『気まぐれな唇』

初めてホン・サンスの『豚が井戸に落ちた日』を見た当時、ジム・ジャームッシュが発端となった数人の登場人物と固定画面とワンシーン・ワンカットを主とした80年代以来流行のミニマルな映画スタイルに飽きてしまっていて、正直「またかあ・・・」と思ってしまったのを覚えている。やがてそのジャームッシュが『デッドマン』以後別方向へ踏み出し、代わって『イディオッツ』のラース・フォン・トリアーがデジタル・ヴィデオを使った「ドグマ」を世界的に流行させたのは周知のとおり。で、その流行が終わってしまった今ホン・サンスの新作コメディ『気まぐれな唇』を見ると、彼がおそらくアキ・カウリスマキやツァイ・ミンリャン、あるいはルドルフ・トーメらとともにこのスタイルを守りつつ発展させた最も優れた映画作家として世界的に貴重な存在になってきたのを感じる。

『気まぐれな唇』は新作映画を降ろされた冴えない俳優ギョンス(キム・サンギョン)と二人の女の出会いと別れを描く映画だ。まずギョンスは大学時代の先輩をチョンチュンに訪ねた際にダンサーのミョンスク(イェ・ジウォン)に紹介される。やけに積極的なミョンスクの誘いに乗って一夜を明かす顛末が前半。後半はその帰りにソウル行きの列車で隣に座った女ソニョン(チュ・サンミ)から話しかけられるところから始まり、女はギョンスのことを覚えているのだが自分はさっぱり思い出せず、だが女の後を追って行き家まで行って唐突に愛の告白までするのだが、裕福な家の人妻であることがわかり・・・。

先輩に「明日の朝になると元気になるぞ」と言われた冷麺が登場した後、ホン・サンスの映画お馴染みの食事のシーンが人と人を結びつけ、その関係を変えていく。ミョンスクがギョンスと唇を重ね合わせるのは酒のほてりのためであり、ギョンスにソニョンが誰なのかを思い出させるのも焼肉の熱を手で扇ぐ姿だった。実際にほろ酔いで演じられ、台詞も直前まで渡されなかったという演出上の冒険もあってか、それらの長いワンカットを演じる女優たちはその後で演じられるベッドシーンにも劣らず艶かしく、それに当惑しスベり気味のギョンスとのやりとりは絶妙のおかしさだ。

この対照的な二人の女に対してギョンスもまた対照的な態度をとる。誘ってくるミョンスクに対しては求められても「愛している」という言葉は口にしないのだが、追いかける良家の箱入り娘ソニョンには軽々しく連発するように、主人公のリアクションのおかしさ、情けなさに一貫してフォーカスが当てられているという点では、この映画もまぎれもなくロッセリーニ以来の流れをくむものと言える。思えばシナリオをぎりぎりまで渡さず偶然をフィクションに取り込もうとする姿勢がそれを裏付けているし、そう言えばソニョンの家をつけるギョンスの歩くことになる長い路地は、『ストロンボリ』でイングリッド・バーグマンがとらえられた迷路に似た火山島の路地を思い起こさせる。

その狭い路地の奥に見える巨大な門の前でじっとソニョンを待ち続ける羽目になるギョンスは前半に先輩に聞かされた「回転門」(唐の国の姫にとりついた蛇が追い払われた門の伝説で、この映画の原題)を最後に実演することとなる、という伏線からオチまでの綿密な構成とロッセリーニ的な姿勢のブレンドが、大袈裟な主張もなくトボけたギャグのなかで気づかないほどサッサと展開していくから小気味いい。おそらくホン・サンスは従来の低予算映画、例えばにっかつロマンポルノ作品以来のファンにはその新作が待ち遠しい作家のひとりになるに違いない。ただ自己のスタイルを持ちながらエリック・ロメールが新作では大作スパイ映画にチャレンジしているように、はたして彼がすでに現れている冒険の芽をこれからどの方向に向けていくのかも興味深々なのだ。

(初出 月刊ラティーナ2004年1月号)


©Akasaka Daisuke

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