ドイツ映画とオーディオ・ヴィジュアル社会

今日は「ドイツ映画と日本映画」というテーマで引き受けさせていただいたんですが、よくよく考えてみますとドイツ映画というのがそもそも膨大なテーマでして、私自身は別にドイツ映画の専門家でもないのですが、たまたま何人かの映画作家を日本で紹介したということがあって、行きがかり上やらなくてはいけないかなと思ったことがありまして(笑)・・・。

そもそもドイツ映画というのは、一般的に映像というものをなぜ学ばなくてはならないかという、作る人々や研究者だけではなく、普通の人々がオーディオヴィジュアルというものを(緊急に)学ぶ必要があるということの理由の一つを作ってくれたということがあります。それは何かといいますと、例えば皆さんご存知かと思いますがナチス・ドイツ時代のヒトラーのプロパガンダ映画を撮ったレニ・リーフェンシュタールという人が作った『意志の勝利』(1934)という映画があるんですが、彼女はこれをヒトラーのために作ったわけですが、簡単に言いますとナチスの党大会の映画でして、「ナチスというのはこんなに凄いんだぞ」というプロパガンダのための映画です。これを御覧になっている方はいらっしゃると思いますが、いないですか?とすると映像資料を見せるべきだったかも知れませんが・・・。

言っちゃいますとこれは演説やら行進やらが延々出てくる映画なんですが、例えばヒトラーがスタジアムで演説をするシーンがありますと、満員の党員が全員立ちましてそのスピーチを聞いているわけなんですが、どういう撮り方をしているのかといいますと、キャメラがヒトラーの周りをぐるぐると右左に回転しながらあおり気味の角度で撮影する長回しのキャメラワークがありまして、そこに挿入される形で若い、ヒトラーに心酔している表情の少年たちが、クローズアップで入れられています。ここでは男の子ばかりなんですが、彼らが演説に聞き惚れている様が描かれています。この部分を分析しますと、映画を見慣れている今の方が見ればすぐわかるんですが、アップは同時に撮られたものではなく、後から撮られたもので、演出された物だとわかるんですが、それはどこでわかるかって言うと、ヒトラーの映像と聞いている少年たちの光が明らかに違うんです。で、少年たちの方は強い照明を当てられて、光り輝いているように見えるように撮られています。ピカピカした、人工的な映像の羅列です。少年たちのアップは後から念入りに考えられ、再構成されて、彼らが見惚れる総統はこんなにエラいんだよ、といかにも表すようなものになっています。この映画は別として、主にこういった映像はニュース映画として本編の前に上映されたということが今はわかっています。それらはプロパガンダと言ってますけども、見ている人を煽動する、洗脳する映像の代表として挙げられるわけです。(それは現在の女性たちが無防備なスーパーモデルやダイエットのイメージまで続いています。)

そこで何が問題だったのかと言いますと、ナチス・ドイツ時代というのは1933年から1945年まで続くんですが、ナチスの美学というのは「アーリア人が一番優秀で、その健康美を賛美」して、それが独裁体制を支えるという映像を作っていたわけです。要するにある美学が独裁政権を支えていて、それによって障害がある人たちや病人や劣等種とされた人々、ユダヤ人を虐殺し抹殺していったわけです。片方では美しい映像によってナチスを賛美し、当てはまらない人々を抹殺するという、おぞましく、恐ろしいことだったんですが、これとどう対決していったらいいのか、権力者というのは美しい映像を使って誘惑するとか洗脳するとか勧誘するということを行うわけですが、それにどうやって抵抗するかということを、戦後の映像の作り手たちが考えざるを得なくなっていったということがあります。今の日本の年配の方達でもレニ・リーフェンシュタールの映像を同時代で見ていた人は技術的には凄いわけですから驚いた人たちが多いわけで、今でも「あれは凄かった」と言う人もいらっしゃるんですが、ただ本当はそれじゃいけないわけでして、いかに映像に誘惑されないようにするかということを考えなきゃいけないんです。

またそれに加えて今では、皆さんは自分や家族や友達の映像をビデオやケータイで撮ってると思うんですが、そうした映像を残していきますと、例えばある映像を見た場合そこに写っている人が生きているのか死んでいるのか気づかないで過ごしていることも出てきます。その人が死去していることに何年も気づかない、そんな気がしないということがあるわけです。つまり生きてるとか死んでいるという感覚が曖昧になってきているのです。例えばフランスの哲学者ジャック・デリダとベルナール・スティグレールの共著「テレビのエコーグラフィー」の中で、デリダはマクマレン兄弟の『ゴースト・ダンス』という映画で共演した女優(パスカル・オジェ)が死んだ後にその映像を見たときの衝撃を語っているのです(1)が、それは実はすでに何十年も前にアラン=ロブ・グリエのような映画作家が作品の中で言っていたことなんです。例えば彼は『不滅の女』という映画を撮っているんですが、不滅の女というのは「死なない美しいイメージ」のことなんです。要するにイメージが過剰になるにしたがってそれらが亡霊のように作用して生と死の感覚があやふやになってきます。

困ったことにもう一つには、オードリー・ヘプバーンのように若いときの美しいイメージが強力だった人の場合に、年をとったとき人々がイメージを受け入れないということも起こります。つまりイメージによって、人々が可愛い子供とかアイドルが「年をとる」という生身の人の変化を拒否してしまうということが起こってしまうのです。こういったイメージの過剰な影響力が多様化してくると、我々一人一人が対処するすべを学んでいかないとまずいのです。もちろん亡くなった方を忘れずに覚えていることができるという意味ではいいこともあるんですが、逆に愛していた人のイメージをいつまでも持ち続けられることでそれに過度に執着してしまうというような面もあって、イメージの両義性を、そのイメージがどういうふうに作られたのかをふまえて(学んで)いかないと、非常に難しい時代になってきていると思います。オーディオ・ヴィジュアルの時代になって、そうしたことは、映画を専門にしている人ではなく、よりイメージに大きな影響を受ける一般の人こそが学ばなければならない時代になってきているんです。

ドイツでは哲学では戦前フッサールという人が超越論的現象学というのを提唱していたわけですが、そこで超越論的還元ということを言っています。大雑把に言ってあることを自然なことなんだと受け取らないで、それを括弧に入れる、エポケーと言ってますが、判断停止する、見てとるということを言ってます。同時代では演劇でブレヒトが異化効果ということを言ってまして、やはり舞台の上で語られていることは自然なこととしてすぐ受け取っちゃいけないというか、伝達する媒体メディアとしての演劇のことも考えなきゃいけないと言っているわけです。で映画のほうではそれが1960年代に、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの人々の時代からやっとそういった考え方が起こるんです。

で、ドイツというのは映像において世界的にいかに影響力があったかということを考えてみますと、まず1918年から33年までのワイマール共和制時代に最も発展した、まあご承知かと思いますが、UFAスタジオ製作の、いわゆるドイツ表現主義時代の映画があります。今では巨匠とされている映画作家たちが全世界の映画に影響を及ぼしたわけです。名前を羅列していくというのはアレなんですけど・・・ルビッチ、ムルナウ、ラング、シオドマーク兄弟、ディターレ、ウルマー、ダグラス・サーク、オーストリアからのプレミンジャー、オフュルス・・・それに『嘆きの天使』のためにUFAに招かれたスタンバーグやドイツ移民のシュトロハイムのような人、技術者まで入れればかなりの数に上りますしきりがありませんが、彼らは皆才能があって数々のジャンルの代表的な作品を作ってまして、今も古びることがないハリウッド映画の美学的なある部分をほとんど彼らが作ってしまったとも言えるわけです。例えばルビッチがどれほど当時のハリウッドのコメディに影響を与えたのか計り知れません。また美学的にも当時のドイツ映画が独自の「光と影」の使い方を創出し、ハリウッド映画に影響を与えたことがよく知られています。ムルナウの影響はジョン・フォードからダニエル・シュミットのような現代の作家にまで見られます。もちろん日本の映画作家にも影響を与えています。例えば溝口健二はロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』の影響を受けた『血と霊』を撮ったことが知られていますが、人物の背景となる空間を重視するという点でむしろムルナウとの共通点が見られます。またジョセフ・マンキーヴィッツのようにドイツに滞在していてブレヒトなどの演劇に影響を受けた人もいます。

当時のドイツ映画の美学は今の映画にも痕跡を残しています。例えば今やっているクリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』はほとんど全編が穴の中で展開する映画なんですが、そうなると当然、光と影の中で語られています。イーストウッドの映画を最初から御覧になっている方ならご承知の通り、彼は影というものに執着する映画作家でして、影というのはどんな効果があるのかといいますと、見ている人がいったい何が起こっているのかを見ようと身を乗り出そうとするという、言わば観客を能動化させるのです。これは光と影を効果的に使ったドイツ映画の美学がアメリカに伝えられて犯罪映画やホラー映画の中で発展していったのですが、それが現在にも影響を残している一例なのです。それとアレクサンドル・ソクーロフの昭和天皇の映画『太陽』ですが、これはクリント・イーストウッドとまったく異なった形で、主に美術やセットの部分、室内劇で展開する演出にも戦前のドイツ映画の影響が見られます。ですから、図らずも、ドイツ映画の影響を考えると、アメリカとロシアの代表的な映画作家が日本の俳優を使っている記念すべき映画にそれが見出されるという面白いことになるわけです。

こういった戦前のドイツ映画の美学がナチス・ドイツ時代にレニ・リーフェンシュタールがやったピカピカした映像の美学にとって変わられてしまったわけなんですが、1960年代にニュージャーマン・シネマと呼ばれる一群の映画作家たちが登場してきます。ファスビンダー、ヘルツォーク、シュレーター、ジーバーベルク、ペーター・フライシュマン、ヘルベルト・アハテルンブッシュその他クルーゲとかシュレンドルフとかは割愛するとして、というのもこの時期に出てきた人々もあまりにも多いので(苦笑)、彼らは主に醜さを追求した映像で、ゲイや性転換者、容姿が醜い人やマージナルな人々等々、それまでは到底主人公にできなかった登場人物を主人公にしたのです。それに特にファスビンダーは照明にしても過度にケバケバしく安っぽい色彩等を使ったりしています。シュレーター、ジーバーベルクにはやや耽美的な部分があるのですが、サイケデリックというよりはキッチュな不快感を与えるような、青や黄色とか、どう考えてもそんな色の部屋に住みたくないようなある種の醜さといいますか、リーフェンシュタール流の神々しさから遠く離れた映像を作っていったわけです。ただ、こういった「醜さ」による美学の追求にも弱点というか限界がありまして、それは恐ろしいことに「どんな映像でも見慣れてしまう」ということなんです。「そんなもんなんだ」と観客の方も思ってしまうわけです。

現在クリストフ・シュリンゲンズィーフという人が若手の中で有名ですが、『テロ2000年集中治療室』とか『Freaks3000』とか、ファスビンダーの映画の俳優だったウド・キアやマルギット・カールステンセンらが出てきて、年老いたことを強調した醜いメイクと大げさな演技とドタバタでチープなコメディを作っています。正直一般に公開してどうなんだコレ?という代物も作ってまして、一種の映像の成れの果てというような面白い笑える映画を作っています。ただこれもどこまでいけばいいのか(笑)醜さに醜さを重ねていってもきりがないというか、結局一部の人たちのカルトになっていくわけです。ニュージャーマン・シネマの人たちは普通のアメリカ映画みたいな映画を作っている人たちにとって代られて結局廃れていったわけです。

でもニュージャーマン・シネマの70年代に、ドイツ映画は再びアメリカ映画に非常に影響を与えました。フランシス・コッポラ(『ランブル・フィッシュ』)はジーバーベルクの映画を配給したり、ヘルツォークと映画を作ろうとしたり、ヴェンダースの『ハメット』を製作しました。スーザン・ソンタグ(彼女が映画作家だったことは忘れられています)はニューヨーク映画祭のキュレーターとしてファスビンダーやジーバーベルクの紹介を行いました(2)。マーティン・スコセッシはミヒャエル・バルハウスのキャメラを通じてファスビンダーの美学を受け入れていると思います(例えば『グッドフェローズ』の全編にタレ流されるポップソングなどです。でもバルハウスの参加したアメリカ映画の最高作はポール・ニューマン監督の『ガラスの動物園』です)。その他ガス・ヴァン・サントやハーモニー・コリンなど、ヘルツォークの影響を感じさせる人々も出てきています。それにジム・ジャームッシュもいます(『ブロークン・フラワーズ』で彼はビル・マーレーの主人公にファスビンダーの映画の人物を参照したと言っています)。そういったアメリカ映画を見て今の日本人はドイツ映画のある種セコハン的な影響を受けていると言えるんじゃないかと思います。(それに今でもヴォルフガング・ペーターゼンやローランド・エメリッヒのようなハリウッドのヒットメーカーになってしまう人を何気に送り出しているのは、フランスなどにはとてもできないことなのです)。このようにドイツというのはオーディオ・ヴィジュアル的に今も昔もアメリカに対して本当に大きな影響を与えることができたほとんど唯一の国と言ってもいいんです。(このことはアメリカという国を考えるとき、極めて重要なことのはずなのに、無視されているのです。)

ところでニュージャーマン・シネマ登場以前の1960年代初めに<ミュンヘン派>という人たちがいたんですが、この人たちの映画は日本に入ってこなかったですしまったく注目もされなかったんです。でも、私はこっちの人たちのほうが実は最も重要だと考えています。この中にペーター・ネストラーやルドルフ・トーメといった人々がいて、そこにフランスのヌーヴェル・ヴァーグの中から、映画好きの方はよくご存知のジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレという夫婦が亡命してきて加わってきます。この二人は言わばカイエ・デュ・シネマの美学をドイツに伝えることになったんです。また彼らに影響を受けた後の世代に雑誌フィルムクリティークの人々であるハルーン・ファロッキとハルトムート・ビトムスキーのような人々が出てきます。こういった人たちの映画はさっきフッサールやブレヒトのところで言ったような、映画はどんな時間や空間でできているのかを見る人たちに意識させ見て取らせるような映画を作っています(ヴィム・ヴェンダースは最初はこっちの人たちに近かったのです)。例えばビトムスキーの『ジャーマン・イメージ』のような作品は、ナチスが作った映像を別の文脈で見るとどんなにおかしなものだったか、また今作られている映像が後に見てみるとどんなふうに見えるのかを考えてみると、映像は「自然」なものではなく、人工的に作られているんだということを理解しなければいけないよ、ということを教えてくれます。また彼らは古典的な映画を別の形で継承していると言ってもいいと思います。それは空間や時間を目に見えるようにするということで、それらとの関係で人間は生きていて、映像は距離をとってうまく取り扱わなければいけない、ということを教えてくれるのです。

(1)「テレビのエコーグラフィー」(原宏之訳、NTT出版)、P187~192 デリダはここでウィルヘルム・ジャンセンの小説「グラディーヴァ」を参照している。ロブ=グリエの最新作『グラディーヴァは呼んでいる』(2006)はこの小説を下敷きにしている。

(2)http://www.villagevoice.com/film/0309,sontag,42133,20.html

(2006年1月19日 同志社大学で行った講義に加筆訂正)

©Akasaka Daisuke

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