『家路』

マノエル・デ・オリヴェイラ監督の『家路』はパリで行われているイヨネスコの「瀕死の王」の舞台から始まる。カメラは舞台上の主演俳優ジルベール(ミシェル・ピコリ)らの演技をとらえる傍ら舞台裏に集まってきたエージェントのジョルジュ(アントワーヌ・シャペー)らのただならぬ表情を写し出していく。ジルベールの家族が事故に遭ったことを伝えなくてはならないのだ。舞台上の軽妙な演技とは対照的に、重苦しく落ち着かない態度で終演をじっと待つ人々。

そう、この時我々は舞台裏もまた一つの舞台空間となっているのに気づく。つまりジョルジュらはもう一つの舞台に入ってきて、「待機の時間」を演じるのだ。もちろんオリヴェイラはこのシーンを舞台終演までいつもの省略時間なしのドキュメンタリーの手法で、待つ人々と交互にとらえ続ける。『家路』はジルベールという老俳優の人生の一コマを描く映画だが、ここでオリヴェイラは舞台上のみならず重要な場所でありながら描かれることのない空間である舞台裏、楽屋に執着している。

数年後、孫とともに暮らしている老優は若い女優とシェイクスピアの「テンペスト」を演じる。舞台裏に帰ってくる女優の態度の変化に気づくのはまたもジョルジュだ。彼は事務所でジルベールにテレビ映画での共演を提案するが、コマーシャリズムを嫌うジルベールに拒絶される。そのかわりにジルベールはジョン・マルコビッチ扮する監督の「ユリシーズ」に出演することになるが、そのセットもまた一つの舞台のように設えられている(ちなみに出てくるのはかつてジョアン・ボテリョが『この大地の上で』の中で劇化した部分とは違って冒頭部分)。

そこでもまた重要なのは楽屋だ。鏡に向かってメイクアップされ役へと変貌していくジルベールを正面からとらえた画面はこの映画の一番美しいワンカットだ。その変貌には何よりジルベール自身が驚いているように見える。この楽屋という場所は『世界の始まりへの旅』のラストや『クレーヴの奥方』の冒頭でも現れ、俳優たちの変化を描くもっとも重要な場所の一つとしてあらわれてきたが、この『家路』のこのワンカットはそのなかで最も感動的なものだろう。そして続く「ユリシーズ」撮影シーンでは撮影を行う監督役のマルコビッチの長いクローズアップがあるが、これもまた演技とその限界をとらえるロベルト・ロッセリーニの映画以来の顕微鏡的なカメラの使用のすばらしい例だ。それはいつものやりすぎな演技を禁じられて目の前の光景にただ目を走らせるのみのマルコビッチが残した、スクリーン上での最も印象的なシーンの一つになった。

この映画はオリヴェイラの近作のなかでもとりわけリラックスした映画ではあるが、それもサイレント時代から今日までの歴史を感じさせる至芸がさりげなくちりばめられる。例えばジルベールがウィンドーショッピングをすると、不意に音が消えてしまい、仕草だけが何ともコミカルにあらわれるシーン。あるいはいつもの店のいつもの席でカフェを飲み新聞を広げる男がジルベールのおかげで空しい一人ギャグを繰り広げるシーン。かなりノスタルジックで忘れていたお約束のギャグをイメージ上のパリでやってみました的にとらえられるのだが、先々月にとりあげた『素敵な歌と船はゆく』同様巨匠のキャリアあっての業物である。

現在オリヴェイラはすでに次の『幼年時代のポルト』がヨーロッパで公開され、続く新作をもう完成させている。加えて先日ペドロ・コスタ監督がビデオで送ってくれた、『シチリア!』編集中のストローブ=ユイレを撮ったドキュメンタリーがこれまた傑作だったので、またまた今年もポルトガルからのニュースに目を凝らしていくことになってしまいそうだ。

(初出ラティーナ2002年3月号)


©Akasaka Daisuke

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