メディアと現代映画(講演)

ええと、はじめに、お招きいただき感謝致します。今の『第三帝国アウトバーン』の上映を後ろの席から拝見していたんですが、正直言って皆様の中に退屈しておられた方も結構いらっしゃったかと思います。というのも、この映画を見るということは、大半がヒトラーのナチス・ドイツ時代に建設されたアウトバーンという道路の宣伝のために当時作った映画を見ることになってしまう、今で言うところの例えば国土交通省の道路建設のための宣伝映画を延々見せられることになってしまうからです。ただそのことによってわかってくることがあります。『第三帝国アウトバーン』というのはナチス・ドイツの建設した道路についての映画というだけではなく、今も全世界で進行している公共事業についての映画でもあるということがわかってくると思います。で、さまざまなこうした事業のための宣伝やコマーシャルの映像は数限りなく製作され、多くの人々を雇用する助けになると言われます。この映画の中でも労働者たちのインタヴューがあり、すべての労働者を食わせるためだ、といいつつ実際は25万人しか雇用されなかったと言われていますが・・・。

この映画のように建設された事物が後になっていったいこれは何だったのかということを検証してみると、必ずその当時作られたCMなりフィルム資料なりイベントのための映像なりを集めてきて映画を作ることになってしまいます。で、この事物が後になって見てみると非常にバカバカしいものだったということが見えてくることがあるわけです。御覧になったようにアウトバーンは現在では見捨てられて使われなくなったり、ある場所ではナチスが敗走の際に(自ら)破壊してしまった橋や道路もあったりします。残骸とか遺跡という形でしか記録に残っていないものもあります。だからそれを回顧するというために当時作られた宣伝のための資料やフィルム、あるいは国から依頼されて絵を描いた画家の話が出てきますけど、そういったものは今(時をおいて)見ると馬鹿げたものに見えてくるのです。ただ当時これらを作っていた人々はシリアスに作っていたのであって、国家の検閲に通すために真剣に製作していたのであって、決してバカバカしいものとして作っていたのではありません。命を落としそうになったり僅かな給料で職人として懸命に作ったのですが、現在それが結果として馬鹿げたものに見えてしまうということなのです。

このことを考えてみると、当時の映画というものは、現在テレビやインターネット、携帯に配信される画像であるとか我々が身近に見るメディアの役割を果たしていたということがよくわかります。映像はまだ映画館にしかなく、人々は目で見て耳で聴いて情報を得ていたわけです。ナチス・ドイツは映画を完全にコントロールしていましてこの今見ると馬鹿げた宣伝を一般の人の目や耳に入るすべての映像にしていたんです。すべての映像といっても御承知のようにこういった宣伝は本編映画の前につけられていたのですが、本編とは何かといいますと「ほとんどが」コメディとかミュージカルのようなあたりさわりのないものを上映していたことが知られています。後から振り返ってみるとその長篇映画よりナチスの宣伝や行進などの映像とかのほうが強く印象に残っているという話も聞かれます。ナチスが意図してやったのは自分たちが作った映像がすべてを覆いつくしてしまうということで、それがメディアをコントロールすることなのです。で、今ではこんなことは不可能だと言われるのですが、実は今は別のやり方でなされている、という気がします。今は売れるもの、瞬間的に消費できるもの、皆さんが見て退屈しないもの、つまり時間が経って初めてわかってくるものはさておき、瞬間的に楽しめるものを最優先にメディアに載せることになってきています。これが資本主義というか消費主義の現実でして、それが世界的に普及していますのでそれ以外のものは放っておかれるかマイナーなメディアでしか見られないか限られた人のためのカルトという形でしか紹介されません。そういった現状を考えてみますと映画の役割というのはマルチメディアに対して見た場合に本当にマイナーなものになってしまったという気がします。例えばシネコンというハリウッド映画の上映館がありますけども、そこによく足を運んでみますと、巨大な映画館に常時人が満杯になっているということはないんですね。ちょうどここにいらっしゃるくらいの数の方が(笑)昼間なんかパラパラといらっしゃるぐらいで、いったいどうやって維持しているのだろうと思いますと、パチンコであるとかレストランであるとかデパートが併設してあってそちらに足を運ぶ人が映画館に行く、あるいは盆暮れに『スター・ウォーズ』のような多くの人が来る番組があってなんとか維持しているというのがほとんどなわけです。それを考えてみると映画というものが我々が一般に耳にし目にする映像の中で本当にマイナーな位置になってきているのが実感されると思います。ではそうなった時に映画というものが必要ないのか、耳にし目にしなくていいようなものか。今こちらにいらっしゃる中にも映画館に行ったことないとか長らく行っていなくて行く習慣というものがなくしてしまったという方もいらっしゃるかと思うんですけど、その中で映画というものが果たす役割がまだどこかにあるかなと考えてみると、一つには長い時間、1時間とか3時間とか、中には7時間とか12時間とかいう映画もありますが、そういった時間をかけてよくよく見てみないと見えてこないようなものを映画館という場所の中で集中して見きわめてみる、考えてみる、ということのために今の映画は存在しているということではないか。例えば瞬時に消費してしまう映像、つまりイベントのためにタレントたちがいっぱい出てくるCMや番組が製作されて、終わった後でそのイベントのことはすっかり忘れてしまうんですが、映画というのはそういった騒ぎがおさまった後であれはいったいどういうことだったのか振り返って検証してみる、それが当時の政治や経済に対してどんな役割を果たしていたのか見つめ直してみる、自分たちは何をやっていたのか、どんなふうに生きていたのか振り返ってみるために必要となってきた気がします。それは瞬時に消費されてしまうマルチメディアの映像が置き忘れてしまったものや伝えられないものを映画の形にして伝えてくれるわけです。だからそうした現代の映画作家たちが作っているものは複雑な感情を映画の中に出してきていますので、観客が映画が終わって映画館から出てきて何とも言えないような感情になってしまうとか、これは一週間ぐらい落ち着いて考えてみてからいい映画かどうか決めようかというようなものになってきているんじゃないかと思うんです。

例えばこの映画の監督ハルトムート・ビトムスキーなんですが、(映画の中で)写真や宣伝の映像や絵画のようないろんな映像を使っています。その映像を(作った当時から)時間を経て再度分析したり検証したりしているんですが、それはある種映画の中でしかできないことなんです。テレビというのはその時関心があることとか見聞きしたいものを伝えるのが第一の役目になっています。人々の耳目を集められないものは後回しになってしまいます。何よりスポンサーが嫌がるとされてしまいます。個人的な映画、複雑な感情や過去の検証というのはスポンサーが嫌がり普及しないものを映画にすることも多いのです。

ここでちょっとビトムスキーの他の映画についてお話しますと、『映画と死』というのは映画の中で映画について論じたヴィデオ作品で、写真を使って他の映画を研究するシリーズの一つです。この映画の中で例えばドン・シーゲル監督の『殺人者たち』という映画、アーネスト・ヘミングウェイ原作の『殺人者』の物語が終わった後で殺し屋たちが、雇い主たちに秘密があるんじゃないかということで、それを辿っていくともう一つの話が見えてくるんですが、その『殺人者たち』の最後のシーンを分析しています。この映画で面白いのは、監督自身が分析する舞台というのがちょうど刑事の取調室みたいになっていまして、殺人現場を検証する形で殺人を描いた映画のシーンを分析しなおかつそれが刑事物の一シーンになっているような面白い映画です。要するに映画を論じるということが一つの刑事物の映画を作ることになってしまうような映画で、新しい形のフィクション映画とでも呼べるものだと思います。

次に『映画と風とフォトグラフィー』という映画なんですが、これもやはりドキュメンタリー映画を論じるという身振りで映画を作ってしまうんですが、この「ドキュメンタリー映画を論じる自分」を一度撮影して、それを分析し、さらにそれを入れ子状に撮影して分析することができるということを示しています。つまり我々の日常というものもこれと同様に、例えば今私を撮影されているかも知れませんけれども、このようにいつ自分が映像に撮られているかということが、もう判断できないような世界になっています。例えば皆さんがヴィデオや携帯についているキャメラを持っていますから、すぐ撮ってお互いの姿を配信したりできます。そうした世界に暮らしていますので、もはや自分が生きている現実がはたして映像に撮られた現実なのかそれとも生身の現実なのか、それとも映像に影響された自分が起こしている現実なのか、というのがもう区別がつかない状況になっていることを示しているわけです。で、ドキュメンタリーというのは真実を撮影するものであって劇映画と違うんだというふうに大ざっぱに今も考えている人もいるかもしれませんが、もうそういう時代というのはとっくの昔に終わっていまして、真実というものもすでに作られているもの、フィクションやすでにコントロールされている情報に影響を受けていますので、それらが循環するような構造で展開していますので、どこからどこまでが現実でどこまでフィクションなのかはもう区別がつかないようにもなっています。例えば無人島にいて暮らしているような人でも、そこにやってくる人間がいてその人に出会いますと、無人島にやってくる前に影響を受けていますので、結局は影響を受けることになるわけです。だからどうやってもこの世界で映像の影響を受けることを免れないようなことになっています。ドキュメンタリーを撮ることはキャメラを持って行ってただ現実を撮ればいいということではないわけです。

次にやはりビトムスキー監督の『プレイバック』という作品ですが、オランダのフィルムミュージアムで作者不明の1920年代のフィルム断片が見つかったんですが、それはいったい何なのかということを集まった映画研究者や監督や学生たちが討論しているところを映画にしたという作品です。例えば女の子たちがたくさん出てくる断片があるのですが、これは「ビューティ・コンテスト」という題名がついていて、誰が撮ったかわからない、何のために撮られたのかわからない映像の断片でして、それは何なのかを話し合っているわけです。ある人は「ビューティ・コンテスト」と言ってるけれども、それ以前に彼らはキレイだ、と言っていたりとか、最後に一人の男がこれはパゾリーニの『ソドムの市』によく似ている、それはファシストたちが男の子や女の子を集めて拷問し虐殺する映画なんですが、女の子がその映画に出てくる子たちのように何が起こるのかわからない顔をしている、と。ある種の犠牲者のようではないか、ということです。それは討論しているだけで実際どうなのかは描かれていませんけれども、これらの出所不明な映像について話し合うだけでも一本の映画ができてしまう、というような見本の映画です。フィルムアーカイヴの人々はこういった作業をいつもやっているわけで、それを(被写体として)使っても映画ができるわけです。

このように、我々の生活は映像にとりかこまれていますので、もはやそれを分析せずに生きていくのが難しい状況なのです。にもかかわらず映像というものを娯楽とか芸術といった狭いジャンルに閉じ込めてしまっている、というのが現状なんです。例えばこの大学に映像学科がないというふうにお聞きしたのですが・・・映像というものがいったいどういった機能を持つのか、我々がそれを見ることによってどのような思考を招き寄せることになるのか、というのを検証してみないと、我々は『第三帝国アウトバーン』で見たように、情報コントロールの中で、とんでもなくムダな大事につきあわされてしまうことがしばしばあります。それは昨年アメリカで起こった一連の出来事が、はた目から見ていると馬鹿げているが当事者にとってはシリアスなものである、というのと同じなわけです。映像を検証できるかできないか、という能力によってコントロールされたりされなかったりという差がありますし、そこから距離をとることによって多様な考え方をすることが可能になったりもするわけです。そういった分析をするのが大事なんですが、実は、こういった批評的な映画、マイナーな映画、芸術的な映画という場所に押し込められているようなもの以外に、普通に映画館でかけられていて、皆さんが御覧になっているようなものの中にもそういった重要な作品があるのです。

まずジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレという二人組の、今イタリアに住んでいますが、彼らがフランスからドイツに移住した後に作った『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』という映画で、一般にメジャーな映画とはとても言えませんがDVDとして市販されていますし御覧になることもできます。これはバッハの伝記映画でして、妻であったアンナ・マグダレーナの手記をサウンドトラックで朗読する形で進められていきます。で、そこにグスタフ・レオンハルト扮するバッハによるオーケストラや独奏の演奏が・・・ほとんど演奏の映画なんですが、そういった形で進んでいきます。妻を演じているクリスティアーネ・ラング・ドレヴァンツという人が演奏する場面ですが、途中トチったりして、これは上手い演奏ではないです。なぜここを取り上げるかといいますと、フィクション映画と一般に分類されているものでも、ある種の作家がやっていることなんですけど、これは劇映画でもドキュメンタリーでもあるのだ、という映像の二面性を示すのによい場面だと思うんです。1967年に撮影されたわけですが、一方皆時代物のコスチュームを着て、バッハが生きていた時代の格好をして演奏するわけで、だから片方では演奏のドキュメンタリーであり、片方では劇映画でもある、と。ドキュメンタリーはアクシデントや偶然を取り入れることは往々にしてありえますし、完璧に作ってしまうとその作った時の刻印というものがなされないということもあります。簡単に言いますと劇映画がドキュメンタリーでもあるということは一種の芝居の上演と、キャメラが撮影している時間と空間との一期一会の出会い、それをキャメラとマイクがとらえるという意味でのドキュメンタリーなんだ、と言うことです。それをとらえるために時に失敗や、あるいは太陽が陰ったり、予期せぬ出来事に対して開け放たれていることが後に残っているということがあります。撮影当時は完璧であっても時が経ってみると技術自体は古くなってしまいますし、それ自体過去の遺物になってしまうのですが、逆に偶然や予期せぬ出来事を撮影したり録音していたことが後になってみると重大な記録になっていることもあるのです。だからそういった瞬間を取り入れた作品が後に残っていることも多いのです。例えばジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を1977年に作ったのですが、それを後で再公開するときにリニューアルするわけです。新たな技術を使ってお色直しをして出してしまいます。そうしますとこの映画は1977年ではなく直した時のものになってしまうわけです。で、これを延々やってしまいますとこの映画は完成しないんですね。その作った当時の刻印が消え去ってしまうので、それをやめたときに完成するのです。実はそれが古びた時にこの時代のことがよくわかってくるということになります。商業主義、市場に気に入られるためにやったということが後になって価値を損ねるということになってしまうことの好例と言えます。

次に皆さんがさらによく知っておられる日本を代表する映画作家、小津安二郎の『秋刀魚の味』の会話シーン、その場にいない友達を殺してしまうシーンを取り上げます。なぜこれを取り上げるかというと、小津は生前、典型的な日本のホームドラマの作り手として知られていましたし、特に問題作というものを作っていた人でもありませんでした。松竹ヌーヴェルヴァーグとして下から大島渚や吉田喜重といった人々が出てきた折には彼らに非難されていた人なわけです。今その人たちは意見を変えていますが・・・で、小津の典型的な会話シーンではよく、小津の登場人物が見た方向には向かい合っているはずの人はいないはずだ、と、視線がズレているんではないか、と言われます。撮影監督の証言では、同じ大きさに顔を合わせるというか調和させるために撮った結果こうなったんだということが語られています。でもこの視線のズレと同様にもう一つ大事なことがあって、小津の会話シーンをよく見ますと、ある一人が話し、もう一人に(画面が)変わり、さらにもう一人、となるのですが、その時に小津は一つの画面が終わるか終わらないかのときに、続く画面の動き出しをくっつけています。つまり動きが切れないように編集しています。このことは現実にはけしてありえない会話のテンポやリズムを生み出します。一人の動きが終わらないうちにもう一人の視線の動き出しや語り出しがなくなってくっついているわけです。なぜありえないことをやったかというと、映画のリズムや連続性をけして途切れさせたくなかったということが考えられます。そのことが小津の映画をすごく現代的なものにしています。このように製作当時わからなかったことが今になって、映像に対してあれは一体なんだったんだろうという疑問を呈してくる、そういった映像作品を作るのは、昔も今も映画でなければ不可能だということがわかります。

これにマノエル・デ・オリヴェイラ監督の『世界の始まりへの旅』の埠頭の会話シーンを並べてみます。これは小津の映画から40年近く経って作られた作品ですが、ある共通点があります。一人の人物が向かい合っている人物に語りかけているはずなんですけど、キャメラのほうを向いてしまっています。やはりそこには向かい合っている人物はいないはずなんです。人物はあたかも向かい合っている人物に語りかけるようにキャメラに向かって語っています。マノエル・デ・オリヴェイラは小津のように画面の調和や運動を考えたわけではなく、別の見解を言っています。これはキャメラの前の演劇だ、と。で、我々は日常生活でも誰かに語りかける時は演劇を行っているではないか、と。我々は演劇を通じて真実に近づくんだ、というようなことを言っています。今言ったように、オリヴェイラの映画では一幕の演劇を行うように映画の場面を作っています。オリヴェイラという人は一つのシーンをまるで一幕の演劇が目の前でリアルタイムで上演されているかのように作っていますので、そのシーンが終わる前に別のところに行ってしまったりしないわけです。で、このシーンの最後に河のボートが写りますが、その間も会話はずっと途切れていません。最終的には人々がこの場所を去るまでこの会話は続けられます。そこでドキュメンタリーの要素と劇映画を混ぜるということをやっているのです。なおかつキャメラのほうを向いて喋ることによって演劇であると。で、この映画は実際にあったことを元にして作られた演劇をキャメラに撮影しているけれど、そこには撮影している当時の現実も写っているから、ドキュメンタリーでもある、と言っているのです。このように、このわずかなシーンで多層的な現実が見られるわけです。

これにもう一つジャン=リュック・ゴダールの『ゴダールの探偵』の(ジョニー・アリデーとナタリー・バイの)会話シーンを並べてみます。ゴダールという人は向かい合った人物の会話を交互に撮ったりすることはほとんどしない人なので、これは結構珍しいシーンなんですが(註)、ゴダールは会話する人物を交互に撮ったとしても一個の画面を一人の人物へのインタヴューのように撮影しているんです。なぜわかるかというと、ゴダールは、話している人物よりも、問いかけられたり話しかけられた登場人物が反応するところを画面に撮るわけです。女のクローズアップが入ってくるところでは男から話しかけられ、それに対してリアクションする女を撮るわけです。そして次に男が写るとやはり女から話しかけられています。そして反応します。ですから要するにゴダールがやっていることというのはあるシチュエーションに置かれた人物がいったいどういうふうに反応するのか、というのを劇映画でやっているわけです。一般的にシネマ・ヴェリテという言葉があって、「真実を撮影する」ということなんですが、これをゴダールは、シネマ・ヴェリテというのは水に泳げない人を投げ込んで泳げるようになるかどうか見てみるのと同じだといっています。ある人物を不安定な状況とか危険な状況においてみてどんな反応を示すかというのをとらえるのが映画なんだ、と言っているんです。ですからこれは何でもないような「切り返し」のシーンに見えるんですが、片方では女が、片方では男が問いにどういう反応を示すかという独立した一個づつのインタヴューの連続と見ることもできるわけです。

これらはそれぞれ会話シーンですけど、このように、ただ会話というものを撮るにしても、それぞれの作家によってどこをどう撮るのか何を伝えたいのか、隠されたコンテクストはどういうものなのか、というのが後になってわかってくる、そうした撮り方になっています。で、こういうこと自体見た時にはすぐにはわからないことも多いわけです。ですからそれらを理解するためには繰り返し見てみて分析してみる必要があります。でもこういう何回も見直されるべきことは膨大な商業主義的なメディアの中に載せられてしまうと何だかわからないうちに通り過ぎてしまう瞬間なんです。それを保存していて、あれはいったいどういうことだったのかを確かめてみるためにも映画や映画館が必要なわけです。今は当然興行システムがありまして客がお金を払って満足して帰っていく、当たらなければダメな作品というふうなことを関係者が言っているんですが、実はそういう時代はとっくに終わっていて、長い時間の中で、物事を何度も見る、あるいは分析してみる作業が必要なものになっている、ということに気づいていただければいいと思います。

で最後に、『第三帝国アウトバーン』の中に出てきました宣伝映画、要するに昔の映像をたくさん見せていましたけど、これ自体はファウンド・フッテージと最近では呼ばれていますが、過去の映像と言いましても、今作られている映像もできて時間が経つとすべてファウンド・フッテージになってしまうということに気づいていただければいいんですけど、ファウンドフッテージという発見された過去の映像を使っている映画を・・・と、その前に(笑)ペーター・ネストラーという監督の『パカママ、我らの大地』というドキュメンタリー映画のことをお話したいんですが、彼はハルトムート・ビトムスキーよりも6,7才年齢が上なんですが、彼の映画が素晴らしいのは音と映像とナレーションがあるんですが、マイクで山岳地帯の上流から下流にかけていくつかのカットに割られた川の流れが出てくるんですけれども、それは音だけ聞いているだけでもどういう場所か、どういう空間の広がりなのかを我々に体感させてくれるような映画です。それが淡々と続いていきます。エクアドルの古代文明が崩壊して産業化されてしまっている現実を追っているだけの映画なんですが、これはインフォメーションや言葉では伝えきれないところ、音をマイクで拾って丹念に繋げていっているのです。ドキュメンタリーのいわゆる王道的な作品でして、まず説明であるよりはまず音と映像を見てくれというようなところで作られています。ただ現在ではこの人のような映画は一部の限られた人々にしか見られていないんですが、それはほとんどの人はドキュメンタリーというと解説のナレーションかキャプションですね、つまり文字を読んでしまうということなんです。だから淡々と山や谷や川を撮っているところで人々は退屈してしまうので、彼は映画本来がなすべきことをやっている映画作家なんですけど、そういった人が少なくなっていることの一つの象徴かと思います。

で、先程のファウンド・フッテージを使って映画を作っている他の作家なんですが、まずハルーン・ファロッキという人がいます。例えば『アイ・マシーン』という映画ではイラク戦争でも使われていた誘導ミサイルの頭に取りつけられている装置のキャメラで、ミサイルの目になって標的に飛んでいくわけなんですが、その映像を使って作られています。それに駐車場なんかの監視キャメラの映像で、それ(被写体)が何なのか認識する装置があるんですが、この追跡システムがやはり同じシステムであるということを示すシーンがあります。この『アイ・マシーン』というシリーズは三作あるんですが、映画の中心となるのはこのミサイルのキャメラの映像です。向こう(外国)の人はこれをハラキリ・キャメラとか自殺キャメラとか呼んでいるんですけれども、それは爆発して消滅するからですが、これに使われている認識追跡システムがカーナビやロボットにも使われていて、要するに武器産業との技術交換を示していて、結局我々は戦争産業に依存しているんだということを示す一例です。 もう一人アルメニアのアルタヴァスド・ペレシャンという人がいまして、ユニークなファウンド・フッテージを使った作品を作っています。この人はソ連体制が・・・今ではソ連というものがいったいどういうものだったか思い出していただかないといけないんですが・・・その体制の中にあって例えば『始まり』という革命50年を記念した映画では、過去のフッテージの運動というものをつなぎ合わせていったい何ができるかを端的に示しています。全部が走っているか飛んでいるか動いているか倒れているかという断片を細かくつなぎ合わせて実験をやっています。当時は過去の断片を使って作る映画というのはまだ珍しかったのですが、現在ではゴダールの『映画史』を初めとしてさまざまなニュース映像ですとかを使って過去の検証をする映画が頻繁に作られるようになってきましたので、この人は偉大な発明家、先駆けになった人だと言えると思います。で、結論としては映画館の中で映像を独占していて娯楽とか芸術であった時代というのは終わってしまっていて、一般的なメディアからは取り残されてしまっているように見えるんですけども、逆に取り残されているからこそやりたい放題の実験が可能で、自由なことをやっている人がまだまだいる、刺激的な映像を見たかったら依然として映画を参照するしかないような状況が続いているっていうことを言いたいのです。

・・・そろそろ時間ですので・・・それでは本日最後まで残っていただいた皆様に御礼を申し上げて終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

(註)ゴダールは『アワー・ミュージック』でかつてなく切り返しの編集を多用しているが、『愛の世紀』に続くヴィジュアル面での後退に見えるその平易さが逆に画面固有の微妙な音を聴かせることに専念させる映画になっている。サラエボの街頭を撮ったジャンプカットを含めた一つの画面から次の画面への、昼から夜への音の移行、最後のオルガ(ナード・デュー)の歩みに従ってしだいに大きく近づく波音、等。

(2005年6月7日、同志社大学 言語文化教育研究センター 第31回外国文化週間「映像で見る外国文化」 京田辺校地 多目的ホールにて。高木繁光さん及びスタッフの皆様に感謝致します。)


©Akasaka Daisuke

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