グラウベル・ローシャについてですが、私が2004年に国立近代美術館で『ボディ・ノスタルジア』というブラジル現代美術の展覧会があった折に講演を依頼されまして、その時にブラジル映画全般についてのレクチャーを行ったことがあります。その時もなぜ私にきたのかなという感じだったんですが(笑)私自身ポルトガル映画の紹介上映に携わっていたこともありますし、ポルトガル語圏の映画の交流について調べていたりということもあったので、それで来たんだと思いますが、その時ブラジル映画についてもかなり沢山の映画を見ることができたのです。そこでわかったことというのが、ブラジル映画のうち商業的に公開されているものの他に世界の先鋭的な部分とシンクロするような映画の動きというものもあるのですが、それは日本に入ってきていないという現実があったんですね。
2004年当時と比べると今現在ウェブ上で、youtubeでありますとかその種の動画サイトを見るかあるいはDVDで購入するなどでかなりの数のそうした映画を見ることができるようになりましたので、そういう意味ではその手の映画を好きな人にとってだいぶ環境が変わってきているとは思いますが、日本で劇場公開されるレベルに関して言うと2004年にレクチャーを行ってからあまり変わっていないんですね。商業的にアカデミー賞やサンダンスやメジャーな映画祭で評価されて北米で公開された後に世界配給網に乗って日本に入ってくる映画以外ですと、直接日本に入ってくるというケースはあまりないんですね。こうやってアテネ・フランセや有志の配給会社が特集をやることでもないかぎりほとんどないと考えていいわけです。
そうなりますと、グラウベル・ローシャに関して、ブラジルでも世界でも、ブラジル映画を代表する映画監督としてよく知られてますけど、現在の状況から考えて、この人の映画を見てみるとどうなんだろう、というのがあります。歴史的に映像の現在というのを考えてみてそこからローシャの映画というのを見てみることが必要です。それとローシャの映画というものを今の映画の中だけで考えるか、ブラジル映画の中だけで考えるか、あるいはラテンアメリカ映画の枠のなかで考えるか、あるいは世界の映画史の中で考えるか、あるいは映像一般の中で、我々は今映像をツールとして扱っていますから、その中でグラウベル・ローシャという人の作った映像作品というものを考えてみるのが大事かなあというふうに考えています。
そういう意味で、状況はかなり複雑なんですが、同時に映像に接することはかなり簡単になってきていますので、その中でもクオリティ、映像と音の質も重要ではあるんですが、少なくともこの特集上映で上映されない作品もふれることができる状況にありますので、それも踏まえて、ローシャの映画というものを考えてみたいと思うんですね。
それで、彼が最初に撮った短編『Patio』と最後に撮った短編『Di Cavalcanti』を見てみますと、『Patio』のほうは格子状の模様の上に寝転がっている男女がいて、それが微妙な動き方をするというか(笑)1920年代のアヴァンギャルド映画に近いような感じの映画ですね。それが『Di』になると、これは友人の画家の葬式と絵を交互に激しくモンタージュして見せているんですが、手持ちのカメラワークを沢山使っていて、するとブレとかピンぼけとかが起こってきて、見せるべき絵がハッキリしなくなってしまいます。見ている人は視線をどこに向けていいのか,視線自体を妨げられるようになってきます。つまり意図的に手持ちを使っていて、固定画面なら見えないものといいますか、色彩のぼやっとした状態が移行する、アクションペインティングに近い効果や、輪郭がぼやけて色彩が浮かび上がってくるとかですね、そういった事物と事物のあいだにあるもの、動きそれ自体、手段そのもののドキュメントになってくるんです。
最初の短編が古典的だとすると、最後の短編には、その時代の現代映画というべきものがあらわれていると言えます。グラウベル・ローシャという人が辿った道のりを考えますと、最初の長編は『バラベント』の古典的なコントラストのハッキリした黒白の映像だったと思うんですが、このレクチャーの後に御覧いただく『大地の時代』になりますと、手持ちカメラで走って行くシーンやジャンプカットがあったりして、その動きについていくのが難しくなっていくような映像が多々出て来ます。そういう意味で、事物をハッキリ見せることから事物の間にあるものを見せようとする、事物から事物への運動そのものを映画で見せようとしていたと考えられると思います。
で、もう一つ、ローシャにはブラジルで撮影していた時期と、1970年代の亡命の時期というものがあります。このレクチャーの前に御覧いただいた『アントニオ・ダス・モルテス』の後でアフリカで『七つの頭を持つライオン』とか、スペインで『切られた首』、イタリアで『クラロ』を撮っています。その3本に関しては、国外で撮影していまして、1960年代からすでに政権と軋轢があったんですけど、軍事政権になってローシャ自身国内で撮れなくなってしまったからですが、1972年から4年頃ですかね、ブラジルとキューバを往復しながら『ブラジルの歴史』という映画を製作します。これはレンツォ・ロッセリーニ、ロッセリーニの弟とイタリア国営放送RAIの共同制作です。その前に、『アントニオ・ダス・モルテス』のスタッフ、キャストで3日間で即興的に作った『Cancer/癌』という作品もあります。
このあたりから音の面での実験というものが出て来まして、ちょうど『アントニオ・ダス・モルテス』の頃だったか、ジャン・ルノワールと会った時に、いい映画だけどこれは同時録音で撮ったほうがいいと言われて、ノイジーな音というものに意識的になっていくということがあります。『Cancer』の音楽はガトー・バルビエリがやっていまして、この人はご存知かと思いますが、ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』の音楽をやってまして、『Cancer』の曲は『The Third World』の中の曲で、このアルバムには『アントニオ・ダス・モルテス』というローシャへのオマージュ曲があります。で、『七つの頭を持つライオン』はコンゴで撮ってるんですが、コロニアリズムの問題を扱ってまして、『Cancer』のほうは『アントニオ・・』にも出て来た若い俳優がアフリカからの移民を演じていて、彼らはどこにも行き場所がないという問題を扱っています。
グラウベル・ローシャ自身、亡命生活に入ってヨーロッパの国を転々とするんですが、イタリアでカルメロ・ベーネという人と出会うんですね。カルメロ・ベーネは20世紀後半のイタリアのアヴァンギャルドな演劇を代表する人で、ご存知の方もいると思いますが、哲学者のジル・ドゥルーズと一緒に『重合』という本を出しています。カルメロ・ベーネはグラウベル・ローシャと共通点があったんですね、非常に激しく速いモンタージュを使うという。もう一つはエイゼンシュテインに非常に影響を受けている、ということです。例えばベーネの『サロメ』、これは今ではDVDで発売されていますので見ることができますが、これは1972年の作品で、非常にめまぐるしいモンタージュとバロック的な色彩美の傑作です。カルメロ・ベーネはイタリアのレッチェというところの出身でして、トルコ、アジアからの文化とヨーロッパ文化の交差点になっていることで知られる地方です。こういった混淆、トランスナショナルな文化をバックボーンに持っている人なんですね。この点でグラウベル・ローシャとウマが合ったのかもしれません。
仲がよかったということで、1976年にローシャが撮った『クラロ』という映画にベーネが出演しています。それと、ローシャはやはりモンタージュということでもベーネに刺激を受けたんじゃないかと思います。この後御覧いただく『大地の時代』の冒頭部分でもこのような速いモンタージュが出て来ます。もちろん手持ちを使っていますのでそこはグラウベル・ローシャ的なんですが、それにカルメロ・ベーネの方はこの時代イタリア映画に非常にお金があった時代でチネチッタのほうにセットを組んで35ミリフィルムで5台のカメラで撮影しています。当時のイタリア映画の恵まれた環境を示していると思いますが、ローシャは当時のブラジル映画ではこのような撮影方法はできないということでとった方法が、『大地の時代』で見られるものなんじゃないかと思います。
それともう一人、ローシャを語る上で欠かせないのはジャン=リュック・ゴダールです。ゴダールは自分の作品『東風』にローシャを出演させています。ジガ・ヴェルトフ集団の特集上映で御覧になった方もいると思います。『映画史』の中でもローシャに言及している部分があったと思うんですが・・・ジョン・カサヴェテスとともに1Bを捧げられています。ちょうどローシャが『東風』に出演したシーンを引用していますね。ゴダールは『映画史』前のビデオ作品から速いモンタージュを使うようになりましたが、1960年代はむしろ長いカット、固定画面を使う作品が主だったわけです。ローシャは『東風』に出演後、ゴダールに対して逆に批判的になっていくプロセスを辿りました。ただローシャの経歴を辿ってみますと、モンタージュ=編集というのが非常に大きな役割を果たしているということがわかります。このモンタージュはエイゼンシュテイン流のプロパガンダのモンタージュではなく、自分で言っているんですが、あらゆる形式の芸術を一つの作品に詰め込んだ、詩、絵画、演劇、小説、音楽といったものを一つの作品にブチ込んだ荒々しいモンタージュを目指していた、その結論が『大地の時代』という映画だった、ということです。この映画は元々世界各地で撮影して編集された作品になるはずだったのですが、結局ブラジル全土で撮影した作品になりました。で、今DVDで出ているブラジル版に付記されているのは、全てのシーンが始まりや終わりが決められていなくて、見る人が勝手にシャッフルしてどこからでも見ることができるような作品だというふうに言っているんですね。実際本国版のDVDではそうなっています。本日は決められた順番で御覧いただきますけど、そういう意味では従来の物語という形式にとらわれない映画を目指したということになります。
この作品は1980年にヴェネツィア映画祭に出品されたんですが、結局論議は呼んだものの賞を取ったりすることはありませんでした。その時にテオ・アンゲロプロスの『アレクサンダー大王』とジョン・カサヴェテスの『グロリア』が受賞したんですが、グラウベル・ローシャは地元のテレビ局のインタビューでそれを非難してたんですね。(1) で、カサヴェテスの映画は認めてるんだけどもその中で最もコマーシャルな作品に賞を上げるとは何事かと、あとアンゲロプロスに関しては非常にアカデミックではないかと言っているんですね。アンゲロプロスに関してはローシャだけではなく、当時のカイエ・デュ・シネマの編集をやっていたセルジュ・ダネーや、リベラシオンに書いていたルイ・スコレツキといった人々もアカデミックだと主張していました。一方彼らは同じギリシャ映画で国外に亡命して映画を撮らなければならなかったスタヴロス・トルネス(2)を擁護していたんですね。スタヴロス・トルネスの映画というのは荒々しい手持ちカットを多用している、ほとんどトラッシュムービーに近いと言ってもいいような映画です。アンゲロプロスの映画はお金もかかった長いワンシーン・ワンショットで撮っていて、まあより困難な立場にある作家を擁護して、国内で撮れている作家を批判するというのはよくあるパターンだったんですね。
ただ、今現在の映像の状況から、片方の立場になってもう片方を非難する必要は全くないのです。それよりアンゲロプロス自身ギリシャも第三世界に入ると言ってグラウベル・ローシャに共感していたということのほうがむしろ思い出されます(でもその後アンゲロプロスも同様に映画祭のパワーゲームに操られてしまったのですが)。その時の状況によりますけど、映画祭文化というものの中に入っていたがゆえに、そういったことが起こってしまったとも言えるわけですね。マージナルな映画同士が映画祭という狭いフレームの中で競うことを強いられてしまっていたために、お互い(とそれの擁護者)が批判し合うような状況に追い込まれるということが始まってしまうわけです。
というのもメジャーな映像というものは非常にクリアで鮮明なものになってわかりやすい映像を目指していったのが1980年代で、テレビが事実上メジャーな映像文明として映画にとって代り、実験的な映像は人目に触れないポジションに追いやられていきました。まして激しいモンタージュや手持ちで意図的に見えにくくするローシャのような映画はなおさらだったんですが、日本でそれを考えてみると、例えば今ちょうど別の劇場でにっかつロマンポルノの特集やってますが、神代辰巳の後期は手持ちや意図的に見えにくい角度で撮る作品が多くなっていたと思うんですね。『赫い髪の女』にもうすでに雨や風をガラス越しに撮るシーンがあらわれていたと思うんですが、その後の相米慎二になりますと遠くから撮るわけで余計に見えづらい映像というものになってきます。事実上メジャーで撮る人の中にマージナルな映像を撮るということが出てきていたのです。それが何を意味していたのかと言うと、いま映像を撮りつつあるカメラやマイクの存在、映像の手法や成り立ちを目に見えるようにしようとする映像になってくると思うんですね。
つまり作品がそのまま作っていることのドキュメンタリーでもあるような作品になるということを呈していると言えるわけです。メジャーな映像は片方で情報を伝達するということを主にしていますから、技術手段や手法は見えないほうがよい、ということにされているんですね。視聴者、観客を操りやすいわけです。ちょうど1970年代から80年代は冷戦終結する前でメジャーな映像とマイナーな映像は(今より)ハッキリ分かれていたとも言えますし、それでより世界が安定しているように見えた、という時代だったわけです。それが米ソ体制崩壊から湾岸戦争でそれ以降の世界再編時代になって、映像が人をどうやって操れるのかという力があからさまに出てきた時代でもあるのです。そこで今かつてのマージナルな映像が何をやってきていたのかを見直される時代になっているわけですが、その場合にどうやって映像を作っていたのか、どうやって人を操っていたのかを考察できるような、分析できるような観客の姿勢が必要になってきます。
グラウベル・ローシャは1980年の『大地の時代』を作っている時に、これは今の観客ではなく、未来の観客に向けて作っているんだと言っていたんですね。そういう意味ではcontracampo.com.brというブラジルの映画サイトがありまして、『大地の時代』が復元上映された時に座談会の採録がありまして、そのときある人がこれは我々の時代の映画だと言っていたんですが、それは、多メディア時代になって人々を操作する方法が論じられる時代に、一見安定しているかに見えるメジャーな映像がマイナーな映像を排除してきた時代、ある種のムラ社会だったわけですが、その社会を安定されるためにインフォメーションを送り手と受け手があたかも手段さえ使っていないかのごとく結びつけているメジャー映像に対して、マイナーな映像は一種の抵抗手段を未来の観客に向けて提供していたんだと言えると思います。今そういう映像を見直すことが大事なんですが、もう一つフィルムがデジタルに変わる時代には、最初にお話しした手持ちのブレやピンボケ、露光上足等の映像がなくなっていく、消滅する時代なんですね。もちろんわざわざ加工することで作ることは可能なんですが、基本的にデジタルは意図せずに透明な映像を作り出す時代になってしまっている、そういった映像の時代にこそグラウベル・ローシャの映画は見直すべき映像作品であるような気がします。
それとローシャの同時代の作家たち、パウロ=セザール・サラセニとかレオン・ヒルツマンなども重要ですし、あるいは現在のジュリオ・ブレッサーニやエドワルド・コウチーニョなどの、自分たちが映画を撮っている状況を自分たちの作品に入れ込んで、そこで映像のドキュメンタリーとフィクションの両面が出てくる(3)、そういう映画作りをする人たちが今もいるんですね。昔はこういう人々にブレヒト的というレッテルが貼られてしまっていたわけですが、今はレッテルというものは何も意味しなくなっているんですね。メディア論の方からも、手段を被写体化するということが大事になってきている時代なので、先鞭を付けた人々という意味で見直すことが大事だと思います。また昨年亡くなったチリのラウル・ルイスや同時代のアルゼンチンの作家たちもこの時代に重要な仕事をしてますので、ぜひとも見直されるべきだと思っているのです。
(2)スタヴロス・トルネス(1933~1988)は1981年に帰国した後は作品をギリシャで撮っている。
(3)例えばブレッサーニなら『Sermões A História de António Vieira』(1989)、コウチーニョなら『As canções』(2011)など。
(2012年5月26日、アテネ・フランセ文化センターで行ったレクチャーに加筆、訂正を行った。同センターの皆様に深く感謝いたします)
(1) Libertà! - Clauber Rocha intervista Festival di Venezia 1980
©Akasaka Daisuke