ドキュメンタリスト?ラウル・ルイス

はじめに申し上げたいことがあります。この『Miotte by Ruiz』のDVDの提供者は私自身なんですが、何度か中断しなければならなかったことをお詫び申し上げます。ちょっと上映の過程を説明しますと、このフィルムは16mmでして、ただ16mmですと輸送費等金額がかかってしまい予算超過になりますので、製作会社のニューヨークのDuende Picturesに相談しましたところDVD-Rを送ってくれました。でも往々にして起こることなんですが、向こうで作ったDVD-Rの作業の問題があったのかこちらのデッキとフィットしなかったのか不明なんですが(東京でチェックしたときにはMacでしたが問題なかったですし、リハーサルも正常だったのですが)、突然エラーが出てしまい、やむを得ず機材を何台か取り替えなければなりませんでした。どうもすみませんでした。

で、御覧頂いた映画はラウル・ルイスというチリ出身で1973年にフランスに亡命して活動している作家の作品で、ジャン・ミオットという画家の作業を追っている映画です。絵画の制作のプロセスを撮っている映画でして、どんな謎もありません。ラウル・ルイスは日本で有名な映画としてはプルーストの原作の『見出された時』という「失われた時を求めて」の最終章を映画化したものと、最近では『クリムト』という、画家の伝記映画の形をとってますが、こちらはほとんど絵画制作のプロセスについてほんのちょっとしか描かれてません。むしろ画家と時代と周囲の人間模様を通じて都市のさすらいや風俗を入れ込んで、夢か現実かわからないような迷宮的なストーリーに仕立てていますが、これはオーストリアのプロダクションの注文映画で、メジャーな配給を通じて日本にも来たんです。が、これもまた問題がありまして、このプロデューサー・バージョンというのは90分ほどのバージョンで、ディレクターズ・カットは130分で、確かに監督は契約通り撮っているのでどちらでもかまわないというニュアンスの発言をしているのですが、長い方はパリや一部の映画祭などでしか上映されていませんしDVD化されていません(2007年11月にドイツで発売された)。ルイスに関してはこうしたことが多々起こってきます。というのも世界各地で映画を撮っている人なので、メジャーで撮るよりも自主製作や各地の公共施設の製作、あるいは弱小プロダクション製作で途中で未完成になってしまった映画やDVで製作され未公開になっている映画があります。そしてどっちかというとこうした低予算映画の方が面白い映画作家なんです。



例えばこの映画を作ったDuende Picturesというのはジョルディ・トレントという人の会社なんですが、ここでルイスは2本撮っています。1本は今日お見せした作品、もう一つは『ゴールデン・ボート』という映画で、日本でも一時期話題になったのですが結局入ってこなかったのですが、テレビのソープオペラのパスティッシュといいますか、脚本は48時間で、撮影は10日くらいで撮ったんですが、とても面白い映画です。ルイスは当時ハーバード大学の講師として招かれていたんですが、そのついでに撮ってしまったのです。これにウィレム・デフォーが創設メンバーであるNYの有名な劇団ウースター・グループの俳優たちやジム・ジャームッシュ、バルべ・シュレデールや作家のキャシー・アッカーが出演し、音楽はジョン・ゾーンがやってまして、彼のレーベルから出ているFilmworksというCDの中に入っています。ジョルディ・トレントはその他NY市の助成を受けて学校で子供たちのためのメディア・リテラシーのワークショップを行ったり、彼自身監督もやってまして、"East on the Compass"という映画を去年リンカーン・センターで行われたスペイン映画祭、Another Spanish Cinema: Film in Catalunya, 1906 - 2006に出しています。それと彼が関わった作品でルイスがイタリアで撮った「オイディプス王」の映画"Edipo/Allegoria"というのがあります。これはシチリアで撮った作品なんですが、劇を上演してそれを映画化する、というとストローブ=ユイレを思い起こさせますが、これもまた公共施設に所蔵されている作品です。

で、このイベロアメリカ圏というかスペイン語圏の映画はここ数年それぞれ非常に個性的な映画を製作していることで国際的に注目されているのですが、特にカタルーニャ圏の映画が盛り上がってきているように思われます。スペイン映画と言えば日本ではビクトル・エリセとペドロ・アルモドバルの映画だけが有名で、特にアルモドバルの映画は2、3年に1本は入ってきますからよく知られていますが、それ以外の作家たちについてはなぜかほとんど語られていません。私も連絡をいただいたバルセロナのポンペウ・ファブラ大学は映画製作に対して助成を行ったり教育に力を入れている場所で、またそこに集まってきたホセ・ルイス・ゲリンやホアキン・ホルダやそれに続く若い人々はビクトル・エリセを非常に尊敬している人々で、彼らにとって『マルメロの陽光』が画期的な作品になったのですが、やはりドキュメンタリーとフィクションの境界にあるような映画を作っていたり、また上映のほうでは大学の文化センターに(ニコラス・レイの『we can't go home again』上映やフランス・ファン・デ・スタークの特集を組んだりする)"Xcentric"という凄いセレクションのシネクラブ(1)を作ったりしています。一方ラウル・ルイスの母国チリなんですが、ピノチェト将軍が死んだ後軍事政権後に育った世代の作家が出てきています。そこにラウル・ルイスは世界的に評価された巨匠としてレトロスペクティヴが行われたりして、チリに帰って製作を始めています。彼は最初に政府の委嘱でDVのドキュメンタリーのシリーズ"Cofralandes"というものを作っています。チリに行った外国人ジャーナリストの目を通して語るという、ルイス自身長らく国を離れていたということからくると思うんですが、非常に面白い作品です。字幕もついていませんがチリのヴァーチャル・シネマテークのサイトで見ることはできます。で、チリの人のblogなんかを見ていると、巨匠として帰還したルイスとピノチェト政権の抑圧から解き放たれた若い作家の交流というのがあって、それが新しい時代の予兆となりそうな気配を抱かせます。(エリセは「スペイン映画にブニュエルという父が残っていてくれたら」という発言を何度かしているんですが、今度は彼の世代が父親になりつつあるのです。)

あと『見出された時』『クリムト』の撮影をやっているリカルド・アロノヴィッチはアルゼンチンの代表的なキャメラマン、音楽はポルトガルのジョルジュ・アリアガタで、ラテン系のスタッフによるフランスやオーストリアの大芸術家についてのレファレンスの映画というふうに言えるんです。それぞれプルーストやクリムトの映画だよって宣伝されてしまっているのですが、映画を見ればそうしたリアルな映画ではありえないことがすぐにわかります。これらの作品に繰り返し現れるモチーフで壁や装置を動かす描写があるのですが、これはルイス自身が軍事政権樹立によって亡命しなければならなかった、母国が突然見知らぬ土地に変貌してしまったという経験の具現化ともとれますし、それはまたルイス自身しばしば演劇やインスタレーション(2)でもモチーフになっているカルデロンの「人生は夢」のバロック演劇がジョルジュ・メリエスからアラン・レネに至る映画の源流になっているとも言えます。リカルド・アロノヴィッチはレネや、もう誰もが忘れていると思いますが、1980年頃アテネ・フランセ文化センターが配給した初期の映画の一つでウーゴ・サンチャゴ監督の『はみだした男』というのがありまして、これはボルヘスが脚本(原題「他者」)でジル・ドゥルーズが文章を書いている(3)映画なんですが、その撮影もやっています。『クリムト』で人物の周囲をぐるぐるまわるキャメラワークなんかはそれを受け継いでいて、ヨーロッパとラテンアメリカの相互のレファレンスの伝統を思い出させます(4)。このサンチャゴという人は、歌手として有名で狼男の映画なんかを撮ったレオナルド・ファビオや素人を起用した独自の映画製作を行っているラウル・ペロンらとともにアルゼンチン映画史の重要なインディペンデント作家の一人でもあるのです。



ルイスは、一つの映像には6つくらいの多様な機能があるのにメジャー配給映画やテレビは1個か2個の機能しか使ってない、と言っています。ただそういう多義的な映像を作りますと、メジャーな世界配給網やテレビ放映に拒まれてしまいます。こうした映像は「わからない」と業者が考えてしまう、あるいは余りに長い画面や無音の画面が続くとテレビでは放送事故と思われてしまうので流せないと言われてしまうので、本来は映画館で上映されるべきなんですが、映画配給業者もテレビ放映を前提に買ってこないと元が取れないということもありまして、結局は買えないということになります。だから現在日本の映画館では1980年代くらいまでに知られた著名な映画作家の作品か話がわかりやすい作品とかに限定されてきてしまうということなんです。これは特にメディアで起こっている、わかりやすいインフォメーション以外はシャットアウトしてしまう、排除してしまうという現象に影響されているからなんですが(これはそれ自体がメディア・コントロールなのです)、それに慣れてきてしまいますとその単純なインフォメーション以外を受け入れるのが視聴者にとって難しくなってしまう・・・というおそろしく閉鎖的な悪循環の中に閉じ込められてしまいます。そういった状況をケアしなければならないのが公的機関での上映でして、特に今では輸送費用がかからないDVDの上映というのが盛んになってきています。ですから大学や公的機関のシネクラブでの上映というのは非常に重要になってきます。特に世界各国ではこういった大学や公的機関のために製作され所蔵されている作品の中に非常に重要な映画が数多くあり、ほんとうに安い値段で上映できるのですが、残念ながら日本にはそれを知っていて交渉したり上映したりできるキュレーターというのがほとんどいないのです。だから立派な上映施設を作ってもプログラムが似たり寄ったりのものになってしまっているのです。

余談になりますが、日本でも映画を教える大学や専門学校がたくさんできてきていますけど、時々学生の映画を見ていて気になるのは非常に似たものになっていることで、それは商業的に成功することを当て込んで製作した映画しか普及せず、皆見ているものが似ていて、しかも教える人たちを模倣するということもあるでしょうけれど、視野が狭くなっているのではないかと思うんです。例えば今ならDVDがありますから他国の学校と映像を交換するとかできるでしょうに・・・これは一般の人たちには関係ないことと思われるかも知れませんが、映像の送り手が画一化してしまいますと見る方も画一化したものしか受け入れられないという先ほどの循環の中に閉じ込められてしまいますんで、このことはもしかすると邦画の製作本数増加にもかかわらず輸出が増えてないことや、観客数が増えていないのに外国映画との興行収入が逆転していることにまでつながっているのかも知れません。

話をルイスに戻しますと、彼は今日の映画のようないわゆるドキュメンタリーというジャンルに入れられる作品を数多く撮っていますが、そもそもそれがドキュメンタリーとは言っていません。例えばジャン=クロード・ガロッタのダンスを撮った『Mammame』という映画があって、ジョナサン・ローゼンバウムなんかは『赤い靴』以来のこの種の映画の傑作と言ってますが(5)、これは御覧になるとわかる通りローアングルや仰角の映像、ステージの装置を動かしたりしているのをみても、ただ中継のように撮られたのではなく再構成されているのがわかります。そしてここにもチリ軍政下の牢獄や拷問を連想させる影や照明や振り付けが施されています。そして今日の画家の絵画制作の作業と同様非常にフィジカルな、身体を使う動きの強烈な存在感を伝えてきます。で、『Miotte』のほうはそれにもまして筆を画布に運ぶまでの時間というものもとらえています。画家がじっと考えたり、身構えて色づけに取りかかるまでの時間です。ジャン・ミオットはアンフォルメルの画家としてはアメリカのジャクソン・ポロックらのアクション・ペインティングに近いと見なされているようなのですが、こうした抽象画の場合具象画と違って進行や完成がいつになるのか見ている人には本当のところよくわかりません。ですから作業中の時間は逆に謎めいたものになります。例えばやや形のある絵を描くCOBRAの画家ルチバートを撮ったヨハン・ファン・デル・コイケンの『Lucebert-Time and Farewell』のコルトレーンのサックスと詩の朗読がシンクロする部分の音楽性と比べますと、いっそうそのアイディアに取りかかる前の時間の重視は明らかです。そしてこの創造に必要な時間こそがやはりメディア社会の中で排除され蔑ろにされつつあるものだからこそ非常に重要なのです。

(1)http://www.cccb.org/xcentric/homeg.htm

(2)http://www.ateliersulmare.it/web2/ruiz.htm

(3)狂人の二つの体制 1975-1982 (河出書房新社 宇野 邦一 訳)所収

(4)以下の亡命アルゼンチン人たちによるジャック・リヴェットのインタビューを参照。

http://www.dvdbeaver.com/rivette/OK/74interview.html

(5)http://www.rouge.com.au/2/mammame.html

(2007年5月12日 同志社大学寒梅館クローバーホールで行ったレクチャーに若干の加筆訂正を行った。スタッフの皆様に感謝いたします。)




©Akasaka Daisuke

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