マティアス・ピニェイロ インタビュー2024

マティアス・ピニェイロ監督への10年ぶりのインタビューである。(前回はこちら)自分としてはインタビューという仕事は終わりと考えていたが、今回は前回からの継続であり、彼自身の作品の変化とともに、その活動が現在の世界のインディペンデント映画の潮流(『エルミア&エレナ』でのアメリカのNY・ブルックリンの人々、アルゼンチンのパンペロ・シネ、スペインのガリシア、特にロイス・パティーニョとの共同制作など)のキーになっていることもあり、現在のクリエイティブな流れに興味のある人には非常に重要だろうと思う。

ーまず最初に、あなたの新しい作品『You burn me』についてですが、この映画の出発点はどこにあったのでしょうか?

マティアス・ピニェイロ; 出発点はパヴェーゼのテクストだったのですが、特にそのテクストの抵抗感でした。なぜなら、最初に『レウコとの対話』を読もうとしたとき、最後まで 読み終えることができなかったんです。私にとって簡単なテクストではなかったので、しばらく放っておいたんです。それからまた読み返して・・・ストローブ=ユイレの映画で知っ ていたので、そのテクストを読み終えたかったんです。 そして読み終えたんですが、その時に、海の泡、詩人サッフォーと女神ブリトマルティスの章を見つけたんです。そして、それは本当に私を惹きつけました。その章だけが、個人的に何らかの形で私の注意を引いたのです。それで、シェイクスピアのコメディに惹きつけられたのと同じように、 それを使って何かができると感じましたが、どうすればいいのかわかりませんでした。
そのわからないことが、この作品をとても魅力的なものにしているのです。映画を15年間 作り続けてきましたが、私をワクワクさせる素材があるのに、どうやってそれを表現すれば いいのかわからないというのは、とてもエキサイティングなことでした。 それが私を惹きつけた力のようなものでした。それから、女優たちと会話しているうちに、サッフォーに興奮を覚えました。 そしてテクストやサッフォーの生涯や作品への興味が湧きました。シェイクスピアを扱ったようには、 このテクストでは同じことはできませんでした。 ですから、腰を落ち着けてそれについて 考えるのはとても興味深いことでした。

ー脚本を書き始めたのはいつですか?

脚本ではなく、テクストがありました。実際には、テクストが最初にあって、そこからサッフォーが生まれ、サッフォーから詩が生まれました。 そして、詩が私に何かを試してみようと思わせたのです。

ー映画を撮り始めたとき、登場人物はいなかったのですね。

いませんでした。撮影を始めたとき、私は記憶術ゲームと呼んでいるものを撮影し始めまし た。詩をめぐる記憶ゲームです。私は、言葉にイメージを関連付けるというアイデアを持っ ていました。そして、サッフォーの詩を人々が記憶するための装置のようなものを考案しま した。引用符付きの便利な映画のようなもの。人が訪れて、そこから何かを持ち帰るよう な、サッフォーの詩の生きたアーカイブのような便利なものです。ある種の遊び心を持って です。それが最初のアイデアです。 最初に撮影したのは、カメラマンのトマス・パウラ・マルケスというポルトガル出身の映画監督とです。当時、私たちはサン・セバスチャンに住んでいました。 これらの映画の多くは、私が働いていたサン・セバスチャンの映画学校EQZE(=Elías Querejeta Zine Eskola)から生まれました。まず、彼女(トマス・パウラ)と一緒に、私たちは16mmのボ レックスで撮影に出かけることにしました。 このような文法を作るには、非常に異なる映 像が必要です。これらの映像は、詩の言葉と関連付けるつもりでした。ですから、当初はパヴェーゼが最初だったとしても、最初に撮影したものはサッフォーに関係するものでした。2番目に撮影を始めたのは、記憶術のゲームに使える映像でした。しかし、それはパヴェーゼのテクストと何らかの関連がありました。 パヴェーゼが突然「映画を見ろ」と言ったとしたら、私は「映画を見る」を撮影しに行きました。 テキストが崖で起こっているとしたら、私は「崖を撮影しよう」と言ったでしょう。 それでも、キャラクターはいなかった。4番目の瞬間になって初めて、キャラクターを登場させるようになった。

ーしかし、映画が始まると、そこに生物学の女子学生がいる。

ええ、それは後で撮影された。映画は編集の映画、編集で作られた映画です。そして、映画 は常に考え、書き、撮影し、編集し、考え、書き、撮影し、編集するということを20回以 上繰り返しました。ですから、他の映画の撮影とは違いました。なぜなら、私の演出は 変化する必要があったからです。だから、撮影方法も変えなければなりませんでした。問題 は、どう変えればいいのか分からなかったことです。無理に変えようとは思いませんでした。 ただ、私が選んだ素材から自然に変化が生まれることを望んでいました。パヴェーゼの文章、サッフォーの詩、そして私が抱いていたいくつかのアイデア。 それで、素材を足し始 めました。最初は編集しませんでした。時間がかかりました。 4回目に撮影に出かけたと きに、パヴェーゼのテクストの作業に取り掛かりました。そして、その文章を何度も撮影しました。最初からわかっていたのは、ナレーションがたくさん入るだろうということでした。そして、それと相反するものも必要でした。ナレーションが入るけれど、人々が話し、彼らが見えるような場面も作りたかったのです。すべてが構 成できると分かっていました、ぼかしを入れたり、変更したり、多くのことができたからです。それで、生物学の学生が出るアイディアはその後でした。最後のアイディアの1つでした。 でも結局は変えて、それが良かった。それで学生たちは博物館の像のところに行った。

ーその場面も撮影したんですか?

ええ、問題は、前後をはっきりさせるのが難しいことでした。 すべてがごちゃ混ぜになっているからです。私がやっていたことの途中で、生物学の学生を撮影しました。終わりではなく、途中です。なぜなら、私は特定の劇的な場面を入れたかったからです。非常に断片的なものです。それで、このキャラクターに少しフィクションを入れました。フィクションも少し入れたかったのです。詩をフィクション化するために。

ー2人の女優が演じると決めたのはいつですか?

それはパヴェーゼのテクストのおかげです。対話だから俳優が二人いるとわかりました。だから、最初のアイデアはゲームの名前だった。二つ目のアイデアは、テクストを完 全に脚色することだった。7ページなら7ページと。しかし、脚注は使おうと思っていました。テクストは非常に濃密です。でもとても難しいです。非常に曖昧でしたから。そして、私はそれを解放する必要があると思いました。 なぜなら、私はその本を読んでいる時にとても喜びを感じたからです。そして、それに関する他の情報も読みました。パヴェーゼの生涯やトロイのヘレンの生涯について。あるいはカリプソ。 あるいはシーフォーム (海の泡)。それで、私はそのテクストを脚色したいと言いました。文学でも、この種のエッセイの側面も作りたかった。よりハイブリッドなものにするために。でも、注釈付きの映画で何が出来るのかに興味があったんです。

ー映画は注釈を付けられるものですか?

それが疑問でした。それが2つ目のアイデアでした。 脚注の中にサフォーの詩が現れま す。 パヴェーゼに関する情報が現れます。そしてフィクションのセグメントが表示されます。 生物学者。バクテリア。寄り道をすることで、私は... 他の映画では、カメラを使って寄り道をします。 パンニングをね。でもここでは、カメラをパンさせることはできないとわかっていた。 しかし、 他の多くのものに切り替えることはできた。 私が空間を延長したのは編集を通してだった。そういう意味では、この映画はよりスピリチュアルなものです。

ーサッフォーの詩の反復はとても印象的なシーンです。

とても気に入っています。リンゴについての詩。そして・・・私にとっても、それは記憶のゲームです。映画のタイトル「あなたは私を燃やす」もです。私にとって、蜂蜜でもなく、蜂でもありません。これらは記憶のゲームです。 子供たちの遊びを知っていますよね。 彼らは異なるイメージを見つけなければなりません。少し似ています。

ーすみません、お話の途中ですが・・・いつそのアイデアを思いついたのですか? 最初のポイントはそういうことです。

最初のアイデアはこの記憶ゲームです。2つ目のアイデアは脚注をどう適応させるかという ことです。3つ目のアイデアがあったかどうかはわかりません。3つ目のアイデアは...3つ目のアイデアがあったかどうかはわかりません。おそらく... それぞれのバランスを取る...第3のアイデアはなかったかもしれません。主なアイデアはそれだけです。

ーテキストの適用以外にはなかったのですか?

脚注です。そして第3のアイデアは・・・ナレーターが第三者の声を担当することで、第三のアイデアが生まれた。視聴者をより導く方法として、そして、瞬間を創り出す方法として、生まれたんです。声が語り手を担当し、今からこのキャラクターを演じると言う。その 時、海洋生物学の学生が登場することになるわけです。つまり、ナレーターを登場させると いうことです。私の映画ではやったことがなかったことですが、誰かが「こんにちは」と挨拶し、この映画がこのテーマについてのものであることを常に示し、このキャラクターを演じることになるので、すべてが人工的なものになるわけです。これが3つ目のアイデアでし た。おそらく、テキストとイメージを 言葉に関連するテキストとイメージ、そう、詩の重 要性、そのアイデアはありますね。それが最初のアイデアです。言葉への欲望、言葉の恣意性について遊びたかった。私たちはその動物に「犬」と呼びますが、それは恣意的なものです。つまり、すぐに記号はないというアイデアです。記号の恣意性は 非常に基本的ですが、また、私はこの用途の珍しいもの、人々が何かを学び、映画が彼らに影響を与えるよう なものを作りたかったのです。彼らは暗記するのではなく、心で学ぶでしょう。映画を通して人々は変化し、何かを勝ち取るでしょう。私はただ役に立つものを作っていただけです。 何だったか、これは役に立つ労働者だったのか、パンデミックの時代に誰が役に立つのか、 誰が役に立たないのか、誰がどうだったのか、名前はどうだったのか、コンセプトはどうだ ったのか・・・パンデミックにおける重要な労働者、基礎的な人々例えば医師のような 人々、メーカーよりも医師の方がより重要であるように、どういうことなのかわからないが、それが最初に思いついたアイデアだった。私たちは、このアイデアの有用性を考えに考えた。どうやって事態を回避できるだろうかと。そのコンセプトが必要でした。例えば、エリック・ロメールの『レネットとミラベルの四つの冒険』には、パンク修理のやり方を学ぶことができる。これは有益です。映画を見に行き、映画の中でやり方を学ぶ。だから今では自分でできるようになった。水差しを置いて、それを握り、握ったものを置く。そうすればいい。私の映画では、消えかけていたものを暗記したので、もう忘れないだろう。あなたが死ぬまで忘れないだろう。だから、これはちょっとした貢献だ、と。

-色については、『Isabella』(2020)の実験の継続でもあるように思えます。

そう、色はとても興味深い。かつて雑誌「Revista de Cine」(故ラファエル・フィリペッリが主幹で、パンペロ・シネなどアルゼンチンの映画作家たちが批評を執筆している)で 3人の撮影監督のインタビューを読んだ。そのうちの1人はフェルナンド・ロケットで、彼とは一緒に仕事をした。ある時、誰かが映画製作者たちが色について興味を持っているかど うかを尋ねたところ、彼ら3人は興味がないと答えました。私はそのことに少し疑問を感じました。なぜなら、私は彼と一緒に仕事をしていたからです。それは事実なので、私は「よし、色について考えてみよう。色には何ができるのか」と思いました。そして私はジョセフ・アルバースの言葉に興味を持ちました。彼は『配色の設計 ―色の知覚と相互作用』とい う本を書いており、教育的な内容で、非常にインタラクティブで役に立つ本です。この本では、色は相対的であり、隣り合う色によって決まるという考え方を示しています。そのため、変化や曖昧さという考え方は、私にとって非常に興味深いものでした。私は、記号の曖 昧さや色の曖昧さなど、あらゆる曖昧さに興味を持っています。言葉、記憶、あなたの中で 燃えるイザベラ、関係によって変わる色の相対性、純粋なものなどという考えはない、すでに同じパンでも、隣に何があるかによって変わる、だから私はこの起こる作用が好きだ、私たちは悪人になることもあるが、それを別のものに隣に置けば、もしかしたらそれほど悪人ではないかもしれない、 そんなに悪くないかもしれない。価値観が変わるかもしれない・・・だから興味を持った。それが理由で、編集も映画の一部だ。編集は意味の可能性を 生み出す。

-『You burn me』の色の動きはとても感動的で、とても繊細で、変化する。そう、奇妙 なことに、ヒッチコックの『ロープ』を思い出しました。もちろんそれはワンシーン・ワンショット映画ですが、しかし、時間の経過を示すためヒッチコックはリールの繋ぎ目で照明を暗くしていった。またアラン・レネは『恋するシャンソン』で最後に向かって徐々に暗くするこのやり方を踏襲している・・・『Isabella』の構成は最初から決まっていたのですか。

映画の撮影を始めた時は、いつ、どう終わるか分からないままだった。そして、私たちは3 つの異なる場面を撮影するつもりだった。私は、時間が経つにつれてシーンを蓄積する必要があることを知っていたので、オーディション、撮影、編集を毎回行うようにしました。 『エルミア&エレナ』以来、私は執筆、撮影、編集、執筆、撮影というサイクルを取り入れ るようになりました。そして、このサイクルを持つことで、映画をすべて執筆してから撮影するのではなく、つまり、創造的なプロセスのサイクルが、書き直し、撮り直すというサイクルのようになってしまったので、この時も私はそのように撮りたかったし、撮るつもりで準備もしていたんです。

-あなたは『Isabella』と(ロイス・パティーニョと撮った)『Sycorax』(2021)を同 時並行で作っていたのですか?

いいえ、『Isabella』を最初に始めたとき、『Sycorax』はまだ撮影していませんでした。私は この映画をロイスと荒野で撮影するつもりだった。もっと自然な森とかでね。そ れに私は都会での撮影に慣れているから、とても違ったものになるはずだった。一度、(『仕事の日(塩谷の谷間で)』の)アンダース・エドストロームと会話したことを覚えている。そこでアンダースが私に言ったこと があって、(私たちは東京で一度会ったのだが)その時私は自転車の乗り方を知らなかっ た。それで、彼と一緒に自転車に乗るようになった。その時彼は、これで撮影のための体力をつけてるんだ、と言っていた。それで、2010年に彼が言ったこのことが、私に、映画を準備するにあたっては、精神的な面だけでなく、身体的な面でも準備する必要があるという ことについて考えさせられました。それで、私は「よし、ロイスと一緒に風景を撮影しよう」と言い聞かせました。ターナーの絵を見るために美術館に行くのではない、山登りに行 きたいという気持ちもありました。それで、私は『Isabella』で街の中心部にある公園をイザベラに最初に撮影していて、私は山とそれを組み合わせる最初のアイデアを思いつきま した。しかし、撮影しているうちに、それは私が興味を持っている時間軸の混在の方法ではないと感じました。また、その時マリオ・ベラティンというメキシコの作家の本に惹かれて いたんです。その本は『El Hombre Dinero 』というタイトルです。すべてのセリフや時間軸が混ざり合っています。すべての段落は1行1文だけで、文が途切れると、次の文が別の 段落をスペースを挟んで開始しているように見えます。ロベール・ブレッソンの「シネマトグラフのためのノート」のように。とても奇妙な構造の小説です。それは1文1段落だか ら、文は1行、段落は1行だけ。そうするとすべて断片化される。この断片化の方法に刺激されたんです。この本の形式に。だから、 2回目の撮影では、最終的にイザベラの4つの撮 影を行いました。2回目の撮影に行ったときには、すべてを断片化するつもりだということをすでに知っていました。それが、私にとって重要なことでした。もし直線的な方法でスト ーリーを語っていたら、2人の女性の競争についての映画を作っていたことでしょうが、そうしたくなかったのです。私は、成功という概念についてもっと描きたかったのです。私たち一人一人にとっての成功とは何なのか。彼女がすでに負けていたことを示すことで、彼女 が役を獲得できなかったことを知るわけです。私はサスペンスを作り出すのではなく、サスペンスを殺そうとしたのです。そうすることで、キャラクターの内面ではなく、別のことに 焦点を当てることができるのです。彼女が知りたいのはそれなのか、そして彼女にとっての 幸せや成功とは何なのか。誰がそれらを手に入れるのかに焦点を当てるのではなく、そうしないことが重要だった。直線的に考えるのではなく常に構造について考えることが、です。 それぞれの映画には独自の構造があるべきです。

同時に、例えば私が映画を撮り終えた今ならこういったことが言えるのですが、私の映画は常に断片化されていたとも言えます。例 えば『ヴィオラ』『フランスの王女』もそうでした。問題は『エルミア&エレナ』『Isabella』の後、私はより多くを欠落させ、より複雑になったのです。部分間の関係 が、です。『Isabella』ではより壊れているが、さらに『You burn me』では、少し迷子になったようになった。でもその破綻は(自分では)理解できます。断片化は、私がボレ ックスで撮影しているため、まさに冒頭から始まっている。ボレックスは、私にとって空間 と時間を断片化する。私はそれを意識的には考えなくていい。それは私に断片化を強制する のではなく、断片化はまさにカメラと技術によってショットを撮影する瞬間に生み出される わけです。無理に自分自身をその意味に追い込むことなく、つまり、このようなカメラで映 画をすべて撮影する前にアイデアを持つことではなく、ミザンセーヌ(演出)を強制することではなく、 素材によって、素材から、そう呼ばれるべきだったのです。素材は断片でした。だから、私は断片を創り出す必要がありました。しかし、フェイクではなく、最初からそうする必要があったのです。だから、ボレックスが重要だったのです。デジタルではな く、アリフレックスでもなく、典型的な35mmでもなく、ボレックスが重要だったのです。 ボレックスは、私が望むことなくショットを断片化するでしょう。私が望まなくてもショッ トを断片化してしまう。ボレックスは25秒しか撮影できない。エンジンやモーターを搭載 すれば、3分間の撮影も可能だし、時には、それより長いショットも撮れる。私がそれを使うから、もっと長いショットもたくさんある。でも、もうひとつ、ダイレクト・サウンドは 使えない。私にとってはそれが重要だった。なぜなら、私はダイレクト・サウンドで仕事を するのが好きだったから。自分自身で考えるために、いくつかの制限や制約を設ける必要が あった。そして、自分自身で新しい映画をどうやって違う方法で作るかを考えなかった。抽象的な考えを無理やり押し付けることで、まったく新しい方法で新しい映画をどう作るか、 どうなるかを考えました。

-サッフォーの詩に関してですが、あなたが『You burn me』で言葉を収集してカットする方法として、バロウズのカットアップやコラージュに近づいたんじゃないでしょうか。

ええ、コラージュです。なぜなら、サッフォーの詩は時代を経て、断片的に私たちのもとに 届いたからです。保存のされ方や歴史の成り立ちによって、断片だけが私たちのもとに届い たので、断片化には何かしら意味があるのではないかと思いました。断片化によって詩に何 かが加わって、何かが生み出される。それは今となっては避けられなかったことですが、そ の断片化はマイナスではなく、むしろプラスになっているような気がします。それは、詩を 何倍にも増殖させるようなもの、何かを変えるようなものです。もちろん、断片化がなけれ ばもっと良かったでしょうが、そうではありません。 重要なのはそこではなく、それが生 き残ったということと、その断片化自体が歴史について語っているということです。 それ は、なぜ空虚や空虚感があるのかということと関係している。括弧が重要なのは、ページ内 の括弧が欠如を示し、欠けている部分を何とかして埋めようとするからです。それは、アンドレ・バザンが考えたことと非常に似ています。すべてを完全に翻訳することはできない、 中間にあるもの、欠けているものによって映画において何か面白いものが生まれるかもしれ ない。だから、混成映画や浸透映画という考え方には、私にとってサッフォーのテクストと つながる何かがある。そして、なぜ古い詩が他にもあるのに、そうではないのか。断片化や制限の欠如には、何かがある。それが、その素材との私の関係を強化するのです。シェイクスピアの演劇や文学に取り組んでいたときと似ていて、それを完全に伝えることの不可能さ、抵抗こそが、私が興味を持っているものです。

-私は、『Isabella』の石のイメージや、色を塗った石にも興味があります。石はただの石ですが、人々が色を塗るとそれは変化する。そして、『You burn me』の石は少し・・・

それは考えたこともなかったが、石には抽象的な何かがあるのは事実です。まあ、形は非常 に抽象的だが自然で、しかし、具体的で、それは非常に逆説的です。パラドックスは、私が 好きなもののひとつです。

ー海のイメージもパラドックスですよね。青と緑。海の泡。とても変化に富んでいます。とても刺激的です。

そうですね、 テキストの始まり方もそうです。どれほど単調でも何かが動いている。あるいは、同じように見えるが、疑問を抱かせる何かがある。

-だから、その点でも、『レネットとミラベル 四つの冒険』(第1話『青の時間』)がつながるのでは? 『緑の光線』もですが、光が変化している。

ロメールから、映画の「自然の映像的魅力」を学んだと思う。それはとてもバザン的な、映 画の存在論と非常に密接な関係があると思います。

ーそれに『緑の光線』や『レネットとミラベル』も16ミリで撮影されています。

それに、かなり即興的だと思います。ロメールはいつもは脚本を書いていますが、彼の作品 では『パリのランデヴー』とその2本の映画は、最も即興的なものです。執筆プロセスに は、異なるアプローチがありました。私は彼から、現実の断片を混ぜ合わせる方法を学んだ と思います。それは、日が沈む現実や テクストの現実、ジュール・ヴェルヌのテキスト を、どうやってフィクションと世界の要素と混ぜ合わせるか。カメラとマイクが、ただの2 つの機械であり、それで得られたものをどうやってカットしたり繋いだりするのかを。

-それに、(ジャン=リュック・)ゴダールに近くもあるのでは?生物学の学生の話という フレームストーリーは『ゴダールのリア王』のような、あるいは『新ドイツ零年』のようです。

そう 、フィクションを少し入れたかったから。でも、その後は、短編の断片を創るという 絶対的な必要性は感じなかったんです。『レネットとミラベル』のような短編を創る必要性 は感じなかった。断片化された不完全な作品にしたかったんです。だから、この撮影に非常 に近い方法で、執筆や思考を行うことで、撮影に多くのアイデアを持っていくことができ、 撮影後に編集でそれらを変換できると考えました。その意味で、多くの変換が行われまし た。しかし、完璧な統一性を求める必要はないと感じました。これは完璧な統一を扱った映画ではなく、パラドックスや断片化を扱った映画だから。だから、あなたの言うことは理解 できる。ゴダールの映画ではフィクションが壊されているから。ロメールは古典主義とより 結びついている。19世紀の古典的な物語です。ゴダールはもっと別のもので、私も統一性を 作らないことに興味があった。10分の章は欲しくなく、映画に脚注のアイデアをもたらし、中断させたり、迂回させたりしたかったのです。そういう意味では、この映画はあま りロメール的ではないと思います。私はさまざまな人々から影響を受けていると思いますが、その影響はさまざまな側面から受けるもので、そして、それらの状況すべてをコラージ ュしたようなものです。もちろん、自分自身の撮影状況も含めてです。

-昔(1989年ごろ)、(フィリップ・)ガレルが、(ジャック・)リヴェットの映画は古 典でゴダールの映画は現代的と言っていたが、今では両方の映画監督が古典となったけ ど・・・。

まあ、ゴダールは、別の意味で決して古典にはならなかったと思うけど。象徴的な意味で、 物語的にはそれとは程遠い。彼の最も古典的な作品は『勝手にしやがれ』や『女は女である』です。私は彼の80年代と90年代前半の作品が特に好きです。

ー私は1970年代の彼のヴィデオ作品について考えています。『パート2』と『6×2』とか ね。

いや、あれはフィルム・エッセイだ。ドキュメンタリー・エッセイ映画。

-でもエッセイ映画の古典でしょう?

そう、『サン・ソレイユ』のようにね。クリス・マルケルは少し違うかもしれない、でも、 概念としてはね。『サン・ソレイユ』はもう少し詩的で高尚な感じがします。そう、『You burn me』にはエッセイのアイデアを持ち込んでいます。この映画は典型的な物語とは違います。『Isabella』は物語映画です。『You burn me』は物語を混ぜ合わせているんです。なぜなら、実際パヴェーゼの文章を脚色しているからです。文章全体を扱ったことはあ りません。パヴェーゼの文章は散文というよりも詩的です。 奇妙な文学作品のようでもあ る『レウコとの対話』は独特です。最初は小説のようだが、対話だけです。だから、すでに 奇妙です。私は、そういった交差点に惹かれる。そういう意味で統一性には惹かれないし、 断片に興味があるし、迂回にも興味がある。 そこにはちょっと逆説的な動きがある。常に 燃え続ける動きがね。それは私がコントロールできないものがある。それは重要なことで す。映画監督であるとき、あなたはコントロールしている。あなたは物事を配置し決定して いるから。しかし、映画を完成させるにはどうすればよいのか、あなたは常に踊っているよ うなもので、決して完全に確信が持てることはないが、おそらく最終版を確定させる時だけ は、(この映画の編集を何年も続けることができると言ったが)、必要があるので、映画を 完成させたが、数ヶ月後、 もうすぐ完成する予定でまだ公開されていませんが、実はこの 映画の序章となる6分ほどのショートフィルムがあり、近いうちにプレミア上映したいと思 っています。

ー今振り返って『Sycorax』と共同監督のロイス・パティーニョについてはどう思っていますか?

『Sycorax』は、私がシェイクスピアのテキストとの関係の終わりを知らずに制作した作 品です。私は短編映画をほとんど制作したことがなく、私にとって『Sycorax』は 長編映 画『Ariel』を制作する準備となる初の短編映画でした。現在(2024年)ロイスが一人でアグスティナ・ムニョスと(ポルトガルで)制作しています。しかし、私はスケジュールが合わなかったため、制作に参加できませんでした。そのため、『Sycorax』はロイスとの絆の映画としてのドキュメントのようなものとして残ってい る。彼と仕事ができて楽しかったし、彼も楽しんでいたと思う。

-7年前に私たちが会ったとき、私はあなたに「2面スクリーンが必要では?」と言ったこ とがあります。なぜならあなたとロイスの作風は非常に異なるからでした。

私が言おうとしていたのは、明らかにロイスはフィクションを書くことに非常に興味を持っていたということです。私は風景と静寂にとても興味がありました。 私たちの出会いは とても興味深いものでした。なぜなら、お互い他者の世界に興味があったからです。そして 私たちは共同作業で互いの映画の作り方について少し経験を積んだし、それがそれぞれに影響を与えたと思います。彼の映画はよりフィクション的になり、私の映画はよりハイブリッ ドになった。それが私たちに何をもたらしたのかはわからないが、少なくとも変化の感覚や 探索の感覚、持続の感覚について・・・数本の映画を撮った後、再び自分自身について考え るのは興味深いことです。

-あなたにはヘンリー・ジェームズについての別のプロジェクトがあるとか。

はい、そしてそれは 脚本を書く計画があるんです。完全な脚色です。今、書いているとこ ろです。とてもゆっくりとね。本当はもっと早く進めないといけないのですが。

-それは長編映画ですか?

ええ、フィクションの長編映画ですが、でもよくわかりません。マノエル・ド・オリヴェイ ラ監督の映画をたくさん見ていたので彼からインスピレーションを得たと思います。でも今 考えるのは難しいです。その映画にはさらなる支援が必要だからです。そして今、アルゼン チンは国家映画への資金援助を削減するというひどい状況にあります。ですから、そのよう なプロジェクトがこの状況下でどうやって存続できるのかわかりません。ですから、非常に 落胆させられています。そして、ペトラルカについての別のプロジェクトがあります。ペト ラルカのテキストは、連続する対話でもあり、 ある意味で『You Burn Me』に近いので、どうするか本当に考えないといけない。どうするかまだわからない映画だが、まあ見て いて下さい。急いでいるわけではないが、考えているし、アイデアが浮かんでいます。一方 で、よりフィクション性の強い映画があり、もう一方で、私がこれまでやってきたハイブリ ッドな探求をさらに掘り下げているような別の作品があります。

-どこで撮るのですか?例えば、ローマ?

ローマではない。イタリアではあるかもしれないが、ペトラルカにとってそれほど重要では ないからです。ペトラルカはどちらかというと北のほうに、ヴェネツィアやパドヴァ、フラ ンスのアヴィニョンはもっと重要で、ローマではない他の町もあります。でも、南フランス や北イタリアの山も・・・私は今それに取り組んでいます。私はそのことについてとてもワ クワクしています。でも、また考え直すために、オフにする時間も必要です。常に何かを作 っている自分にプレッシャーをかけているのは、少し変な感じがします。私はつい最近、2 か月前にベルリンでプレミア上映された『You burn me』を完成させたばかりです。そし て、パリのシネ・ド・レアルで上映しました。そして今、全州で数週間後に上映するという 感じで、この映画にもスペースを確保し、なんとかして世界に公開しなければならない一方 で、新しい映画のことも考えています。

-アルゼンチンから遠く離れていってますね。

うん、でもそれは偶然に起こったことです。

-ところであなたは『You burn me』であなたはもう一人(入水自殺した詩人)アルフォン シーナ・ストルニの本を撮っていますね。

ええ、なぜなら、 彼女はサッフォーのような詩人でもあり、また、パヴェーゼのように自 殺した人物でもあります。彼女の詩は私にとてもインスピレーションを与えてくれるもの で、また、ゴダールが言った文章で、私がとても好きなものは「映画には何でも入れること ができる、それができるのは映画だけだ」という文です。映画は何でもコラージュのアイデ アを入れることができる、映画をすべてそれで作ることができる、でも、実際映画とは何で もありではない。それをうまく処理しなければならない、断片にダイナミックな統一を与え なければならない。でもある意味でこのように、他のものも含める可能性があるのが好きな んです。細菌について誰も話さないけど、それも何か関係があると思った。だからそれを入 れた。海は死かもしれないし、見る人によっては生命かもしれないからね。

-まだ聞きたいことがあるのですが、ナタリア・ギンズブルグのパヴェーゼについての文章 についてです。

パヴェーゼの短いドキュメンタリーが映画に登場する時、トリノの部分はナタリア・ギンズブルグの文章と一緒にあります。彼女の証言は重要だと思ったからです。文章のトーンが面 白いと思ったんです。パヴェーゼを知る正当な声が必要だと思いました。そして、自殺とい う行為を再考するような声です。美化するのではなく。それも非常に重要だと思いました。 愛しているが、その人のしたことに同意できない人をどう尊敬するか。どうやってそれと共 存するか。彼が偉大な作家であり、天才だという考え方ではなく、どうやってそれと関わる ことができるのか?欠点のある人々をどうやって称えることができる? 私たちみんながそうであるように。何かを愛し、何かに惹かれるとき、それは何かが完璧だということではな い。実際には不完全さに興味がある。それが人間らしさなのです。

-あなたはパヴェーゼのキャラクターに興味があった?

私は、彼は自殺すべきではない理由が書かれた文章を書いたにもかかわらず、自殺したとい うパラドックスに興味がありました。彼はブリトマルティスについて書きました。それにサ ッフォーについても書いており、その文章には運命的なものを感じます。つまり、彼は自殺 すべきではない理由をすべて知っていたのです。それでも彼は自殺しました。そのパラドックス、つまり、なんというか、相容れない感情や考えが、私に映画を作らせたいと思わせるのです。 物事の確実性ではありません。サッフォーが自殺したかどうかさえ、私たちにはわからない。しかし、歴史と人々はそれを書き記したのです。ジョン・フォード『リバティ・バランスを射った男』で「人々は伝説だけを印刷する」と台詞で言われるように、サッフォーは伝説で、印刷された。彼女について我々が知っていることは、リバティ・バランス を射った男と同じくらい偽物なのかもしれない。 だから私は興味があるんです。 ナタリア・ギンズブルグはパヴェーゼを、私たちが愛する人物として描いてくれた。しか し、私たちは彼に同意していない。 私たちは彼を愛しているが、同意はしていない。どう やって折り合いをつければいいのか?

-ペトラルカについては?

ペトラルカについてはまだ少し研究中です。言うのはまだ早すぎます。 興味があるのは対話です。運命に対する救済です。理性と喜び、そして理性と苦痛の対話です。つまり、2冊の本で構成されている本です。 そして、とてもコメディ調です。私は、その本のコメディの側面にとても興味があります。とても二元論的ですが、その二元構造の掛け算が、興味深い複雑な何かを生み出します。ですから、これから見てみましょう。まだ何とも言えない。継続していると考えるのは、突然、対話に興味を持つようになったことです。文学作品ですが、対話形式のものです。私はそれが意識的な選択ではないことに気づきました。対話のみで構成される非常に奇妙な構造に向かって進んでいます。まるで演劇のようですが、演劇ではありません。そして、実際に撮影するのはそれほど簡単ではないかもしれません。映画的ではありませんが、私はそこに興味を感じます。 最初は誰も映画化できるとは思わないような題材に取り組むこと。シェイクスピアのコメディとか。 私たちはある種の学校にいるようなものです。

-ところで、あなたが働いていた学校(EQZE)というのは、ガリシア?

いいえ、サン・セバスチャンです。

ーあなたがそこで働いていた時、同じ年に、マリアノ・ジナスがいたのでは?

そう、マリアノ・ジナスがそこで教えていました。実は、全州映画祭の後にサン・セバスチャンに行って、そこで授業をするのですが。「白紙のページに逆らって」という授業です。 映画製作学科のコーディネーターでもありました。 3つの学科があります。学芸員研究、アーカイブ、映画製作です。私は映画制作を担当していました。

一人の講師が3つのコースを教えているのですか?

いいえ、学校には3つの学科があります。そして、各学科には多くのコースがあります。マリアノは1つのクラスを担当していて、そして私も、別のクラスを担当していました。でも、私は映画制作プログラムも担当していました。なぜなら、そこには芸術や自然保護プロ グラムのようなものがあるからです。そして、学芸員研究プログラムもあります。そして、 映画制作プログラムもあります。それぞれに異なる学生がいる。私たちは友人です。マリアノはかつて私の先生でもありました。

-彼のエッセイ映画についてどう思いますか?

彼は『ラ・フロール 花』の次に小品、エッセイ映画の制作を始めました。ええと、もっと 手作りの映画です。もっと親密な作品です。

-あなたはそのエッセイ映画に影響を受けましたか?

いいえ、私に影響を与えたのは、一緒に作ったビデオレターです。 でも、彼もパンデミック後にこういう作品を作り始めたと思う。 だから、彼に聞いてみるのも面白いかもしれない。つまり、僕たちのように、2020年のビデオレターが 、本当に私たちのフィルムメイキングに影響を与えたと思います。この仕事のやり方がね。ええ、マリアノは以前同じような作品『Barnearios』(2002)も作っていました。だから、彼は以前にもっとドキュメンタリー的な方法で作っていたんです。でも、それでもこれらのエッセイ映画は、『Barnearios』とは違います。マリアノは常にフィルムメーカーと しての活動と旅を結びつけていました。そして突然、これらのエッセイフィルムは、ブエノスアイレスの映画になったのです。そして私は正反対のことをしました。フィクション映画を撮ったときは、私が住んでいる都市で撮影していました。そして今、ハイブリッドな映画 を多く撮るようになって、旅行するときに撮るようになりました。 ビデオレターの制作が、私のフィルムメーカーとしての活動に影響を与えたと思います。小さなカメラで、自分ひとりで映画を制作するというアイデアに影響を与えたのです。

(下はピニェイロ監督提供の「巻き物のような」『You burn me』撮影台本の写真)

(2024年4月22日吉祥寺にて)




©Akasaka Daisuke

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