フレームの内と外

フレームは凝視を導く。と同時に人を不安にさせる。例えば7月16日午前の地震によって新潟県柏崎市の柏崎刈羽原子力発電所から黒煙が上がっている様子をとらえた映像は、画面外からのコメントが事態の情報を把握できない間(そしておそらくはその後も)、見続けることとそれに耐えることへの恐怖を引き受け続けた。やがてその映像は、午後のワイドショーにおいて大げさな音楽とナレーションを伴って反復されるたびに短くクリップ化され、時間を切り捨てることで強度を失っていき、地震以外の情報を排除することになるだろう。一方映画は情報に取って代わられてしまうこの時間を保存すること、実現することに現在の場所を見出す。例えばレゾ・チヘイーゼの『この若者たちを見よ!』Gimilis bichebi(1966)は独ソ戦に参加した平凡なトビリシの若者たちの悲劇をB級的(同時代のモスフィルムの映画や同じチヘイーゼの『戦火を越えて』の大規模な戦闘シーンとは異なり戦車一台しか出てこないが、比較にならないほど鮮烈さに充ちている)に描く古典的戦争映画の傑作だが、スタジオに建てられた教室のセットで徴兵される不安で刹那的に日常を過ごすある学生の周囲を何の前触れなくクラスメートの女の子ナテラ(レイラ・キピアーニ)が踊り出すシーンでは、その横顔を、不安げに男を追う瞳を、微笑みから突然の涙までを、『ローマで夜だった』のロッセリーニをも思わせるクレーンとズームを組み合わせて追い続ける。

 

チヘイーゼはすでに1956年に撮ったある団地に住む学生たちの恋物語を描く『わが団地』Chveni ezo(主役の一人ゲオルギー・シェンゲラーヤは共演したソフィコ・チアウレリと結婚し後に監督として『ピロスマニ』を撮った)でも恋を待ち望みながら祖母と住む少女マナナ(レイラ・アバシーゼ)が戸外に響く騒がしい男たちの声を聴きながら一人佇む顔に繊細な光を注いでいた。チヘイーゼは同期にデビューし『僕とおばあちゃんとイリコとイラリオン』の戸外撮影に才能を発揮したテンギス・アブラーゼと異なり室内劇を得意とする。いずれもソ連時代のグルジアフィルム製作であり、その繊細さ故にソヴェクスポルトフィルムの配給に乗らず、日本に公開されなかったと推測される美しい作品なのだ。

 

もちろん、ことと場合によっては例え遠く離れて住んでいる視聴者であっても危険が及ぶかもしれない事態の情報を伝える実況と、劇映画の中で恋しているらしい女の子を演じる女優の顔というあらゆる意味で異なる二つの映像を並べて語る無理を超え、また一方は映画ではないその他諸々は置いておくとして、フレームによって囲い込まれる視線と被写体の間に作り上げられる時間と関係だけを取り出すとすると、チヘイーゼの映画のようにフレーム内外にかつてあった関係は消滅し、ゴダールが村上龍との対談で述べたように「今はフレームしかないんです。映画だけでなく、テレビについても同じことが言えます。ニュース・キャスターがイラクでの戦争について話していても、視聴者はキャスターと、その背後にある世界地図を見ているだけで、その他にあるものは何も見ていない。しかもそれだけで『イラクを見た』と思い込んでしまう。」(「世界をボクらの遊び場に」講談社)と指摘したような外を欠いたフレームによる誘導と消去の過剰が支配的であり、それを揺るがせるのは地震のような天災ぐらいしかなく、しかも一瞬しか続かない。

映画は視線誘導と集中=フレームによる虚構成立のシステムを、古びることによって(もちろん保存されることが前提だが)自ら暴露する。例えばバスビー・バークレーの"The Gang's All Here"(1943)のミュージカル・ナンバー"The Lady In The Tutti-Frutti Hat"において、カルメン・ミランダがスタジオのセットで巨大バナナのハリボテを使ったレビューの踊り子たちをバックに歌うこのシーンでは、劇場のステージの上で展開される出し物のはずが、青一色のホリゾントの背景にクレーンが右に左に傾きながら駆け巡り絶えず奥に向かって列をなす膨大な椰子の木やバナナや踊り子たちが不意に背景を完全に覆い隠す瞬間に画面が繋げられ、現実にはありえないはずの背景が現れて距離と位置の感覚を狂わせる。バークレーの操作の手法は笑いのネタにされる膨大な量の物自体ではなく、全体を決して見せず、フレーム内に奥行きを仮構しそれを覆い消し去るマジックの手技を見るような運動の反復に真髄がある。ハワード・ホークスでさえ『紳士は金髪がお好き』の"Diamonds Are A Girl's Best Friend"のシーンでは、赤一色のステージの全体を見せずにマリリン・モンローの周囲のダンサーたちが奥行きのフォーメーションを作っては消す運動とキャメラがモンローに近づくたびに変わる位置関係の点でバークレーの手法を踏襲しているかに見える。

 

一方おそらくバークレーのような大予算などまるでなかっただろう『火の馬』のセルゲイ・パラジャーノフは、冒頭主人公を庇って倒れてきた木(倒れる木の主観ショット)の下敷きになって死んだ父親の葬儀シーンで、奥行きのない白一色の雪の斜面に人々をフェリーニ風に横並びに平面的に配置し、だが素早い手持ち移動とクィックパンと編集の組み合わせによって、草笛を奏でマントを羽織る女たちや楽器をかき鳴らし旗を打ち振る男たちの位置や距離を消去することに成功している。その後のパラジャーノフが『ざくろの色』以後移動やパンさえ捨て固定画面上の運動とサウンドを'演奏'することのみで映画を作ったのは周知のとおりだ。例え美しく人目を引く事物が集められていても他の映画作家と全く違うのは、彼自身が信じているのは動きのほうだということなのである。『スラム砦の伝説』のプロローグで馬を引く男の荷台に女たちが卵を投げ入れようと駆け寄るジャンプカットの積み重ねを見ると、そこではフレームに対して動きをどのように受け入れさせるのかというギリギリの賭けが演じられている。これを先頃久方ぶりに上映された大和屋竺の遺作『愛欲の罠』と比較してみると、その賭けが遠い異国の他人事ではないことが明らかだろう。

近年のキラ・ムラートワの映画が、太った女やモデル系美人や分裂病患者や醜悪な容貌の人物など、いかにもフェリーニやグリーナウェイの映画に出てきそうな紋切型の登場人物ばかりで観客を不愉快にさせながらもまったく退屈にならないのは、彼女もまたパラジャーノフのように人物や行動の本当らしさをまるで信じておらず、ほとんど画面上の動きとフレーム内外の出入りだけで映画を作っているからだ。『三つの物語』Tri istorii(1997)でムラートワ映画の常連レナータ・リトヴィノワ演じるブロンドの看護婦兼殺人者オフェリアの行動といかにもその画面の都合で連れてこられたような人々との出会いは、フレーム内の手前に奥に現れては通り過ぎてゆくたびにバーレスク的な映画を成立させる口実なのである。つまりパラジャーノフがトランスコーカサスの文脈を意図的に混淆させながら、それが引き起こす意味論にばかりこだわる人々(そしておそらくはそうした人々が内戦を引き起こしたのだ)とはまったく無関係だったのと同様に、ムラートワもロシア/ウクライナにおけるポスト・モダンの紋切型を意図的に使いながらそれに拘泥する人々を嘲笑しているのである*。

  

そのムラートワがパラジャーノフとともに影響を受けたと語っており2005年にリトヴィノワが出演した新作を撮った、ウズベキスタン出身の伝説的な映画作家ルスタン・ハムダモフもまた距離と位置感覚を消去する映画作家だが、その彼も生涯たった4本の映画しか残していない。1967年にVGIKの卒業時に撮った『山々の私の心』V gorakh moyo serdtseは人気のない町中でのサイレント映画の伴奏ピアニストと女の出会いから始まり『アタラント号』や1920年代へのオマージュと絵画が交錯する後半が特に美しい黒白短編だが、その後1974年に撮った『気まぐれな楽しみ』はソ連政府によって没収され、1991年に撮った『アンナ・カラマーゾワ』**はセルジュ・シルベルマンによって製作されたがこれもオクラ入りしてしまっている。これらソ連の映画作家たちはフレームの外と内の関係を情報に取り替えて殺さず、観客の想像力に委ねたがために政府の怒りを買い、禁じられたり抹殺されたりしたのである。官僚的な視線にとってメディアである画面はあくまでも視線を中央に集め、視聴者を安心させフレームの中だけの閉ざされた世界に誘導しなければならないものだからだ。

 

一方典型的なアメリカの活劇と見なされている70年代のロバート・アルドリッチの映画は、追う〜追われる、撃つ〜撃たれるという誰の目にも明らかなアクションが行われる状況下で距離を消去することを通じて、フレーム内に誘導することと同時に観客の想像力に委ねることを成し遂げた希有な例に思える。例えば『燃える戦場』のクライマックスでは、武器もなく自陣へと戻ろうと走っていく男二人がただロングショットでしかとらえられず、援護する味方も攻撃する敵も本当に彼らからどのくらい離れているのか、どこまで走ればよいのかが観客に示されるのは、おもむろに上官が倒れている男のほうに歩み出す瞬間である。ほとんどサイレント映画に近い台詞のない実験的な映画でもある『北国の帝王』では、汽車を見つめ走って行き飛び乗るリー・マーヴィンと、それを見つけて落とすか殺そうとする車掌のアーネスト・ボーグナインが直接接触するのは正確にはラストの対決だけだ。また『ワイルド・アパッチ』の銃撃戦において撃つ者と撃たれる者が同じフレームに収められるのは、『傷だらけの挽歌』のラストのように、狙い定めた銃口から弾丸が放たれる決定的な瞬間である。

撃つ者と撃たれる者だけでなく命令する大統領官邸の人々や司令官リチャード・ウィドマークもメディアを通じて現場までの距離を消去し状況に参加しているように見える『合衆国最後の日』では、大統領チャールズ・ダーニングが人質となって皮肉にも狙撃の瞬間に自ら標的になることで、ラストにその距離をあらわにすることとなる。そしてアメリカン・フットボールを描く『ロンゲスト・ヤード』になると、『合衆国最後の日』と同様に、反復されるタッチダウンの瞬間がアナウンサーの声と電光掲示板の数字による視聴覚の情報とモンタージュされることで、スタジアムで現実のフットボールのゲームを成立させる距離(と時間)とは別の距離を仮構する(これはさらに密着して戦う女子プロレスを扱った『カリフォルニア・ドールズ』でも繰り返される。二人でコンビを組み一人はリングというフレームの外に出るタッグマッチであり、その外にマネージャーがおり、さらに観客が、実況が・・・というふうにアルドリッチは映画を通じて距離を仮構する)。バート・レイノルズたちの勝利までの距離は観客の想像上に拡張され、声援のコールの反復と距離を隔てた食堂のコックたちの鍋のフタのリズミカルな上下運動が加わるとき、キング・ヴィダーが水路掘削の鶴嘴の上下運動を視聴覚音楽に昇華した『麦秋』を通り越してアルタヴァスド・ペレシャンの「隣り合う断片は遠いほど強力だ」という言葉を思い出させるし、ラストのタッチダウンのスローモーションに至って狭いスタジアムでの距離をなお引き延ばすとき、先述したバークレーのミュージカルによる操作にさえ近づく。つまり活劇というフレームにとらわれずアルドリッチを見ることで真の今日性が見えてくるのではないか。

 

実を言うとこれを書きつつミハイル・ロンムの『ダンテ通りの殺人』Ubiystvo na ulitse Dante (1956、至近距離で腹を撃たれながら男に平手打ちをかます女!・・・ホークス的な洗練に本当にブッ飛ばされる)やボリス・バルネットの『詩人』poet(1956、冒頭の詩人たちの地下朗読会のフォードっぷりには驚く。マルレン・フツィエフの回想によるとこの頃毎晩泥酔して学生たちに連れ帰られていたらしいが・・・)を見ているが、これらを語るのはそのスジの人たちに任せるとして・・・というよりこうした映画を超ジャンル的に見ることが必要だろう、6月30日にペドロ・コスタがベルリンの映画館バビロンの白紙委任状によるプログラムにペーター・ネストラーの『時の擁護』Verteidigung der Zeit(2007、ストローブ=ユイレに捧げられている)とフォードの『荒野の女たち』を2本立てで上映したように。そしてフレームという物自体を被写体としたジャン=クロード・ルソー(最新作"De son appartement"は2007年マルセイユ国際映画祭グランプリを受賞した)の8ミリ~16ミリブローアップのサイレント映画である『窓辺で手紙を読む若い女』(1983~85)を見てみる。窓枠そのものの上を刻々と動きながら照らす陽光、撮影者自身も被写体である鏡の撮影・・・それは通常被写体とはならない外をフレーム内へと、いや内を外へと拡張していく映画であり、フレームの中だけに留まっていればいいという視聴者/読者の虚妄(それはファロッキが『アイ・マシーン』で描いた誘導ミサイルの自爆キャメラの視線と同じである)を批判している。  




*例えば『三つの物語』の最後に三歳児が車椅子の祖父を毒殺する挿話が描かれるが、ここで映像の現実に疎い人やメディア論者ならモラルの欠如や女の子を真裸にすることの是非やら低レベルの論議に終始してしまうだろうが、真に重要なのは、演技を理解しているかどうかもわからない女の子が毒(といっても撮影上は脱脂粉乳か何かだろうが)を盛ろうとする行動の一部始終を、ムラートワが常に尊重している距離と時間で撮っていることに気づくことである。


**『アンナ・カラマーゾワ』は自分を強制収容所に送った将校に復讐しようとする老女(ジャンヌ・モロー)の物語だが、まるで鈴木清順のように跳びまくる展開と、途中にモローが入る映画館で突如サイレント/パート・トーキーのフィルムが上映されるのだが、それが1974年に中断〜没収された『気まぐれな楽しみ』の断片であり、まるで1970年代とは思えない異様な美しさには唖然とする怪作だ。

(2007.7.23)


©Akasaka Daisuke

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