アルタヴァスト・ペレシャン インタヴュー(ロングヴァージョン)

以下は1995年10月山形国際ドキュメンタリー映画祭'95にて行われたアルタヴァスト・ペレシャンへのインタヴューである。初出はキネマ旬報1995年12月下旬号だが全体の3分の1ほどであった。ファウンド・フッテージを使い歴史的言及を行う映像作品が年々増加する中、偉大な先駆者・発明者である彼の作品は国際的に再発見されつつある。

ジャン=リュック・ゴダールによるペレシャンへの言及は「ゴダール全評論・全発言。」(奥村昭夫 訳、筑摩書房)またはユリイカ2002年5月号のゴダールとペレシャンの対話「バベルの塔以前の言語」(岡村民夫 訳)参照。
またSight&Sound2005年6月号のインタヴューで『アワー・ミュージック』(2004)の「地獄」のパートでの『始まり』(1967)の引用が言及されている。www.bfi.org.uk/sightandsound/2005_06/godard.php

その他参照 www.artavazd-pelechian.net/


-ペレシャンさんが来日されたことは本当に素晴らしいと思います。お会いできたのが夢のようです。

AP;ええ、私も素晴らしいと思います。まず私はこう言いたいです。私の本性は、この世界の終わりから始まっています。私の終わり、すなわち現在なんですが、それは世界の始まりに繋がっています。つまりこの世の始まり、日本にいることに繋がっているのです。

-私はあなたの映画が今最も独創的なお仕事だと考えていますが、それは『我々の世紀』(1982)のように実際の宇宙を対象にしていても、『生命』(1992)のように一人の女性の出産を対象としたものでも、ともに宇宙論的なヴィジョンがあり、それはまず最初に素粒子の運動ありきから始まっているように思えます。

AP;私にとって一番大切なのは生きた人間、神秘であり、自然なのです。それは小さな粒子なのです。自然は人間を生み出しながら神秘を作りあげています。映画にできるのは人間の動きを固定し定着することです。そして映画はモンタージュその他によって人間のエモーションを作り上げることができます。映画によって人間を時間の手から解き放つことができます。しかし残念ながら生きたまま解き放つことはできません。しかし物理や科学がその謎を解きあかす助けになることはできるはずです。でもスクリーンの上にあるのは例え自分のイメージの投影であっても、それは私自身ではないのです。

-謎、神秘というお話でしたが、ペレシャンさんがいつも取り上げられるモティーフがあって、それは闇の中に差してくる光というものです。運動は闇の中を通り抜けて光と衝突するエネルギーなのですが・・・。

AP;それは私の非意識的、本能的なものです。わかりますか、私は映画を踏襲するということはありません。まるで赤子が生まれてくるようなものなのです。私はその赤子のコードやシステムを見い出すのです。その組織は自ずから生まれてくるものです。私はその生まれてくる組織に対し父親として助けようとするだけです。その組織自身が私よりどこに行くべきかを知っているのです。

-闇から光への運動とともに爆発が現われます。

AP;まさにその通りです、私のすべての映画にあるものです。

-爆発は危険なもの、終わりを示すものですが、銀河系のように、同時に始まりでもあると。

AP;ええ。こういうふうに言いたいのですが・・一つの爆発は、死んでいきながら、何を生むのか知ることなく、生んでいるのです。また別の爆発は、誰を殺すのか知ることなく、殺しています。

-『我々の世紀』の中で、爆発そのものはシリアスでありながらどこか滑稽でもある歴史を構成していますね。

AP;人生と同じです。映画は生命を模倣していますから。相反した感情が隣り合わせなのです。

-終わりが始まりに通じる永遠に続く運動はこの連続体としてのこの世界=宇宙のヴィジョンだと考えておられるのですね。

AP;そうです。あなたは私の映画をとても興味深く、面白く考えておられるので私が注釈する必要はないみたいですね。あなたの考え方が気に入りましたよ。一つだけ私の言葉で簡単に言いましょう。この永遠の運動は、どういうときに生まれるのかというと、一つの粒子が不在のもとへと去って行き、別の粒子が存在のもとへとやって来るときに起こるのです。私は世界というのはそんなふうだと思えるのです。私たちが目で見ているものだけでできているのではないのです。世界を構成するものには見えるものと見えないものがあり、互いに輪を作って回っているのです。私は神がいることも知っていますが、神とは見えないものです。それは不在の中にあるのです。

-距離のモンタージュについてですが、二つの断片を接合するのではなく、引き離すのだ、とおっしゃられています。それは世界が連続しているからこそ引き離す必要があるのですね?

AP;そうです。この世界では、二つの断片が離れているほうが、隣り合っているよりもはるかに強力なのです。例えば私は、宇宙の衛星がすべて距離のモンタージュの手法によって作られていると思います。これは他方では不条理のように思えるかも知れません。これは結局「モンタージュ」=「接合」ではなく「デ・モンタージュ」=「解体」だからです。面白くなるのは、始まりがここ、終わりがここ、というふうに決まっているのではなく、逆の時のほうが面白くなるのです。始めから終わりに行くより遥かに強力だからです。私にはこの宇宙では終わりがあって始まりがある別の論理が存在するように思えるのです。

-「距離のモンタージュ」は時間軸に添った思考ではなく時間軸に垂直な思考を可能にします。時間を消去するといいますか・・・。

AP;そうです。そして逆の時間というものを作り出します。我々は時間に従属しています。でも「距離のモンタージュ」では、時間はそれに対して非常に弱いものとなります。

-例えば『我々の世紀』のように時間を超えて撮影された飛行機の落下の運動を隣り合わせにすることもできるわけです。

AP;ええ、人類は常に時間に対抗してきたのです。例えばピラミッドですが、あれも時間に対抗する手段です。古代エジプト人には全く違う映画があったのです。ファラオを時間の手から救出したかったのです。20世紀になった初めてリュミエール兄弟が映画を発明しましたが、それはまるで死体のように人間の姿を固定してしまうものでした。今映画が行っているのはエジプト人がファラオにやろうとしていたようなことです。私が今から言うことは奇跡のようなものかも知れませんが、文明によって映画が発達した時、ファラオをミイラ化したプロセスをコンピューターによって(克明に)再現することができると思います。そうすればその当時のことを見ることができるでしょう。日本やロシアなどそれぞれの国にはアーカイヴが存在しますが、私にとってのアーカイヴとは「自然」です。神もまた自分のアーカイヴを持っているのです。コンピューター等の力で映画は将来このアーカイヴを自由に使用できるようになるでしょう。そうするとアレクサンダー大王やナポレオンを復元することもできるでしょう。100年後に我々がここで会話している姿を復元することもできるでしょう。自然からは何一つ消えるものはないのです。未来の映画はそのすべてを取り入れていくのです。

-学生時代に撮られた『始まり』を作るに至った経緯をお聞きしたいのですが。

AP;革命50周年を記念する行事が行われることになり、私は「10分の中に50年を語ることができる」という企画を提出しました。「それは何かの実験だな」と言われました。学長は「どういうものになるかはわからないがペレシャンにはいい考えがあるそうだからやらせよう」と言ったのです。私はあの映像をアーカイヴから集めてきて加工しました。真っ先に私の頭に浮かんだのは「走る」ということでした。何もかもが走っているということです。「どこに向かって走ってるんだ」と聞かれたので、それは「あなた方が私に言ってくれなければね」と答えました。

-それで、「走ってない」冒頭のシーンのことですが・・黒い塊に(ショットが同軸上に)近づいていくと人々だとわかる箇所は、その後のあなたのすべての映画のヴィジョンを予告しています。原子としての人といいますか、粒子の集合としての群集の姿は、ちょっと(後の時代の)フラクタル画像のようです。

AP;私はコンピューターより早かったんです。

-また『終わり』(1992)で走っている列車の窓から見える風景の輪郭がしだいに混ざりあって消えてしまったり、『住人』(1970)の黒白の鳥たちの姿がやはり模様の運動に変化していく箇所はすばらしいです。そこでも見えないものを見えるようにするということを実現しておられます。

AP;ありがとうございます。私にとってこの「見えないものを見えるようにする」というのが最も重要な点なのです。映画は人間の顔を固定化するだけでなく、人間の感覚を固定化することもできるのです。それが映画人の最も重要な立場なのです。

-それは一つの科学的な作業といいますか・・・。

AP;そのとおりです。そこでは時間が逆に、あるいは垂直に、望むがままに動き、そもそも時間が消滅するのです。もちろんそれは新しい次元です。それは映画が「距離のモンタージュ」によって成し遂げられる新しい概念なのです。でも私は30年も前にこの作業をしているのです。ですからあなた方は(実は)30年前の私を見ていることになるのです。これは時間というものはないということを語っているのです。なぜなら映画にとって時間は何の意味も持っていないのです。

-1920年代のソ連映画、エイゼンシュテインやヴェルトフ、ドヴジェンコについて、今はどうお考えですか?伝統の上で御自身が映画を製作されているという考えも少しはおありなんでしょうか。

AP;彼らの伝統の上で作業をすることはまったくありません。もし私の映画がソ連映画の伝統を思い起こさせることがあるとするなら、それは表面的なものです。彼らは隣接しているものをただ接合しているのです。彼らは二つの断片を衝突させることによって何かの連想を呼び起こさなければなりませんでした。私の場合、距離を置いていますし、連想というものもありません。まるで河の水が流れるようなものです。もしソ連の伝統的な映画のモンタージュというものが「二つの頭が一つの体を持つ」ようなものだとするなら、私の「距離のモンタージュ」の映画は、「一つの頭が二つの体を、距離を置いて持っている」ようなものと言えるのです。これはまったく異なるものなのです。反対のものです。

-でもエイゼンシュテインやドヴジェンコの映画にも「見えないものを見えるようにする」要素の萌芽があるのでは?

AP;もしかすると彼らは考えたかも知れませんが、事実上ありませんでした。それはただ一つの理由によってそう考えられます。見えるものと見えないものがトーキーの発展を作り上げるのです。エイゼンシュテインやドヴジェンコはサイレント映画の巨匠でした。音が映画芸術に現われたとき、必要なだけ使いこなすには間に合いませんでした。だからトーキーの時代になっても、「サイレント映画の巨匠」であり続けたのです。見えるものと見えないものを扱うのは、トーキーでなくてはなりません。彼らはただ間に合わなかったのです。エイゼンシュテインは歌舞伎や能が音声を非常に有効に利用していることを見てとってはいましたが、彼ら自身が実現はしていないのです。それは彼ら自身のモンタージュが隣接したものを接合していたからです。私の映画では、映画の半分はスクリーン上には不在なのです。

-ペレシャンさんの映画は一つの視聴覚音楽の連続体になっていますね。音も一つのイメージとして扱っておられます。

AP;もちろんそうです。最も重要なことは、私の映画では音は映像であり、映像は音だということです。映像を目で見て、音を耳で聴いているにもかかわらず、そうなのです。実際は逆なのです。

-『我ら』(1969)の中で、映像上では打楽器を叩いていて、サウンドでは女の人がオペラを歌っている声があります。打撃音とモンタージュ、オペラのリズムは各々異なったリズムを持ち共存しています。

AP;それだけでなく、「間」もあります。「間」というのは音の不在を意味するのではなく、「聴こえない音」です。だからあの中には三つ以上の、たくさんのリズムがあるのです。またそれにこの映画の冒頭にあった違う音を加え、距離を置いてそれらの音を接合するなら、非常に複雑な音のプロセスが進行していることがわかると思います。ここに三つか四つの構成要素があるとします。でもそこには逆のプロセスが、さらにはその中間にはまた別のプロセスがあり、次々に互いに働きかけ、それらは一つの磁場を構成するのです。これは映画全体に一つの重力の場を作り上げるのです。観客はこの映画の中にいますが、見るというより「映画の磁場の中にいる」のです。映画以外の芸術は時間と空間の二つにおいて機能していますが、映画だけは、時間、空間、現実の運動の三つにおいて機能します。このことが映画に非常に強力な武器を与えてくれます。これが生命の模倣を可能にします。その意味では映画は芸術でも哲学でも科学でもあるのです。最も大切なのは、映画は存在するものだけを作るのではなく、存在しないものをも作ることができるということです。

-映画を学ばれる前に科学や工学を学ばれたりしていたのですか?

AP;いいえ学んでいません。でもそれはいいことでした。違った学問が妨げになることがなかったのですから。エイゼンシュテインの場合、歌舞伎が邪魔になったかも知れませんが(笑)。

-(笑)ところで『我々の世紀』の映像もアーカイヴから集めたのですか?

AP;いいえ、半分は私が新しく撮影したものです。

-宇宙飛行士と撮影された時の写真がありますが・・・。

AP;重要な部分、つまり宇宙飛行訓練や作業の部分は私が撮影しています。飛行士たちは非常に協力的で私を好きになってくれました。私の哲学や望みが彼らの気に入ったのです。私の希望したことを彼らは皆やってくれました。彼らは素晴らしい人々でした。あれは私の人生で最も良い時でしたね。

-『終わり』と『生命』はどのような経緯で撮られたのですか?

AP;作りたかったから作ったのです。初期の作品では群集を描きました。ですから今度は一人の人間についての映画を撮ろうと思ったのです。親密な仕事をしたかったのです。

-ゴダールの『新ドイツ零年』のロシア語版の「声」を担当されているということですが。

AP;ゴダール自身が『新ドイツ零年』のロシア公開に際し、ロシア語のナレーションのテクストがあるので私に読んでほしいと依頼してきました。私は「それは私の専門外だし、ナレーションが必要なら声のいい俳優を雇えば」と言ったのですが、ゴダールは私がいいと言ったのです。私もあの偉大な人物の頼みを断れませんでした。

-ゴダールの映画についてはどうお考えですか?

AP;素晴らしいと思います。あれは偉大な人物です。

-アルメニアの映画と言えば、セルゲイ・パラジャーノフをよく御存知でしたか?

AP;とてもよく知っていました。親しい間柄でした。でも一つ訂正させて下さい。パラジャーノフはアルメニアだけの映画監督ではありません。ゴダールがフランスの監督と言うだけではないように。彼らは世界的な人物ですから。パラジャーノフは未来の映画なのです。未来においてCGによる色彩のスタイルとデフォルメを語る時、再びパラジャーノフのことが思い出されることになるに違いありません。彼は偉大な芸術家でした。

-今回山形には(『オリエンタル・エレジー』製作のため、ソクーロフの録音担当の)ウラディミール・ペルソフさんが来られていますが、ソクーロフの映画についてはいかがでしょう。

AP;彼のことは非常に評価しています。彼は天才的な芸術家です。

-ソクーロフ氏も学生時代に『四季』(1972)の現場であなたからいろいろ学んだ、と言っておられました。

AP;それは彼自身のことですから。

-ペレシャンさんは「私の映画」という本を出版されていますね。

AP;これにはシナリオ、「距離のモンタージュ」の理論と私の映画について書かれた記事が収められています。

-どうもありがとうございました。

©Akasaka Daisuke

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