのですが、軍用機の機能というのも実は破壊することなのです。

;『B52』では以前の作品より御自身が登場するシーンである種の軽さを帯びているような気がしました。それと監督御自身と女性の方が2人でコメンタリーを読んでいる部分でもそう感じましたが。

HB;いや、以前の作品では私自身がナレーションを読んでいたのですが、今回はアメリカ人の男性と女性に読んでもらいました。それは私の英語は外国人のものですから、これを使いたくはなかったのです。それと『第三帝国アウトバーン』では私がいくらか登場していますし、その他のいくつかの映画でも部分的に登場しています。本当は『B52』に登場するつもりはありませんでした。でもペンタゴンが空軍施設での撮影許可を取り消してきました。そこで私は別の映画を、自分が登場してインタビューすることで作ろうとしたわけです。

;何だかハリウッド古典映画の軍隊コメディを連想してしまったんです。

HB;それは考えたこともなかった(笑)。ただカメラを動かしながらインタビューするのは、より状況を明らかにします。演劇のようにね。話す人と聞く人がいる。そこでコミカルというか、おかしな感じがあります。

;あのシーンには古典映画の、連続性を尊重したモンタージュがあります。

HB;それは事実正しい印象です。ある意味で私はドキュメンタリーを劇映画の言語を使って撮りたいのです。それは本当です。私はドキュメンタリー映画が必ずしもひどく撮影し編集されたものではないことを証明したいのです。シカゴのB52廃物アーティストのシーンで、8、9分の長い画面があります。私はその状況のすべてを見せたかったので、会話を展示物とともに撮りたかったのです。もし9分もの長いシーンを撮りたい時、映画言語を心得ていなければ構築できない会話と視覚面での連続性があるのです。

;何かこの映画を撮るのに思い浮かべていた古典映画があるのですか?ハワード・ホークスの映画とか・・・。

HB;ええ、ホークスは私が最も影響を受けた映画作家です。私は最初に劇映画作家になろうとして2、3本作ったのですがうまくいきませんでした。でもドキュメンタリー映画を作る者でも劇映画から学ぶことができます。(審査委員長なので)ここで言っていいかどうかわかりませんが、(コンペ作品の)『さすらう者たちの地』(リティ・パニュ監督)は見始めるとすぐに長篇劇映画の作り方を知っている人が撮っているとわかります。彼は女の人の顔を撮影し、適切なところでカットすることができます。彼は偶然でなく自分のすることをわかっているのです。多くのドキュメンタリーがありますが、誰かが話していて、もうそれ以上話すことがないと皆すぐにカットしてしまうのです。でも彼の映画には20人以上の人が話していて、突然皆黙った顔になるシーンでは悲しみの残響というものがあります。大半のドキュメンタリーの作り手はそれを知らないし、学びもしないし、実行もしません。でもそんな方法で撮れたらもっと力強くなるのです。だから私はドキュメンタリーを作る人が劇映画から学ばないのは悲しいのです。

;私はホークスやジョン・フォードのような古典映画作家がドキュメンタリー作家としても偉大だと思っています。だからビトムスキーさんの映画にその文体を見出せるのは嬉しいです。

HB;そう考えてくれるのは私もうれしいね。

;ホークスの「空軍」などを見直したりしませんでしたか?

HB;いや、私は映画を撮る前に他の映画を見たりしません。他の映画を再生産するのはイージーです。フォードやホークスから学んだとしても自分の道を進むべきです。コピーするのは好きじゃありません。ファスビンダーはしばしばビデオで見た映画のカットをそのまま自分の映画でコピーしていました。それは好きじゃありません。

;少し年上の映画作家たち、例えばゴダールやストローブに影響を受けませんでしたか。

HB;ええ、もちろん学生の時ストローブの映画に非常に影響を受けました。ゴダールについては60年代にデビューした者は皆その時代の古典映画と関係を持ち、リメイクするのではなくそれを自分の作品でどう使うかという問題があったのです。ストローブは違います。彼はもっとラディカルで、必要のないどんなカットも使わないとか、それは映画の唯物性を理解するために重要な授業でした。カメラをセットしたらすぐに録音を始めるとか、その映画作りには本来ドキュメンタリー的な側面がありました。

;ストローブがインタビューであなたの映画を好きだと言っているのを読んだことがあります(註)。実際よく会っているんですか?

HB;ええ、何回も会いました。60、70、80年代にも。でも私が若い映画作家に言っているのは、映画を研究してもコピーするな、と言うことです。

;今日映像というのは作家以外の人にとって映画以外の映像になってしまいました。この時代にはあなたの映画のように、ますますある映像を別の文脈に置いてみることが、一般的に、人々にとってより重要になっていると思うのですが。

HB;ええ、今日映像は過剰になり、世界は一つではなくイメージの世界、音の世界もあるのです。ある意味やらなくてはならないのはまだ見たことのないものを見せること、違った見方でものを見せること、見たくないものを見せることです。基本的なシネマトグラフの務めは、見なかったり見たくなかったりするものを「2回(以上)見せる」ことです。これは複雑です。映像の過剰は難しいものです。でもそれでも見せることは重要なのです。・・・
過去には私たちは写真のおかげで現実とイメージの直接的な関係を信じていました。映画は物への光の反映だったわけです。今は映像時代で、直接的な関係は保証されていません。でもいつも考えていたのは、映画や写真と現実の直接的な関係だけを信じているのは誤りだということでした。ドキュメンタリーを撮るとき、世界を見てその映像を作るけれど、けしてどれも同じではありません。作業のプロセスもそうです。数年前「フェイク・ドキュメンタリー」が流行しましたが、それは非常に表面的なものでした。結局すべての映画がドキュメンタリーだからです。ハリウッド映画もある意味でハリウッドのドキュメンタリーなんです。ある意味で未来のドキュメンタリーの務めは、疑いというものを創造することです。最も洗練されたリテラシーは、そこに見えているイメージだけでなくイメージが機能する方法を読むことができるということなんです。それがドキュメンタリー製作の未来の挑戦なんです。いつも言っているのは、映画製作のプロセスがドキュメンタリーの一部にならなくてはならないということです。

(2001年10月8日、山形国際ドキュメンタリー映画祭インタビュールームにて)

(註) Jean-Marie Straub and Daniele Huillet Interviewed Moses and Aaron as an object of Marxist reflection by Joel Rogers

なおビトムスキーは2004年ウィーン国際映画祭で行われたジョン・フォード/ストローブ=ユイレ特集の シンポジウムにジャン=ピエール・ゴラン、タグ・ギャラガーとともに参加している。

©Akasaka Daisuke

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