メディア・空間・時間・痕跡


ヴィクトール・クレムペラーは「第三帝国の言語」(羽田洋他訳、法政大学出版局)において、スタンバーグの『嘆きの天使』ではなくその前に上映されたナチスの兵士の行進を撮ったニュース映画に大きな衝撃を受けたことを語っている。スタンバーグの映画と同様実は入念に計算され尽くした撮影と編集によって組み立てられていたと想像されるニュース映画を見た当時のドイツの観客全員が、クレムぺラーのようではなく『意志の勝利』に笑い転げたルイス・ブニュエル描くところのチャップリンのように反応していたら(「映画、わが自由の幻想」矢島翠訳、早川書房)、ひょっとしてその後の歴史は違った方向へ歩んだかも知れない。「マスメディア」の地位がテレビ映像へと移った現代でも、媒介とするメディアの機能を無視して映像を「真実」と即時に結びつけてしまう危険は変わらない。湾岸戦争開戦に貢献すべく広告代理店がクウェート大使の娘を泣かせた疑似ダイレクト・シネマや、瀋陽の日本大使館への亡命家族とともに大使官員の反応をとらえるため俯瞰の角度から撮影したカメラに向かって正面の泣き顔を向けた少女を拡大してみせたワイドショーのように、テレビ映像が映画に代わってますます現前性と即答の希求性をふりかざして「真実」の名の下に視聴者を操作しようとするとき(もちろん、テレビだけではない。例えば国立競技場で行われたスポーツイベントの広告記事に、結果はあなたの目で競技場の「スクリーンで」確かめて!というのもあった)、かつてマスメディアの主役だった映画は、「元二枚目」(ゴダール)としての自らの歴史を批判的に語り知らせることで観客をそこから解放する可能性があるのではないか。

ハルトムート・ビトムスキーが自ら機械や建築物にカメラを向ける時、あるいはファウンド・フッテージを扱い提示する時、彼は自分の手法の歴史的限界をも提示しつつこの「日常の破片を通過させる」困難な作業を行う稀な映画作家であるように思える。ジャン=マリー・ストローブに賞賛され、外国人によるアメリカにおけるロードムーヴィーの最高傑作『ハイウェイ40・ウェスト アメリカの旅』がヴィム・ヴェンダースから配給したいとの申し出を受けたりした後に撮られた、ナチス時代に撮影された文化映画からの抜粋を年代順に提示する『ジャーマン・イメージ』は、公開当時から時間的に隔たった映像のセンセーショナルな部分を避けたディテールを年代順に提示しているが、それでもなお第三帝国のグロテスクなまでの思考を露出させているメディア批判の傑作だ。クリーンで美的で力強い社会を作り上げるというメッセージは、第三帝国崩壊を超えて今も人々の思考の部分に巣食う何かなのだ(ハルーン・ファロッキは、湾岸戦争以後のミサイルのCFは「スマートさ」をウリにしていると指摘している)。一瞬鮮やかに空中にまき散らされるナチスの紋章のイメージ、『戦艦ポチョムキン』の船上の革命をスポーツに置き換えるというアイディア、鉄鋼強国が作る「美しい銃弾」・・・が、敗戦と社会崩壊の色濃くなるに従って狂気じみた様相を帯びてもまだ従来の美的イメージに固執するときに起こる笑いは、いずれどこの国の近年のファウンド・フッテージのディテールが年代順に提示された時に巻き起こす類いのものでもある。ビトムスキーと共同監督のミューレンブロックは、ナチス固有のお馴染みのイメージのステロタイプを提示することは遠い昔の特異な国についての閉ざされたディスクールの中でかえって観客を安心させてしまうことを知っていたのだ。

撮られた当時には見えなかったものを指摘することによって今我々が何ものかを見過ごしつつあることに気づくこと、それはビトムスキーとともにかつて共同作業をしたことのあるハルーン・ファロッキとの共通の主題でもある。ファロッキの代表作『この世界を覗く-戦争の資料から』は終戦前にアウシュヴィッツを撮った米軍機の航空写真から、強制収容所を認知することができなかったエピソードを中心に、メディアがとらえた映像について当時の人々が読み取れなかった兆候から視線の不在を批判している。そしてこの視線の不在は『囚人を見ているのかと思った』の監視装置と『遠い戦争』のミサイルにとりつけられたキャメラのとらえた映像に至って、システムからの人間の駆逐が完成する。そこでは見ること、認識は機械に委ねられ、我々と機械の立場は逆転する。つまり今では機械=メディアが人間の視線を限界づけコントロールしているわけだ。ゴダールの『パート2』にアイディアを得た『アイ・マシーン』シリーズの併置されたふたつの画面とズラされた編集は、使われている素材とは反対に、我々の視線が限界づけられた機械の視線を超えてふたたび疑念や批評的視線や歴史的意識といった自立性を回復できるのかどうかを緊急に問うている。視線の欠如こそ我々の破滅へと直接的につながるものだからだ。

テクスト、編集により依拠するファロッキに対し、ビトムスキーは影響を受けた先人たちのように、より物質の様相、空間、距離にこだわる。例えばストローブ=ユイレの『歴史の授業』の車の走行を後方からとらえた長い台詞のない画面は、ローマについての様々なテレビ番組が伝えてくれない町の汚れ、音、雑多さ等の顕微鏡的な動きに目や耳を導く細部をダイレクトに伝えてくれる。それはインフォメーションではないもの、テレビ番組ならいわゆる「放送事故」と呼ばれカットされてしまうようなもの、だがまぎれもなく存在した時間や空間のドキュメントだ(ストローブが『労働者たち、農民たち』はテレビのトークショーへの挑戦だと言っているのも、メディア批判の点から再考してみる必要があるのではないか)。またそれはネストラーがチェルノブイリ原発事故後のラップランドの古い文明の衰退を語った近作『北ノルトカロッテ』(1991)Die Nordkalotteの、山を下りながら河や谷、その音を延々と撮っている画面にもあるのだが、ビトムスキーは彼らが示した凝視の姿勢を機械や建築やファウンド・フッテージに対して用いるのだ。『フォルクスワーゲン・コンプレックス』の車のドア部分が大量に釣り下げられ、静かな空間を滑って行く素晴らしいシーンがある。そこでコンベアを追ってカメラが横移動していくと、遠くから作業場の喧噪が聴こえてくる。加工され変形され構築され、そして廃棄される物質を追うことで知覚される労働の空間と時間。『イマジナリー・アーキテクチャー』でハンス・シャルーンの残した建築物の中を監督自身が歩き回ったり人を歩かせたりしているのも、人とともにある空間を被写体とするためであり、それは運動によって見えてくるのだ。そしてビトムスキーが特に廃棄されていく製品に執着を示すのは、たぶん砕かれた破片や痕跡こそ物質本来の表情と歴史が見えてくるからである。『第三帝国アウトバーン』の、ドイツ軍敗走によって爆破された最後の原形をやっととどめて朽ち果てつつある道、『フォルクスワーゲン・コンプレックス』の冒頭の廃車工場、『B-52』の砂漠の爆撃機廃棄場。廃物を利用した元パイロットのアーティストの場面はこの映画の中で最も喜劇的なパートだ。そこで破片になった爆撃機は、嬉しそうに思い出を語るアーティストを通じて、初めて人類にとって肯定的な存在になったように見える。痕跡となって初めて見てとることができる物質の新たな様相というテーマは、『プレイバック』のフッテージ、シネマ・アンソロジーで使われた写真、モニターの映像の断片にも言えるだろう。

シネマ・アンソロジーの一つ、『映画と死』は殺しのシーンのスチールを捲るビトムスキーの異様な緊張感の手の動きと朗読で作られた、言ってみれば「犯罪映画についての番組を犯罪映画として製作する」という驚くべき傑作だ。そこで分析される殺人シーンにはいわゆる古典的傑作も含まれていて、結末も一度ならず見たことがある映画ばかりなのに、取調室で証拠写真を突きつけるように見せていくその手の運動と声にせき立てられて、各々の観客はドン・シーゲルの『殺人者たち』のリー・マービンがレーガンを撃つシーンやアルドリッチの『キッスで殺せ』のラストの原爆の爆発シーンの写真の運動とそれを描写する声から、記憶の中で絶えず不確かになってしまうイメージを新たに自分なりに「作り直す」。さらにフイルムの運動として見ていたイメージを全く異なった形の運動として発見することの驚きがここにはある。また同じシネマ・アンソロジーの一本である『シネマと風とフォトグラフィー』になると、リュミエールからロバート・フランクまでのドキュメンタリー・フイルムを映写するモニターとそれを分析するテクストを朗読しつつあるビトムスキー自身とこのビデオ作品を作りつつあるスタッフたちの動きをも撮影/映写しながら進行し、しかも精密に振り付けられたカメラの複雑な動きと複数のモニターへの映写と朗読がフリッツ・ラングの映画のように絶妙のタイミングで行われ、さらに一度語りだして途中でそれを修正し、さらにどのように修正されたかを明らかにするようにリテイク前の映像をモニターにとらえつつ新たな朗読を加えるという、製作のプロセスをドキュメントしながら進行する。もちろんアイディアはブレヒト的だが、何か新しい次元のフィクションとでも呼びたいすばらしい作品だ。そこで語られるのはドキュメンタリー映画の「演出」なのは言うまでもない。

『プレイバック』は1910〜20年代のフィルムを研究するアムステルダムのワークショップのドキュメンタリーだが、重要なのは、この作品が「メディア・リテラシーを行う人々のドキュメンタリー」になっているからだ。子供たちのビューティ・コンテストという一連のフイルムを見ながら、人々が意見を述べあう部分がある。美を競う、と言っているがこの子たちは皆美しいではないか。いや彼らはパゾリーニの『ソドムの市』のように正面を強制的に向かされているのではないか。その美しさは悲しいものなのではないか。いや、でも男の子が女の子を守るように寄り添う部分がある・・・。それは1995年における1910〜20年代のフイルム=メディアの痕跡を見て読もうとする人々の記録だ。この場合実際に作品を製作する技術者たちに、ディスクールを創造しつつある研究者たちもスタッフに加わる。将来この『プレイバック』を見ながらそのディスクールに批評を加える人々のドキュメンタリーを作ることができるかも知れない。そのときこの映画は滑稽な感情を帯びるのか?幸福な感情を帯びるのか?『プレイバック』は未来に開かれた希有なドキュメンタリーなのだ。

ビトムスキーは、デジタル映像の登場による映像と現実の直接的関係の崩壊と、戦争における映像の消滅が、ドキュメンタリーへの挑戦だと語っている。それは映像の真実性の失墜を招き、現前主義と消費のサイクルに組み込まれた我々の判断が将来「公式発表」に隷属するのをふたたび不可避にするのだろうか。それらは果たして映像の中に痕跡を追跡するのを不可能にするものだろうか。「ある意味で未来のドキュメンタリーの務めは、疑いというものを創造することです。最も洗練されたリテラシーは、そこに見えているイメージだけでなくイメージが機能する方法を読むことができるということなのです。それがドキュメンタリー製作の未来の挑戦です。いつも言っているのは、映画製作のプロセスがドキュメンタリーの一部にならなくてはならないということです。」マスメディアに対する即応性の軛から解き放たれて疑いを持つための時間と距離を確保することができるなら、我々は潜在的だった何かを視界に浮上させることができる。その作業を突き詰めるのが今のところ可能な場は、皮肉にもマスメディアの地位を失墜した映画のほうだ。ビトムスキーの作品は、映像の保存と批評と創造の循環こそがイメージに脅かされている我々に身を守る手段を提供しうる最も強力な例を身を持って示している。

参考;

"Nine Minutes in the Yard:A conversation with Harun Farocki" by Rembert Huser, www.senseofcinema.com

"The complex of images" Hartmut Bitomsky talks to Rainer Knepperges,Filmdienst,Mai 1993/ Viennale2000

"Reality would have to begin"Harun Farocki, www.bard.edu/hrp/resourse_pdfs/farocki.reality.pdf

筆者によるハルトムート・ビトムスキー監督インタビュー

ビトムスキーとファロッキのディスカッションである"Eine Metapher Fur die globale US=Prasenz" www.taz.de/pt/2002/09/05/a0123.nf/text

(2002年アテネ・フランセ文化センターで行われたハルトムート・ビトムスキー監督特集のカタログに掲載されたテクストに加筆訂正)

©Akasaka Daisuke

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