上演の映画ふたたび・・・『あの彼らの出会い』『第五帝国』ほか

「これで終わりか・・・本当に終わりなのか・・・」それにしてはあまりにも官能的な、ルノワール的な生の艶やかさと豊かさに充ち満ちたフィルム・・・後に短編『ヨーロッパ2005年10月27日 Europa 2005, 27 Octobre』があるが、確かに『あの彼らの出会い』はストローブ=ユイレの最後の長編になってしまったことが信じられぬ映画だ。『雲から抵抗へ』同様パヴェーゼのテクスト、いつものブーティ/フランチェスコ・ディ・バルトロ劇場の俳優たちと劇場上演後にトスカナ地方のロケで撮影されているのに、空間と人、身振りと取り巻く音、光と運動、あらゆる要素のすべての組み合わせが目と耳を開く観客をいつになく恍惚とさせる。これは、映画が受け入れられなくとも何故彼らはイタリアで撮り続けたのか?という疑問にそのまま答えとなるフィルムだ。イタリアのこの土地への愛、一つ一つの画面と音に地上への愛が横溢し、人は圧倒される。

第一幕、青空が広がる山頂に突っ立った男女ふたりの後ろ姿での朗唱から始まり、二幕目は森の樹々に向かい合うように腰掛けた男女の横姿に降り注ぐ木漏れ日の輝きを揺るがせる風、三幕目は谷底に並んで佇む男女を見下ろす俯瞰の緑の空間に響き渡る川の音が耳を打ちのめす。四幕目の木を挟んで立つ女と座り込む男の舞台となる丘の黄色い地肌に降り注ぐ陽光の眩さが瞳を奪い、五幕目は一転して白い岩肌が剥き出しの土地に猟銃を手にした狩人の男たちふたりの重々しい朗読がしめくくる。狩人が最後に言う、「あの彼らの出会い」・・・・・・そして映像が指し示す下界と生活の匂いを運んでくる声。本編前後でベートーヴェンが意外とも言える軽やかさで躍動する。

ストローブ=ユイレの映画は言うまでもなく「出会い」のドキュメンタリーだ。1841年に建てられた200席ほどの小さな劇場での上演のため1年近く稽古された劇と自然との出会い。そのために敢えて完璧さは危険にさらされ、各ショットは各々の光と音の切断面を持ち、厳格なリズムと連続性に貫かれた編集による映画の成り立ちは剥き出しにされる。だがそうまでしての「出会い」とは何と魅惑的なことよ。あらゆる個々の空間には個々の音のヴァリエーションがある。例えば風は樹々を渡る時と谷を渡る時では異なった音だし、さらにキャメラが俳優に近づくならマイクで拾われる音もまた変化する。映画でしかありえないその接合の衝撃を味わうこと。生前ダニエル・ユイレが言っていたように「撮影角度が変われば音も変わる。それがリアリズム」だからである。それらはいつもストローブ=ユイレの映画で観客に対するオーディオヴィジュアルな教育的装置として機能する(だから「テレビのエコーグラフィー」においてジャック・デリダとベルナール・スティグレールが映像に対する批判的な識字教育とでも呼べるものを本当に待望するとしたら、何よりもまずストローブ=ユイレの映画を参照すべきだったのである)「ブレヒト的効果(もっともそのすべてをブレヒトに還元する時代はすでに終わったと思う)」としてお馴染みのものだが、この『あの彼らの出会い』においては、むしろあらゆる要素と瞬間の官能的な出会いを組織するものになっている。

平和を乱す扇動者や挑発者を扱ったサミュエル・フラーやロジャー・コーマンの『侵入者』のような50年代アメリカ映画チックな前々作『放蕩息子たちの帰還/辱められた人々』において、前半は扇動者や兵士たちの朗々と遅かったり早口だったりするモノローグの様々なヴァリエーションで攻めまくり、一転して最後に突然安っぽい室内で逆光の女の顔に疲労しきったベッドの男だけというB級映画な凄い展開に完全に意表を突かれ、そして今回はこれ・・・年とともにさらにいっそう豊かになってきただけに・・・。

ストローブ=ユイレを「孤高の作家」として崇拝する人々がいてしまうとしたら、繰り返しになるがストローブ夫妻が大好きだったりその流れを継承している映像作家たちがまったく語られず紹介されていないという情報操作によるものだ。ペーター・ネストラーはフランスで2007年3月にやっと紹介される予定だし、ジャン=クロード・ルソーは今年のマルセイユ・ドキュメンタリー映画祭のフランス部門審査委員長を務めつつ新作を数本も撮っている。同じ映画祭ではハルトムート・ビトムスキーの特集が行われたが、彼もベルリン・テレビ映画大学の学長でありながらマルチメディア・インスタレーションの作品に取り組んでいる。すでに亡くなっているフランス・ファン・デ・スタークはバルセロナでの回顧展が準備中であるとの連絡を頂いている。ファロッキやルドルフ・トーメ、クラウス・ウィボルニーのように毎年ヴィデオかフィルムで新作を発表している人々でさえ日本では近況が知られていないのだからその操作は徹底していると言える(笑)。かろうじてペドロ・コスタだけが日本公開予定であるが、しかし彼に比肩すべき新しい作家は実はアジアではなく最近急速にサイトが面白くなっているスペイン語圏のスペイン、アルゼンチンやチリ等から出てくると予想されるのだが、これまた紹介がなされていない。

こうした情報操作〜言説の画一化のもとに達成された邦画と洋画の興行収入逆転は、日本においてあらゆる問題を貫く「他者の喪失」の結果でもある。何しろクリント・イーストウッドであろうとアレクサンドル・ソクーロフであろうと話題になった理由は、日本を撮ってしまえば(前者はアイスランド、後者はサンクト・ペテルブルグで撮影されたイメージ上の日本である)実は映像上は前者の濃い影と後者のドイツ表現主義的映像があっても強引に「日本映画にしてしまう」という文学的(笑)操作によるものであることは明白であろう。『硫黄島からの手紙』の観客は『父親たちの星条旗』の3倍入っているというが、要はそれだけアメリカ側の視点を見に行っていないということである。

この他者の喪失についてはやはり日本公開されていないマノエル・デ・オリヴェイラの傑作『私の場合』がすでに語っている。これは友人だった劇作家ジョゼ・レジオがポルトガルの独裁政権時代に書いた戯曲をとりあげた「上演の映画」であり、ビュル・オジェやルイス・ミゲル・シントラらが劇場で上演前にそれぞれ自分の事情を話したいという欲望をぶつけあって争っているうちに幕が下りてしまうという芝居をベースに、サミュエル・ベケットから最終的にはヨブと神の対話から核戦争のイメージまで到着/遡行する映画である。話を書いただけでそのまま今の日本への批判になっていることは明らかであるが、オリヴェイラの近作『第五帝国 今日としての昨日』もまた同じくレジオが独裁政権下で書き上げた戯曲の「上演の映画」であり、『ノン、または支配の空しい栄光』『言葉とユートピア』に続く宗教と権力の結託を描く連作の3作目でもあり、これまたそのままブッシュ政権はじめ現在の世界への批判になっている作品である。

それは閉ざされた城の中で行われる室内劇である。リカルド・トレパによって演じられる若きセバスチャン王は、歴代の王たちと並ぶ偉業を達成するプレッシャーに苛まれ、同年代の家来や道化や母親や長老たちからも孤独になり、最も近い相談者であり僧侶・精神分析医・予言者でもあるルイス・ミゲル・シントラ演じる男との対話を通じてキリスト教による世界征服=アラブ世界との狂気の戦争を決断する。結果は『ノン』に描かれているとおりアルカサル=キビルにおける圧倒的な敗戦であり、その戦闘シーンの音声もこの『第五帝国』中に王の見る夢として引用されている。さまざまな対話を通じて見出されるのはセバスチャン王に徹底して欠けている他者の存在である。彼を突き動かしている者は歴代の王たちであり、死者であり銅像となって玉座の後に立っている。だが彼らは死者であるが故に王の夢の中で歩き出しセバスチャン王を動かすことができるのである(後に遺体が見つからなかったセバスチャン王は回帰するという信仰を与え、同様に死後も人々を動かすことになる)。こうしてすべてはひたすら生者=他者のいない、内面の問題とされるがゆえに、外から見ると何とも滑稽で悲劇的な芝居=神聖喜劇を演じることになってしまう。

オリヴェイラはいつものようにその「上演」を強調するように王の膝元でブニュエル的な「小人とびっこ」の道化が大声で芝居をしようと他の人々は気に留めなかったりと笑いとともに配慮は欠かさない。クライマックスは王とシントラ扮する男の長い対話が突如室内の外から撮られるバストサイズの固定画面である。王が夜への恐怖を語り、シントラが扉を開けるとキャメラは外から二人の顔をとらえる。書き割りの夜と星が写り、格子越しに二人がとらえられ、外気の音(それはスタジオで作られたものかどうか定かではないが)が初めて二人の声に「出会い」、王が自分の未来をシントラに尋ねる長い会話の果て、自らの運命を理解し、「死だ!」と絶望的な鋭い叫びを放つ。やがて王は催眠による眠り、夢と狂気の戦争開始の決断へと突き進むのである。

ところで「上演の映画」としてのオリヴェイラの出発点は『私の場合』のプロトタイプというべき『春の劇』だが、そこで見られるポルトガル〜スペイン国境のクラリャの村に16世紀から伝わる受難劇の演技とストローブ=ユイレ&ブーティの俳優たちというよりパオロ・ベンヴェヌーティが1971年に撮った『メデア』で発見され『雲から抵抗へ』以後ストローブ=ユイレに採用された18世紀以来のイタリア中部地方に伝わる演技の朗唱法に共通点がある。ベンヴェヌーティがジョン・フォードへのオマージュとして撮った『ティブルツィ』の公開が待たれるところだし、オリヴェイラの助手に就いたアントニオ・レイスが朗唱法を使わず「上演のリアルタイムの感覚」だけがペドロ・コスタへと受け継がれたことも興味深い。「上演の映画」は劇映画やドキュメンタリーなどのジャンルを超えた、現代の映像においての「核」というべきものなのである。カルメロ・ベーネの修復された『ハムレット』『マクベス・ホラー組曲』(アルトーに捧げられた)などのテレビ作品や故ロバート・アルトマンの1980年代の上演の映画への接近もこういった文脈から見直されるべきだろう。もっともそれが可能なためには現在の懐古趣味や作家を孤立させ点として消費する主義はやめてしまう必要があるだろうが・・・・。

(2006.12.12)

©Akasaka Daisuke

index