The Most Dangerous Man/Alive or not?

アラン・ドワンの遺作『The Most Dangerous Man Alive』は、ほとんどヤクザと警官しか出てこないとは言え一応これがSF映画であり「敵の監禁を脱出して核実験場に迷い込んだヤクザが被爆して弾丸を跳ね返す肉体になってしまう」というストーリーにもかかわらず、納得できる科学的考証はもちろんのことどんな「自然さ」をもやっぱり豪快に無視している。この映画は製作者ベネディクト・ボジャースとのコンビが財政的に行き詰まってやむをえずメキシコで撮影され、『悪の対決』や『怒りの刃』等でコンビを組んでいた名手ジョン・アルトンの撮影もなく、また個人的に見ることができたバージョンはスペイン語吹き替え版のためか、まるでブニュエルのB級映画それも一番安っぽい傑作『賭博師の娘』や『スサーナ』あたりを見ている錯覚にとらえられるほどである。同じ冷戦下のB級SFだが例えば「冷たい血」の子供らを地下に隔離している事実を知られた科学者アレクサンダー・ノックスが愛人ヴィヴィカ・リンドフォース(ドン・シーゲル元妻)を射殺する場面でヘリコプター空撮接近の超絶!ショットをものしたジョセフ・ロージーの『These are the damned』のような余裕はなかったはず。にもかかわらず『The Most Dangerous Man Alive』が感動的なのは、サイレント映画以来のある厳格さ〜それは今ではともすれば笑いを呼ぶ種ともなろうが、関係ない〜が導く、キャメラがフレームに入れ、演出が指示するものがすべてであり、それ以外の本当らしさなるものはいっさい存在しないという荒唐無稽さのためである。例えば冒頭で荒野をさまよう主人公のヤクザの回想になり、彼が敵対するボスのオフィスに殴り込み一人を撃ち殺すが、続くカットで座っていたはずがいつの間にか後に立っていた男にチョップをくらい昏倒する。

     

そしてオーバーラップで回想が終わるといきなり核爆発に遭遇するが(実験場といってもキャメラに向かって科学者たちがドーンと座っている部屋が写し出されるだけで、切り返しショットは外の見える窓があるだけ、『スポンティニアス・コンバッション』はこれに比べりゃ超大作である)、そこにあるのは真剣に「厳格なこのフレームに写っていない外の世界は基本的にありえない」という、映像が映画館にだけ存在していた時代の者のみが持っていただろう確信なのだ。おそらく、マフィアの装甲車を貫通するために発注したはずの44オート・マグナムをそこらの公園で試射したあげくに魚屋を撃っていた『ダーティーハリー4』(公開当時もっぱらソンドラ・ロックの犯罪を見逃すことにフェミニズムの視点から非難が集中していた気がするが・・・今考えてみるとそんな滑稽な物言い以前の映画なのだ)のイーストウッドあたりがこの種の確信を持つ最後の人物だろうか。この『The Most Dangerous Man Alive』のリメイクを撮影しているというシーン(つまり『エリ・エリ・レマサバクタニ』の冒頭で多少引用されたシーンだが・・・ただし当のドワンの映画には該当するシーンは全くない)から始まるヴィム・ヴェンダース『ことの次第』のラストの弾丸は、たぶんこの確信を共有すべくフレームの外から飛んできたのに違いない。

弾丸を跳ね返し苦しみつつも復讐を果たしていく主人公が結局『ハイ・シェラ』よろしく岩山の頂に追いつめられていき、最終的にこのヤクザ一人に対し軍隊の出動となるのだが、そこでドワンは思い出したかのように自らの『硫黄島の砂』の引用、というかかつて使用した硫黄島の戦闘のニューズリールを再び挿入し、そこで米兵たちが日本兵を焼いた筒状の兵器を取り出す瞬間こそ震えが来るシーンなのだが・・・その兵器は前稿つながりで言うと篠崎誠監督『忘れられぬ人々』で篠田三郎(あまり指摘されないが万田邦敏監督『接吻』で彼の登場するシーンは最もすばらしく、ゆえにおそらくは問題を孕んだシーンでもある)が三橋達也との対決でぜひ持っていてほしかったものであり、もちろん数々のジャンヌ・ダルク映画から『怪奇大作戦』第8話「光る通り魔」までを思い起こさせる(クロード・ソーテの『追想』でナチスがロミー・シュナイダーに対して使用していたではないか、と言う人もいるだろうが・・・あの場合演出のダルさもあって印象に残らなかった)。この火炎放射器というのはただ一人の人間に対して使用するには見た目大袈裟で古色蒼然とした場違いな恐怖感を与え、映画的には『アンドロメダ・・・』でジェームズ・オルソンの頬を貫通したり『ドラキュラ対フランケンシュタイン』でなぜかドラキュラの指輪から放たれたり『ドクトル・エム』で敵のアジトに潜入したハンス・ツィシュラーを刺し貫いたりするレーザー光線(またも前稿つながりだが『狂気の海』の後半で登場するレーザーにもあの唐突さと痛さがあったら・・・という気がする)のような一瞬の視覚的緊張はまったくもたらさないシロモノなのだが、それがここでは思いもかけぬ歴史的感動を呼んでしまうのだ。

そして『The most dangerous man alive』から『ことの次第』を遡って見るように、ニコラス・レイの作品として『We can't go home again』から『ニックスムーヴィー 水上の稲妻』を逆照射するとき、またしても浮上してくるものがあり、それはジョアン・セーザル・モンテイロが晩年のレイをどれほど意識していたかが窺われるということなのだ。老人のアル中、キャメラへの露出癖、自作自演による生前埋葬・・・1985年の『シルヴェストレ』についての自筆のテクストに"We can't go home again"と書き込み、なぜか『黄色い家の記憶』に『パリ、テキサス』のライ・クーダーが響いていたことも含め、『白雪姫』の黒画面は、『We can't go home again』の逡巡と痛みの充満する多重断片が生成し消滅する画面=映画の行き着く果てにあるのではないか。1974年民主革命時のポルトガルに集ったグラウベル・ローシャやロバート・クレイマー(そしてポルトガル側から撮ったアルベルト・セイシャス・サントス)も含め、例え作り手である彼らがこの世を去ってもなお、世界と映画(フレームの内と外)と個人の生を等号で結ぼうとする脈動が生者たる観客を蘇らせる感がする。

  

その他ジャック・ターナー(『Nightfall』や『熱砂の風雲児』を見るとむしろ後期が凄いんではないか)や彼の地で今話題であるらしいプレ・コード時代のキング・ヴィダー(小津が絶賛した『南風』)やウィリアム・ウェルマン(現在とオーヴァーラップする不況時代を扱ったトーキー初期/1930年代初めの絶頂時が見直される意義は作り手にとって大きいだろうし、ウェルマンは小津、山中貞雄とイーストウッドを結びつける存在なのに言及されることがほとんどない)を今更ながら見ると、死者が死者ばかりでなく生者たる我々を活気づけうるアメリカ映画の枯れぬ遺産はまたしても底知れぬと言えば言えるが・・・。

(2008.4.16)


©Akasaka Daisuke

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