その時はどこに?

2009年においてなお映像で描かれていない時、または捉えられていない時とはいつだろうか。アルベルト・セラ、リサンドロ・アロンソ、ミゲル・ゴメスの新作は先人たちの作業を踏まえつつもなお、今日情報とイメージの消費によって忘れられつつある時のありかを探す作業が現代映画に課せられた使命であることを思い出させる。カタルーニャとアルゼンチンとポルトガルの新しい世代を代表する彼らについてはすでに国際的に評価を受け批評も書かれているので繰り返す必要もないだろうが、アルベルト・セラはホセ・ルイス・ゲリン以後のカタルーニャ映画を代表する映画作家であり、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの今まで映画化されなかった時間を描く『騎士の名誉』によって注目を浴びた。『鳥の歌』はセラの第2作で初の黒白、キリストの生誕を拝むためにヨゼフとマリアのもとにやってくる東方三博士の旅を題材にしている。新しいアルゼンチン映画の代表的な作家として世界的に認知されているリサンドロ・アロンソの『リバプール』は長編4作目で、一人の船乗りが長い不在の後に故郷に里帰りするというだけのシンプルな物語だ。ミゲル・ゴメスの『私たちの好きな八月』は、ペドロ・コスタ以後のポルトガルの若い映画作家たちであるマヌエル・モゾスやサンドロ・アギラールらのフィルムを制作する今最もクリエイティヴな会社O Som e Furia(響きと怒り)〜最近ユージン・グリーンがポルトガルで撮った新作『ポルトガルの尼僧』を製作した〜の作品で、出資者の死によって頓挫した劇映画を、舞台となるはずだった村と住人のドキュメンタリーとフィクションを混在させて蘇生させるという野心的な作品にもかかわらず批評と興行の両方での成功をおさめている。

セーラの『鳥の歌』は、かつて東方三博士の旅を取り上げたエルマンノ・オルミの『歩け、歩け』(1982)を当然意識しているだろう。詳しい記述や情報がほとんどないというこの三博士について、オルミは大人数の一行による旅の描写を選択し『木靴の樹』や『ジョヴァンニ』のように複数の人物の視線や身振りのスペクタクルが編集によってリズミカルに交錯しながら進んでいく手法をとったが、それに対しセラはたった3人の初老の男たちが王冠とマントに身を包み、荒海で船をこぎ、雨の森を抜け、砂漠を横断する光景にもまして、『歩け、歩け』に描かれなかった旅人たちの疲れ、まどろみ、待機の時間を描写することに専念する。『騎士の名誉』ではあったデジタルヴィデオの疑似ドキュメンタリー風の手持ちや動きのあるショットはほとんど姿を消し、冒頭近くハイスピードによって谷を雲影が流れていくガス・ヴァン・サントの『ジェリー』を思わせる画面以外は、道中ものに通常描かれる出来事はおろか物語のインフォメーションとして還元可能な「歩きながら話す」という最小限のスペクタクル場面すら省かれている。遠景の画面で、強風にさらされながら砂漠を画面奥に向かって3人が消えていく・・・と思ったらまた戻ってくる・・・再び消えていく・・・を繰り返しながら、方向を俳優たちに伝えるのが不可能となり危険に陥っているのではないかとさえ思える(実際それに近い状況になったらしい)10分以上の彷徨を観客がただ見守るしかないシーン、厳しい日差しに照らされながら壁に張り付いた椅子に腰掛けた不動のヨゼフとやがてイエスとなる子をあやすマリアが黙ったまま時間が過ぎ去っていく固定画面、そしていつ果てるともなく続けられる『神の道化師フランチェスコ』を思い出させる、だが無言のまま三人がいつ終わるとも知れない抱擁を繰り返すロングショットまで、静謐さと緊張にみちた画面が続いていく。

リサンドロ・アロンソの『リバプール』もやはり旅のプロセスを描く作品だが、こちらは『鳥の歌』のような試練が主人公に降り掛かるわけではない。中年の船乗りが、故郷に近い港に寄った機会に一時下船し、山奥の深い雪に覆われた実家を訪れるというだけである。カウリスマキの映画に登場しそうな無口でどこか滑稽な船乗りは、バーで酒をあおり雪に埋もれ捨てられた廃バスの車両で寝泊まりし、資材を運ぶトラックに便乗して雪山の村に着き、誰もいない店の扉をたたき、常連を伺わせる食事を注文する。やがてぽつぽつとやってきた客たちに混じって入ってきた娘が彼を見つけるが、よそよそしく去っていく・・・かつて『死者たち』で殺人の罪で服役した後出所から帰郷への道をたどる初老の男にとって、娼婦との交わりやワンカットで描かれる蜂蜜取りなど道すがら徐々に自然な振る舞いを取り戻していくプロセスの描写は、町の時間から河を下る船と緩やかな移動やパンとともにアマゾンの森林の時間へと異なった流れを持つ時間への移行の中でなされていた。『リバプール』においては、それは船と港町から雪山の時間への移行である。船乗りが去ってしまった後も続く映画は、いっそう雪山の村のドキュメンタリーに近くなる。寝たきりの老母、船乗りが手渡す金を受け取るだけの妻、知恵遅れの娘の暮らす時間は、アロンソが二つの場所における主人公の行動をとらえ続けるというシンプルな姿勢を貫くことでのみ、観客に見て取ることができるものなのである。1960年代のレオナルド・ファビオとウーゴ・サンチャゴ以来ルクレシア・マルテル、マリアーノ・リニャスやマチアス・ピニェイロやアレホ・モグイランスキーらまで、インディペンデント映画の豊かな伝統を持つアルゼンチンの作家たちの中でも最もロッセリーニ的だといっていいアロンソの映画の魅力は、やはりその人物とまわりの空間をとらえ続ける被写体からの距離を見出す時にある。

一方ミゲル・ゴメスの場合は、というと・・・冒頭で鶏たちが金網の檻の中を画面の中に横一列に歩んでいき、続いてその外を狐が1回、2回と逡巡し、入ってこないだろうと思った瞬間に安心し切って餌を取る鶏たちめがけて飛びかかってくる長い固定画面が「演出?」という観客の疑問を誘い、以後ポルトガルの片田舎の村を舞台にしたフィクションとドキュメンタリーが混然一体になっていく。監督自身や録音監督ら撮影隊は中断してしまったらしい長編をあきらめ、夏祭りの夜景と歌謡ショーのドキュメンタリーから出発するが、どうやらその撮影隊の人々のシーンは演じられているように見える。『私たちの好きな八月』は、そのあらゆる部分がまさに連続と中断から成り立つ緩やかなリズムによって構成されていく。祭りの女性DJが流暢なアナウンスを中断させ、ドミノ倒しは不意の乱入者である撮影隊によって中断されるように、村人のシネマ・ヴェリテ的なインタビューは音楽によって中断され、旅回りのバンド一家のボーカルの娘とギター青年の恋というフィクションは、娘に近親相姦的な感情を抱く父親による妨げ(父親のくれたカードを読んで床に着く娘の姿にセーザル・モンテイロへのオマージュ?が見られる)と、青年の一家が村から出稼ぎに旅立つことで中断してしまう。この連続と中断のリズムの中で、映画の各断片は、全体を明かすことのない、ドキュメンタリーともフィクションとも決定できない(したくない)甘美さに充ちている。例えばケーキを斧で切るイギリス観光客のカップルの光景とインタビューはフィクションのように可笑しく、キャラクターとしてか本人としてか観客には判然としないまま涙を流しながら笑う娘のショットはひたすら美しい。未完成のフィクションの断片と撮影風景、ドキュメンタリーの混然一体という構成はフィリップ・ガレルの『彼女は陽光の下で長い時を過ごした』を思い出させるが、シネマ・ヴェリテ的インタビューに答える人々の語りの固定画面の落ち着き払った長さは『ヴァンダの部屋』のペドロ・コスタ以後の世代である刻印と言えるだろう(劇中プロデューサー役を演じているのは『コロッサル・ユース』のプロデューサーのひとりジョアキン・デ・カルヴァーリョだ)。その非決定性に充ちた時の長さが、観客に見つめることを要請するのである。

セラの描かれたことのない時の探求、アロンソの人物とともにある時の移行、ゴメスの非決定性に充ちた時の踏破は、例えばホルガー・マインスの唯一の短編である『Oskar Langenfeld』(現在DVDやyoutubeでも見ることができる*)の12章に分けられたパート5で老人が本を読み、ベッドで煙草を吸い、咳き込むまでの一連の行為をとらえた静けさと生の感覚に充ちた時間や、ジャン=クロード・ルソーの新作の一つ『Serie Noire』の何の変哲もない団地の公園の一角をとらえた固定画面が記録(演出?)する人々と突如動きだすキャメラの一瞬までの時間と手を携えて、今最も重要なのは、記号やインフォメーションや資料で埋められた言葉ではなく、何かを生み出すための時間を描写し認めることだと語っているように見える。お祭り騒ぎの中で過ぎてしまう時間の代りに真の変化を生み出すための時間を見出すことができるかどうか。新しい映画と作り手はいつも同時代の観客に最も重要な問いを投げかけてくる。観客がそれに回答する時がいつになるかは別として・・・。

*今ではバーダー=マインホフ・グループの一員だったりストローブ=ユイレに『モーゼとアロン』を献呈されたテロリストとしてしか記述されないホルガー・マインスが素晴らしい映画作家だったことを示す一編で、友人だったハルーン・ファロッキによる見事な批評("Staking One's Life;Images of Holger Meins Harun Farocki;トマス・エルセッサー編の"Working on the Sightlines" 所収)がある。

(2009.8.16)


©Akasaka Daisuke

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