2008.1/アヌーン

続編はぜひミュージカルでお願いしたい篠崎誠監督の『0093 女王陛下の草刈正雄』(製作したテレビという媒体上受け入れ難い画面奥への演出を一貫していることと最後の作者の登場はもっと擁護されるべきだと思うし、皆言っているが前景の水野晴郎と草刈正雄を食ってしまう役者としての高橋洋の存在感を再認識した。氏にはぜひとも時代劇で、できれば梶原一騎/小島剛夕の『斬殺者』の宮本武蔵役とか『地上最強の男 竜』のキリスト/悪魔役とか演っていただきたいのだが)やその高橋洋監督の『狂気の海』(特に官邸だけで一国の危機が展開する『熱狂はエル・パオに達す』的な前半が政治的な日本のラテンアメリカ化を暗示していて見事に思う)に感じるのは、両作品とも本来ならメジャー各社が『唇からナイフ』や『黄金の眼』くらいの大予算でかつての『俺にさわると危いぜ』や『エスパイ』のようにススッと映画化しておかしくないはずを、ほとんど自主製作に近い低予算で実現しなければならない日本の現状の不自由さである。そう言えば海外ではモンテ・ヘルマンがレ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』をアイルランドで撮る(つまりドライヤーのリメイク)とかラウル・ルイスがチリでエリアーデの『令嬢クリスティナ』を撮っているというニュースも聞くが、彼らはどのくらいの予算で撮っているのだろうか。

  

その意味で最近最も驚かされたのはフランスでも不遇の作家マルセル・アヌーンの新しいウェブサイト(※)で見られる作品群で、なんと日本未公開の主に中・短編だが何本かを見ることが出来る。正直こんな小さな画面であれこれ言うのはどうかと思うが、ゴダールが製作援助したという伝説的な"Authentique proces de Carl Emmanuel Jung"(ナチス協力者だった男の戦争犯罪の裁判を演じる厳格な黒白画面とまったく別の俳優に資料朗読のように棒読みさせてミシェル・ファノが録音したサウンドがズレながら並走する、1966年のユスターシュ以前にこれをやっていたのは凄い)"Verite sur l'imaginaire passion d'un inconnu"(1974年にキリストの生涯をミシェル・マロとアンヌ・ヴィアゼムスキーの男女ダブルキャストでカットごとに演じさせ、マリアにイザベル・ワインガルテン、ピラトのマイケル・ロンズデールにキャメラに向かって「私は〜を演じます」と言わせる一方テレビ解説者としてスタジオで注釈を加えるという徹底したフィクションと演技の成り立ちを暴きながら進行する)、"Cela s'appelle L'amour"(「ロミオとジュリエット」を上演するロンズデールとクリスティン=スコット・トーマスら劇団員たちのリハーサルとディスカッションと類似の境遇のアラブ人カップルのインタビューなどからなり、1985年から5年にわたってスーパー8とV8で撮られた)"Un arbre fou d'oiseaux"(DVで撮影された女優リュシアン・デシャンのイメージと声と身振りとノイズによる何とも官能的な視聴覚音楽的ポートレート、そこに遍在する敬愛の距離をやはり一人の女優を起用してスタティックな方法論に徹した"Jeanne,aujourd'hui "と比較してみると面白い)など、低予算の苦闘の末("Verite sur..."の助成金を断られたアヌーンはハンガーストライキまでしたとか)に製作された作品群を今見ると、煽動や操作に従順な観客しか育成しないので上映がかえって危険な巷のフランス映画の遥か先を行っていることに興奮させられる。もちろんそこでもまだゴダール、ロブ=グリエやメカスが絶賛した"Une Simple Histoire"や"Le Printemps""L'Hiver"などの代表作は見ることはできないわけで、緊急にスクリーンでの上映が望まれる。何より古典作品を見ていられる安心は、結局アヌーンの映画のように、社会を左右する力を持つに至った現代の映像メディアを分析する視線を持つ観客を養成する作品に支えられることになるのだから。

(※)http://www.atelier-de-marcel-hanoun.com/ 

(2008.1.16)


©Akasaka Daisuke

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