ペーター・ネストラー インタビュー


-あなたはキャメラで何も新しいものを創造したくない、キャメラを窓のようなものとして使いたい、と言いますね。簡単に説明してくれませんか?

ネストラー:私が意図するのは歪曲された映像を提供することなく物事の核心に到達することです。歪曲は映画を作っているとき本当によく起こることです。人が見い出すことができる真実の感覚は、例えば、ジャン・ルノワールの映画のなかにあります。突如こう感じるのです:ここには開示された真実がある、とね。人は映画製作においてそれ以上先には到達しえない、と私は思いますよ。

-あなたが新しいものを創造するためにキャメラを使わないと言うとき、正確には何を言っているのですか?あなたがこう言うのは理解します。「オーケイ、そこには世界がある、私はその一部をとらえるんだ。」でもある種の世界の映像を創造せざるをえないのです。

私は途方もないことに到達しようとするのですが、それはフレーミングと映像の構造です。それは撮影以前には存在していません。そしてそれは数多くあるのです。もし私がそこより先に行くと撮影すべきものを失ってしまうでしょう。映画製作の楽しみはイメージを構築しそれをカットし何が起こっているのか、何を感じることができるのかを発見することです。特にドキュメンタリーについてはこう言えます:正しい瞬間をとらえることだ、と。ときどき人は物事を撮影し損なって記憶の中だけにそれを残しています。それもまた大いに私に訴えかけます。過去にはイメージを撮り損なったとき、気が狂いそうになったものです。今日私はイメージを止めておけるかどうか気にしません。自分が年をとったという事実とともにいなければならないのでしょう。

-映画の中の写真の背後にあるアイディアとは何ですか?私が感じるのは・・・。

「感じる」、というのは正しい言葉です。これらの写真は映画のリズムを決定するために使われたのです。そこにはイメージを静止させたり、歪めたり、流れに逆らって進むために知覚一般と手を切る、というような他の要素もあります。だからその写真にもフェイド・インやフェイド・アウトを使わないのです。そこには考え抜かれたカットがあるのです。これらの写真に加えて、アーティストの写真もあり、それらは何か別のものを表象しています。それらは映画に登場する人々によって撮られ、彼らの人生の瞬間を、アルバム写真やサーカスのポスターのように、とらえています。同時にそれらは映画のリズムを決定する休符でもあるのです。写真を使うことで私が好きなのは、そのことによって写真の覗き見性を弱めることです。人は写真を見ることによって本当に多くの異なったものを見ることができるのです。日本の歌舞伎では打楽器の一打で動作が静止したときにそんな瞬間があります。打楽器が鳴るとき俳優たちはほとんど同じ位置にいます。打楽器の音が完全に消えてしまった時、動作が続くのです。

-あなたの映画の中の写真はまさにそのことを思い出させます。あるシーンの最後では写真がスクリーン全部を占めています。そして動きは続きます。写真が写っているとき、しばしば音は消去されます。あなたにとって写真とは何か述べてくれませんか?

それは炭を使った絵画と同じ方法で作業する方法なのです。人は写真で映画を撮ることができるのですが、それらを注意深く扱わなければいけません。それらは非常に苦心して調整しなくてはなりません。写真が一本の映画の大部分を占める時、動くイメージのあるただ一つのシーンが衝撃的な効果を生むことができます。そのときには正しく使われているのです。私はその種の相互作用が好きです。私のヴェトナムについての映画では、トーマス・ビールハルトの撮った写真を使ったのですが、私はスウェーデンの子がヴェトナムの子の書いた詩を読むところを撮影しました。このシーンが非常に重要だったのは、この映画で唯一の動くイメージだったからです。

-ドキュメンタリーにおいては、人はキャメラの前の人々の自然な身ぶりについてより注意深くなり、一方劇映画においては身振りは指示されるものです。それはまったく別のプロセスだとは思いませんか?

そうですね、でもドキュメンタリーにおいても多くのことが設計されうるのです。思うに、非常に異なった多くのやり方があるのです。結果として、人が真実の瞬間を明らかにしたいときには、語られる物語のなかや、撮影されカットされる方法のなかで、ドキュメンタリーが劇映画と非常に異なっているとは思いません。

-真実の瞬間とは、正確には何を意味するのですか?

映像にもたらされる本質のことです。それは風景の一部でも身振りでもあります。そのことが真実の感覚、すべてが均衡がとれているとき人が体験する真実の一種をもたらすのです。この真実の感覚を取り込むのは非常に難しいことですし、そこにはほんのわずかの映画作家しか到達していません。私にはそれが膨大なテクノロジーで作られる今日の映画より1920年代の映画のほうにより現れているように思えます。

-例を挙げてもらえますか?

そう、私はちょうどジャン・ルノワールの『トニ』(1935)を見たのですが、この映画には普通ドキュメンタリーというジャンルで作業をする私たちのような人々に親しい非常にたくさんのことがありますが、それはまたスリリングな物語でもあります。しかし、何かが隠されていて、正確にそれが何かを把握することができないのですが、ルノワールの映画の中ではそれが機能しているのです。

-それが真実の、隠されたままである何かの一部であると考えませんか?

もちろん。そしてそれがあなたの心のレベルではなく背負っているものからものを作るという事実とともになくてはなりません。

-背負っているもの、とはその支柱があるところですか?

ええ、そしてそれが映画製作で重要なことなのです。それは本当に映画についての会話では説明できないことなのです。一本の映画はいつ本当に重要になるのか?どんな点で観客や自分にとって重要になるのか?そこには非常に多くの物事を含んでいるのですが、その重要さは説明できないままです。それは発展して、撮影のある時点になってただ「これだ」とわかるのです。それはまた他人の撮った映画の中にもそれを感じることができます。映画の作業中にはとてもオープンにならなくてはいけません。そしてそれが一本の映画を見たり本当にとらえることを難しくします。だからこそ多くの映画作家が忘れ去られたり後になってから再発見されたりするしかないのです。人はよくこう言います。「どうしてこんなに才能のある映画作家たちがその時代に認められなかったんだろう?」私は特にフランス人たちに再発見された作家たちを考えています。例えばフリッツ・ラングは1950年代には嘲笑の種以上のものではなかったのです。

-テクストのひとつで、あなたはかつてロベール・ブレッソンの「映画の80%は音だ」という言葉を引用しています。あなたにとって、音はどのように重要なのですか?

私の多くの映画では、何かをあらわにしたり、同時に、観客に考えさせるために、音を消去したり音が不意に加わったりします。音を取り去ることで強調をも創造することができます。それが何であれ、何かが観客の心に届くのです。私の『ギリシャにて』という映画では、小さな村の住民への戦争犯罪を扱っていますが、そこではある条約文が読み上げられます。同時にその村の時代について話す、ある女性のナレーションがあります。彼女は山への逃亡、飢えと乾きの時代を思い出し、コップがなかったので靴で水を飲んだことを回想します。人はこの恐ろしい出来事の全体を覆う条文の一方でこの女性の声による犯罪の一つのイメージを得て、あなたに完全な映像を与えます。私はキャメラの前で苦しみをあらわにするようなことのために人々を登場させることには少々留保があります。しかしながら、この犯罪について語ることは重要だったと思います。私は最終的に何が私をそうさせたのか、またなぜ歴史的出来事に惹かれるのかは説明できません。それは説明を超えたところにあるのです。

-なぜです?

そうですね、歴史的出来事について読んだり過去の出来事の写真を見たりすることは深く私の心を動かします。私はおそらく普通の人よりも500年前の出来事を近く感じるのです。たぶんそれは子供の頃、私の祖父が前世紀初頭の南米やアフリカの探検隊に加わったことと関係あるに違いありません。彼が旅行から持ち帰った物を家で博物館のように展示していたのですが、それは私を魅惑したのです。それから、第二次世界大戦の記憶もあり、それはナチスの犯罪を思い出させます。それは私の子供時代の一部なのです。米軍がやってくる少し前に、私は家の窓から、通りを行進する人々や、捕らえられ強制収容所に連れて行かれた女性たちを見ました。彼らを擁護するものはもはやなく、彼らを匿う人は死刑にされていました。私の母は戦争が終わるまで地下室に彼らを匿っていました。私の個人的な体験はおそらくこの主題が常に私の作品に戻ってくる理由でしょう。それは歴史であると同時に今も生々しく私の下にやってくる記憶なのです。ときどき私はそれに打ちのめされて歴史の暗黒時代から逃れようとしますが、『Die Nordkalotte』のように、なぜかそこに戻って来てしまうのです。結局、ドイツ人がヨーロッパ全土に流血の遺産を広めたのです。私が歴史に魅惑された理由は、ファインアートにも由来します。私は何百年も前に作られた絵画が生き生きしていることに感動します。2000年前の絵さえ、私の時間の感覚を混乱させるほど信じがたい生き生きとしたものなのです。それを考えると、このことが私が映画に絵画やデッサンを使うのが大好きな理由かも知れません。

-あなたは「なすがままにせずに語る」と呼ぶものが好きですね?

ええ、親しげでない、礼儀正しくない、という意味で「なすがままにしない」のです。それは観客が従っている形式の共通のルールを破ること、観客の従う道に障害物を与えることです。人はそれを無視できません。それを乗り越えなければならないからです。ベルトルト・ブレヒトはそのようなことをした人です。不意に彼は形式の共通のルールを破り、リズムを変えたのです。私もそうするのが楽しいんです。

-それを正しくとると、劇化や形式だけでなく内容についても言えますね。

もちろん内容とリズムの両方についてしなければならないことです。私が初めてスタイルの矛盾に意識的に作業をしたのは『エーデンワルドシュテッテン地方』のときです。私は老人の言葉を書き下ろしナレーターのテクストとして使ったのです。この老人は映画の最初でウサギにエサをやっているのですが、第一次世界大戦のあいだずっと穴に隠れていたことを思い出します。彼は穴の中で、骨の痛みに耐えていたのですが、直るとすぐに、厳しい仕事のために痛みがぶりかえしたと回想します。彼は村や人々やその連帯について語ります。そして彼が語っていると、突然人々がスクリーンに写し出され、映像が出来上がります。この映画は語りの短縮によって機能しますが、それはダイレクトな語り方を使うことによるのです。私は南ドイツ地方の社会的な映画の作業をしている時にこのスタイルに出会ったのです。私が話した人々は直接的に答え、私はこのような素材を使ったのです。それはより短いものです。それは物事の核心に直に届くのです。ベルトルト・ブレヒトはさほどアウグスブルグのダイレクトな語り方を使うことを追求していません。その代わり、彼は労働者階級の共通語を使うことで物事を短縮したのです。他の人々からアイディアを盗むことは本当に略奪することではありません。それはただ有益な方法です。そのおかげで人はどのように正しく使えるのかを知ることができます。私はブレヒトが他の人々のコピーをしたように、彼からこの方法を学びコピーしたのです。

訳;赤坂大輔

(ウィーン国際映画祭より提供された2001年版カタログに掲載された"A Sense of Truth"聞き手 クリストフ・H・ブナー より 許諾後抜粋訳/配布された。転載禁)