For free use of heritage

ある若者たちの劇団が田舎の家を借りてボーマルシェのフィガロ三部作を上演する練習をする。しかし資金不足や主演女優が降りるとの噂が流れ、挫折する。他方で3人の男と女の恋愛関係が進行する。クリストフ・クラヴェールの中編『私の息を切らした馬』Mon coursier hors d’haleineの物語はシンプルなものだ。この単純な中編はだが過去から未来を照らし出す現在の映像のベクトルの光と、そこで浮かび上がる忘れられた傑作の記憶をも呼び起こしてくれる。それらはヌーヴェルヴァーグの人々が相次いで鬼籍に入ってしまった現在のフランス映画にとってこの上なく貴重なものであろう。残念ながらこの新鋭の作品もまた劇場公開作品ではなく、彼が助手に就いたジャン=クロード・ルソーの作品同様にDerives.tvのおかげで見ることができるものだ。だからかつてエリック・ロメールが本質的なのは「より秘かに進行する新しい流れ」であると言ったように*、カイエ・デュ・シネマより例えばスペインのelumiereなどのほうが状況に見合ったベストテンを選んでいる現在、映画の新しい動きは公式の映画祭や大金をかけ映画館でかけられるようなフィルム作品ではありえなくなったことを見てとるべきだろう。

『私の息を切らした馬』の魅惑はまず画面にある、と言おうとすると、すぐに、いや同時に画面の交代時にある、と言いたい衝動に駆られてしまう。冒頭ボーマルシェの彫像の仰角固定画面についでおそらく室内でめくられるノートに黒いペンでプロローグの文字が書き付けられる右手のクローズアップは、その前画面の最後から聞こえる男女の電話の会話の声に書く音と差し替えられ、続く人気のない駅に列車が到着し人々が下車する2つの画面が続くとき、室内のこもった音と外の開かれた音の対位法を奏ではじめるのを観客は感じる。さらに人はその対位法にこのうえなき官能的な動きが入ってくるのを目にすることとなる。例えば第一日目のタイトルの後で部屋に入ってくる二人の女性が対話を交わした後、背中の大きく割れた淡い緑色の服の女性がひとりベッドに横たわる。画面が残った足首のクローズアップに替わり、足から顔へ舐めていく画面の動きへと続くと、突然この女性の姿に、エリック・ロメールの『クレールの膝』『O公爵夫人』をはじめとするエロティックな女たちの足や横たわる姿が宿ったかのような感覚を覚えずにはいられない。そう、確かにマジックでノートに書かれるタイトルや田舎の樹々や陽光の下に淡い色を基調とした服装を着た登場人物たちの対話は、ロメール映画の記憶に連なるだろう。しかしすぐ別の作家の強烈な記憶が割って入る。この横たわる女性の顔にかかる日光が不意に陰りを見せるとき、続く画面は外で覗く男がぎくしゃくしたどこか可笑しい動きで立ち去って行くのを目にする。その人物の背景となる空間を開けた立ち位置から観客はストローブ=ユイレの名前を脳裏に浮上させずにはおかないだろう。そう、これはロメールとストローブ=ユイレを共存させようとする無謀な試みなのだ。

晩年の『グレースと公爵』のCGによって絵画のなかにはめ込まれた俳優たちの動きの端々で露出された「限界」や『三重スパイ』の冒頭で時代物の衣装と車が通る街路にただよう「違和感」やあれこれと指摘された『アストレとセラドン』の劇中のロケット写真等等が示していたように、ロメールはストローブ=ユイレとは反対に、この場合は反ブレヒト的と言った方がよいのかもしれないが、物語とフィクションを語りつつあるメディア=映画の自己露出の関係を極力控える態度をとっていた、と言えるだろう。ストローブ=ユイレはおろか少なくともジャック・リヴェットが行った、一見自然主義的な『嵐が丘』でのファビエンヌ・バーブの芝居じみた死の演出や『シークレット・ディフェンス』の電話の声をあからさまに側から聞こえるように示したりラストで倒れ込むサンドリーヌ・ボネールがスポットを背にポーズで固まるといった演出よりもなお控えめと言えるその態度は、観客が気づかない場合には、かつて映画館で皆が安心して映画を楽しんでいた古い時代に自分の作品を帰属させようとしているのだろうかとも思える。もちろんジャン・ルノワールという共通の親的存在を考えてみても、両者のベクトルは正反対を向いているように思われるのだ。

しかし『私の息を切らした馬』は、その古典へのベクトルと現代へのベクトルの差異を、両者の後に来た者としてのスタンスに立ちながらも埋めていく。日光が刻々と変化する男女の語らう固定画面や、先述した女性がいかにもストローブ=ユイレ的な樹木を背に歌うシーンは、歌唱する女性への距離と仰角によってロメール的な艶かしさのうちに置かれる。男たちがギターを練習するシーンは、何度も中断されるリハーサルの反復にもかかわらず、フレーム内をこれまた奇術のように絶妙に飛び回る蝶々に開かれることによって、ストローブ=ユイレの厳格さよりはおおらかさによってロメールの『アストレとセラドン』の楽隊の登場シーンへと通じるものだ。転じて俳優が朗誦するのをとらえた一連の画面は『労働者たち、農民たち』の空間と光を受け継ごうとする意志が感じられる。

もしかすると1989年にランボーを引用してジャック・ダヴィラの『シスロンの田舎』を擁護した時、ロメールはこのような映画の登場を予感していたのかもしれない。この後惜しくも急逝したダヴィラのすばらしい、忘れ去られた作品は、当時も今も日本の批評家や業者から無視されている。この映画ではやはり劇団の俳優である男ミシェル・ゴーティエが恋人サビーヌ・オードパンと喧嘩して部屋を追い出されて以前の恋人の女性の住む田舎の家を訪ねるが、そこに女性の現在の恋人が訪ねてきて、最後は一軒の家に複数の恋が錯綜する予想通りの『ゲームの規則』的展開になるのだが、例えば前の恋人役のトニー・マーシャルが全裸の後姿を披露する水浴シーンやその現在の恋人ジャック・ボナフェと散策するシーン、後半特に顕著になる一つの空間に入ってきて幾度となくぶつかりそうになる人々のロングショット、さらにジュディス・マーレが立ち去ろうとするカルロ・ブラントを呼び止めるシーンで風と土埃をかぶりながらの感動的なモノローグの画面など、確かにそれは一つのカットで撮られているため、切断とつなぎによってその編集や撮影のプロセスを脳裏に浮かばせるストローブ=ユイレ的強度にまで至ってはいないのだが、あくまで自然を背景に留めながらもコントロールするよりはむしろその変化という危機状況のなかに演じる人々を置こうとするという意味で、ロメール的抑制以上のものになろうとしているように見える。さらにもちろんここで以前に述べたことがあるフランス・ファン・デ・スタークの短編『Sepio』も思い出さずにはいられない。屋外のカットはコントロールできない自然の動きや音に完璧さを崩され、完成を許されない。スタークは絶えずフォルムを侵犯する自然に「世界は未完成」で開かれていることを感得させる。

おそらく多様な映像が我々の日常にこれほどまでに入り込んでいないメディアへの考察が身近なものではなかった時代には、これらの映画によるコントロール=自然さとその外部に身をさらすことのせめぎあいやその一回性のドキュメンタリーとして劇映画を捉える視点の提起は、観客の準備不足のために戸惑いと不評しか生まなかったはずである。だがあらゆる映像とそれを作り上げるシステムの中に巻き込まれつつ生きている現在(例えば先日のチリ落盤事故の救出劇にしろ日中のデモ合戦にしろそのプロセスからしてメディアと権力の関係なしではありえなかった)、もはや映像に関わる「自然さ」をカッコ入れすること=この場合は映像を距離を置いてみること=なしには批評することはできなくなったはずなのである。

今ではアメリカ映画とて例外ではなく、例えばジェームズ・マンゴールドの「失敗作」である『ナイト&デイ』のトム・クルーズの目尻にあらわれる皺やキャメロン・ディアスのビキニ着用のためにシェイプアップされた肉体のような「明るい老い」が役柄と台詞(例えばヒッチコック『めまい』の、眠っているうちに服を着替えさせる/裸体を見るという「暗さ」が必要なやりとり)に不似合いなまま、奇しくも(41)で言及したジム・ジャームッシュが使った「かんじんの危機脱出の瞬間が見られない操作」によってクライマックスをスルーしなければならないという違和感を持たせつつ、全面的な笑いに陥ることを許さないまま「使い古されたアクションのカタログ」というシステムを眺める距離感覚を観客に与えることにどうにか「成功している」と言える。それはポルトガル映画祭2010で上映された、(40)で既に述べているミゲル・ゴメスの『私たちの好きな八月』が、監督自身が俳優に出演交渉するというフィクションに始まり村のイベントのドキュメンタリーやインタビューと混合された映像と音が分離と接着(これに関して新たな提起を行っていたのは他でもない『映画史』後のゴダール『愛の世紀』で、決定的な台詞がフレーム外で語られる時の画面は人物の後ろ姿や黒画面や手や本を写し出す、つまり近くにある映像と音がいかに遠さの感覚を与えられるかというもので、これについてはあらためて論じることもあろう)を繰り返しながらロミオとジュリエット的なフィクション(『破滅の愛』の参照)を通過し、最終的にそれをおさめた録音技師の言葉を背景にしたスタッフの演技で終るという、一方でポルトガルとこの国についての映画の歴史(『神の喜劇』から『リスボン物語』まで)をふまえつつも作り手と観客の境界を越えて我々が巻き込まれている映像的現状への「あるパースペクティヴ」=視座を提供しようとしていることにパラレルであるように見える。

これらの作品に見受けられるのは、ただ「後から来た者」というだけでなく、「私たちは初めから映像と音の網の目に捕らえられている」という意識であろう。イメージのアーカイヴ化する世界に生きている我々はより多くの映像的記憶と機能を知るだけでなくそれらをカッコ入れし距離をとる必要に迫られる。観客がシネフィルからシネコン(cine-consumer)あるいはイメコン(image-consumer)へと移行した現在、生き残ってくるのは、映像を提出する一方で自分が作り上げつつある作品のシステムを「見せる」ためにあえて自らを容易に信じさせつつ信じさせない(オリヴェイラ)消費に抗う思考の反芻を促す映像なのである。ちょうどポルトガル映画祭2010で上映された『春の劇』や『トラス・オス・モンテス』のように。むろんそれらはシステムを円滑に機能させないために容易に普及できないか人目に触れにくくなるだろう。そして他でもない批評がそれらに照明を当てることになるのである。

*カイエ・デュ・シネマn.430収録のインタビュー

(2010.10.23)




©Akasaka Daisuke

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