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マイケル・ジャクソンの訃報を聞いて、思ったのはやっぱりスピルバーグと組んで中川信夫の『地獄』のリメイクとか撮ってもらいたかったなぁ・・・・・・ということで、実現すればスピルバーグの最高傑作になるはずだったのに・・・ともあれ勝手な妄想もきれいさっぱり消滅してしまったが、『ジャン・ルノワールの小劇場』に近い後味を持つ映画になったのではないかと思われるその映画に相応しかった俳優だったと思うデュアルテ・ダルメイダは、その追悼記事のほとんどではシネマテーカ・ポルトゲーザ館長として数々の業績を残しジョアン=セーザル・モンテイロやアントニオ・レイスやペドロ・コスタら1974年4月の民主革命以後の新しいポルトガル映画誕生に多大な貢献で知られる映画史家/批評家ジョアン=ベナール・ダ・コスタとして讃えられている。しかし彼は一方で、マノエル・デ・オリヴェイラがその『過去と現在』で「非常に重要な出会いだった」と回想しているように、以後常連として『メフィストの誘い』の宿屋の主人から『それぞれのシネマ』オリヴェイラ篇の法王まで、その声と容貌で身分の高い貴族や謎めいた紳士役のいやらしさを体現し、ちょうどブニュエル映画のフェルナンド・レイかそれ以上に印象深い存在になっていた。他にもモンテイロの『黄色い家の記憶』でモンテイロ扮する物書きにスキャンダル写真のキャプションを強制するパパラッチ雑誌の編集者やラウル・ルイスの『海賊の町』のカネを払って娘を抱く継父(口の中からのカットが笑える)、同じルイスの『9つのフェアリーテール』の冒頭ではシネマテーク館長として俳優たちを出迎えつつその後に展開される奇怪で錯綜する構造をいかめしく演説しはじめるシーンでは、そのまま映画=この世界というもののいかがわしさを代表しているかのような相応しさにみちみちていた。現在日本語で読める彼のテクストはおそらく筆者企画の『オリヴェイラと現代ポルトガル映画』所収の文章のみだが、リスボン滞在時には残念ながら直接会う機会はなかったにせよ当時助手で今はIndieLisboaのディレクターでもあるヌーノ・セーナ氏に世話にもなり、ポルトガル映画史について度々彼の文章を参照させてもらった身として哀悼の意を表したい。

(2009.8.10)


©Akasaka Daisuke

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