ロッセリーニ的視点から見たベロッキオ&ベンヴェヌーティ

ニュースキャスターが「これが事件の一部始終です」と告げた後で流される数十秒の映像と音を本当に「事件の一部始終」だと信じるか疑うかで世界に対する姿勢は正反対のものになる。そこには省かれた膨大な出来事と時間があるからだ。かつてクリントン政権時2000年の秋に前橋で会ったNYの芸術評議会の女性は筆者との会話の中で「心配なのはメディア教育を受けている学生ではなく投票に行く一般の大人のほうなのです」と言っていたが、数カ月後にブッシュ政権誕生とそれ以後に起こった一連の出来事によってその言葉を反芻させられたのは言うまでもない。「一般の大人」や、オランダでテオ・ファン・ゴッホの短編に憤慨し彼を殺害したイスラム教徒とされる男や、中国のデモの映像に憤慨する政治家のような人々に欠けていたのはただ「この映像はレベルが低い」と言うための分析と批評の能力なのである。

数十秒の「一部始終」を強要するニュースキャスターと反対に、ロベルト・ロッセリーニは、物事が起こる前には必ず待機の時間があり、自分はその物事よりはしばしば待機の時間のほうを描写してしまい、そのために自分は大いに批判されてきた、と語っている(1)。彼は例えば『ストロンボリ』におけるマグロ漁のシーンで漁師たちが網を引き上げる時までの待機を描くように、『イタリア旅行』である倦怠期の夫婦が唐突に愛を取り戻そうと合意を表すまでの時間を描写する。ごく普通の映画作家たちやテレビニュースのディレクターたちなら、漁のスペクタクルや抱擁のみを残し後は切って捨ててしまうだろう。デモや革命といったショータイムがテレビニュースに最もふさわしいし、そこにもっともらしいプロセスの描写があればいかにも「一部始終」といった番組の体裁ができあがるし、それが長時間になった場合、それが逆に労作としてドキュメンタリー映画祭で受賞の栄誉にあずかることにもなれるだろう。だがロッセリーニが拒否するのはそのようないかにもという体裁や長い物語である。彼の映画は、いかなる出来事でもある時間を経て突然に顕在化するものだと主張するのだ。その時間はスラヴォイ・ジジェクのように「空白」や「失敗」と考えてはいけない。何も起こっていないように見える時間とスペクタクルとの組み合わせは不可分であり、それこそが現実を構成する。ちょうどミロシェビッチ政権が崩壊する直前に国営放送が放映した映像が空しか写っていない窓の長時間の固定画面だったときのように。そしてこの待機の時間から物事の生起への連続性がもたらす思考こそがロッセリーニとその他の同時代のイタリアのネオレアリスモと呼ばれる映画作家たちを遠く隔てた、というよりその思考がなかったからこそ他の映画作家たちは皆古びてしまったのである。

『アモーレ』はロッセリーニがこの待機の時間をラディカルに追求する契機となった映画だろう。書割りから出発し実景を舞台にしたコンメディア・デ・ラルテと言える『殺人カメラ』の数年前に撮られ、本人曰く「アンナ・マニャーニという獣のドキュメンタリー」と定義されたこの作品は『人間の声』と『奇跡』という2本の中編の組み合わせだが、その両方とも「〜するまでの時間」についての映画である。ジャン・コクトーの一人芝居の映画化『人間の声』はひとり部屋で電話を待つマニャーニ演じる女から始まり、やがてどうやら別れ話らしき男からの電話、そして受話器に向かって懇願しつつ話し掛けるマニャーニの姿と声をひたすら追い続け、映画は終了する。男の声が聞こえないために観客は男の声への女の反応を通じて会話の行方を想像するしか術はない。一方『奇跡』は冒頭でフェリーニ扮する羊飼いが無言で現われ、マニャーニ扮する娘はその傍らで眠りにつく。そして目覚めた後自分は「神の子」を身籠ったと思い込み、一人で子を産むことができる場所を探して山小屋に向かっていく。ここでも娘以外の登場人物はいないに等しい。娘に物を投げつける群集は、マニャーニの反応を撮影するための口実のようなものである。そしてマニャーニの姿に赤子の声が聞こえてくるラストでは、フレーム外が示されるような情報操作がなされないため『人間の声』同様に「正確には何が起こったのかはわからない」。観客はアンナ・マニャーニの姿を見続けることで、彼女の顔、肉体、所作を通じて事態を「見てとる」ことができるだけなのである。

『アモーレ』は映像メディアの限界を提示していると同時に観客の視線の限界をあらわにしているとも言える。目の前の被写体である人物が何かを語っているわけではない。それがいわゆる「情報」となるのは観客が被写体の様相のフォルムをフレーム外の事物や言葉と結びつけることができた時なのである。そのため現在のテレビ番組でどれほど大量のキャプション文字が使われていることか。それに反してロッセリーニはフィクションを通じて、待機の時間においては被写体の様相が最も曖昧で潜在的な状態であるということを観客に提示するというリスクを常に負ってきたのである。このことが最も追求されたのはイングリッド・バーグマン主演作品においてだろう。それらの作品群ではジル・ドゥルーズが「見者」と呼んだバーグマンの目に写った光景とバーグマンの顔のカットバックのシーンが頻繁に見られるが、それらのシーンで真に重要なのは光景ではなくバーグマンの顔の推移なのだ。これもまたある状況に置かれた女性のリアクションなのだが、ロッセリーニの映画のバーグマンの顔は、あたう限り最も複雑微妙な推移を示すのである。『イタリア旅行』でバーグマン演じる妻はジョージ・サンダースの夫に怒りを感じつつナポリの町で車を走らせる。町の光景を眺めるうちに怒りから不可思議なものに魅入られるかのような表情に推移していくのが見て取れる。だがその町の光景は特に技巧を凝らした画面などではない。観客は戸惑う。決してその光景がそれらしく美しいものではないからだ。その後、古代美術館から源泉へ、骸骨を積み上げた遺跡へと歩き回りつつ、バーグマンの顔の推移は夫とのそれらしい和解へと直接的に結びつく決定的なフォルムへ固まることなく、いっそう微妙な運動を示していき、我々は彼女の様態を見てとるのが困難になる。夫のジョージ・サンダースの様態を見てとるのはさらに困難である。フリッツ・ラングやダグラス・サークの映画の最重要な俳優の一人である彼は普段以上に大袈裟なリアクションなど示さないからだ。寝床で一人トランプを手にする妻の部屋にそっと夫が帰ってくるシーンはその微妙さがピークに達した最も美しいシーンである。眠ったふりをしつつ何かを期待しているようでもありながら反対の行動をとる妻と気配に気づきながら気づかないふりをしてしまう夫・・・などという説明にはもはや留まれないおそろしく激しく微妙な推移がこの単純すぎる無言のシーンにある。ロッセリーニは自らのキャメラを「顕微鏡」と呼んだが、それは被写体の様態の推移を見てとろうとする観客の視線を限界まで連れて行きながら決して拒むものではない。しかし大半の観客にとってジョージ・サンダースがいったいどのような心的経緯を経て、最後の人々の「奇跡だ!」の声と共に妻同様に和解へと至ったのかを見てとるのは難しい。この場合もやはり正確には何が起こったのか観客にはまったくわからない。画面には何も写っていないからである。そこには掘り出された恋人たちの遺体を発見した二人の逡巡と遺跡を抜けていく歩みを加えた長い待機の時間から、突然の和解の言葉への移行があるだけである。だがロッセリーニは一つのシーンが始まったら決して時間と運動の連続性を切断することなく続けることでその真実性を保持する。つまり「決定的な変化というものは常にその過程を見てとることができるもの、というわけではない」という視線というものの限界と同時に他者への神秘性をも提示するのである。

ここではバーグマンの部分がゴダール、サンダースの部分がリヴェットにどれほど引き継がれているかという常識話は置いておくとして、続いてロッセリーニとバーグマンの『火刑台上のジャンヌ・ダルク』を取り上げてみる。まったくと言っていいほど語られていないこの傑作がロッセリーニの作品中最も重要な作品の一つに思えるからだ。まずこれはクローデル原作オネゲルのオラトリオの「上演の映画」である。つまりコクトーの戯曲を取り上げた『人間の声』の試みを継続するものだが、それにも増してこの作品は明確にステージ上の舞台での上演のドキュメンタリーでもあり、その映画としての再構成によってフィクションでもある。バーグマン扮するジャンヌ・ダルクはドミニク修道士とともに天上から地上の光景を見せられる。そこではロッセリーニ=バーグマン映画について先述したバーグマンの顔と彼女が見ている光景のカットバックがある。一方終盤の修道士と自分の経験を語る長いシーンは固定画面の遠景と時折のバーグマンのバストショットの組み合わせで撮影されていて、バーグマンはステージ上を奥から手前へと歩き回る。そして火刑における遠景とジャンヌの長いバストショットの組み合わせ。そこにはもはや彼女の見た光景が挟み込まれることはない。重要なのはロッセリーニがこの後バーグマンとのコンビ最終作で脅迫へのリアクションという形で前作までの一連の追求が継続されている『不安』と、これまた日本ではその真価がまったく語られることがないが、まるでインドで撮られた映像の断片の運動の端と端を編集で繋いでデッチ上げてしまったかのような驚くべき作品であり(奇妙にも『オーソン・ウェルズのフェイク』に比較すべき、決して途切れない運動がそこにはある)、さらに人間だけではなく最後の挿話では、主人が行き倒れてしまった猿とその見た光景のカットバックまでもが駆使される「フィクション」である『インディア』を挟んで、それ以前の作品から『ロベレ将軍』以後の作品への移行が感じられるという点なのだ。つまり映画の後半にバーグマン演じる人物の見た光景とのカットバックが消え去っていく部分で、である。もちろんこの劇は「天からの声」への「リアクション」なのだから見た光景が必要ないとは言える。しかし推測でしかないのだが、ロッセリーニはこの映画で真に被写体として演劇の「上演」を発見したのではないだろうか。観客席からではなく切れ目なく長時間一定の距離から顕微鏡であるキャメラによって身体を観察することが可能なら、コントロールできるものとできないものとの間のより多様なドキュメントが得られるだろう。この映画はロッセリーニにとって『人間の声』に代表される反応としての上演から上演の総体への凝視への移行の契機なのである。

『インディア』の奇術的な編集による連続性の維持の後、『ロベレ将軍』から人物の見た光景と人物の顔の組み合わせは姿を消す。人物のある状況下でのリアクションでもあり撮影という状況下での俳優の反応の記録を撮影する映画は終わり、キャメラ前での演劇がとって代わる。『ロベレ将軍』の各々のシーンはいつものロッセリーニの映画同様始まると終わるまで省略なく続けられるが、ナチスに捕らえられ隣人たちの前で詐欺師としての主人公の正体が曝け出されるシーンのように、いつにもまして上演の舞台として画面の奥行きが活用された映画なのだ。最後に囚人たちが一つの部屋に集められさらに選別され引き立てられ銃殺されるシーンでは、右から左へ、奥から手前へと次々とキャメラ前に歩み出て演じる人物を交代させていく。そこで重要なのは維持されるバストショットの一定の距離である。ロッセリーニは「この」距離と時間の連続性を厳格に維持するためのキャメラ移動を可能にすることができるからこそスタジオを選んだように思える。そして続く作品『ローマで夜だった』では『ロベレ将軍』で移動撮影だった距離の選択方法がズームにとって代わる。この手段なら俳優にキャメラを意識させずに近づき、俳優たち自身も気づかない、思いがけない瞬間をとらえることも可能だろう。ジョバンナ・ラリが恋人をナチスに密告した足の悪い神父を部屋に迎え入れ、スキを見て熱湯を浴びせかけると隠れていたアメリカ兵が飛び出して来て絞殺するシーンの長い画面の素晴らしさは、このズームによる距離の選択の的確さに由来する。以後『ヴァニーナ ヴァニーニ』から『元年』にいたるまで、このズームと演劇がロッセリーニの映画の核となっていく。そこではしばしば書割りになる歴史的背景と人物を結ぶようにズームでの前進や後退が見られ、「上演」と結びつけられ、切れ目なしの観察が続けられていく。

イタリア国内での興行的成功を収めた『母の微笑』『夜よ、こんにちは』でマルコ・ベロッキオは再び初期作品のテーマを扱いアクチュアルな巨匠の座に返り咲いたと評価されている。しかしそれに先立つ『蝶の夢』で精神分析医マッシモ・ファジョッリとの共同作業を終えた後に手掛けた古典作品の映画化『ホンブルク公子』Il Principe di Homburg、『乳母』と2000年にマリオ・マルトーネに招かれてミケーレ・プラシド主演で「マクベス」舞台上演を行った事実(2)を念頭に置いて見るなら、片方では『肉体の悪魔』以来ファジョッリとの一連の作品の長い固定画面でヒロインたちをとらえていた「顕微鏡」的キャメラ(もちろんロッセリーニとは文脈が異なり、精神分析医が患者を観察するという意味でだが)と「上演」の二つの重要なファクターの統合が彼の一連の作業をロッセリーニのそれと比較すべきものにしていても不思議ではない。

クライストの戯曲の映画化『ホンブルク公子』とピランデルロ原作の『乳母』はベロッキオの一連の古典映画化である『かもめ』Il Gabbiano『エンリコ4世』Enrico「からの作業に連なるものだ。普通ファジョッリと行ってきた精神分析路線よりマイナーなものと見なされているこれらの作品が実はベロッキオの最も重要な作品群であることを最初に確認しなければならない。フランチェスカ・アルキブージ(彼女は見事なベロッキオへのインタビュー作品を撮っている(3))も同意見だったのが故ラウラ・ベッティの俳優としての代表作は『かもめ』だということだったが、現代に設定を移した『エンリコ4世』が当時のイタリアとしては稀な同時録音ゆえに素晴らしい映画になっていることも特筆すべきことである。マルチェロ・マストロヤンニによる母国語の長大な台詞、怒声からつぶやきに近い独白までを一息の中しかも同録で聴くことができるのはこの映画以外にないからだ。しかもそれにつれて撮影ジュゼッペ・ランチによるクローズアップとアストル・ピアソラの「オブリビオン」(この映画のために作曲され、アルキブージによるインタビューでは名手バッティスタ・レナによるギター・ソロによって奏でられる)が高鳴り徐々に照明が落ちて行く推移は美しい。さらに『ホンブルク公子』はいっそう映画の中の「上演」になっている。戦場で軍規に反したとして入牢している夢遊病の主人公と彼を救おうとするナタリア王妃と交わす対話の一連のシーンでは、まるで舞台のように人物が場所に入ってきて始まり、自分の行動を信じられず逡巡し遂に決断に至らんとする主人公を観察する長いクローズアップがある。『エンリコ4世』が狂気を装う男を演じる舞台人マストロヤンニの母国語のドキュメントであるのと同様、これは精神不安定な人物を演じる若いアンドレア・ディ・ステファノとそれを見守るしかないバルボラ・ボブロワの反応を一連の時間観察するドキュメントなのだ。続く『乳母』は戯曲作品ではないものの、例えば赤旗を掲げたデモ隊が行き来する広場の舞台的な演出を見れば前作の作業の継続を示すものなのは明らかだろう。この映画でも出産で精神に異常をきたす妻バレリア=ブルニ・テデスキが尋常でない徴候を示す一連の素晴らしいシーンがあり、そこではほとんど台詞がなく、だが舞台の一シーンのように家の廊下を歩く妻の一連の身振りを切れ目なく撮影するのみなのだが、例え別の画面が挿入されようとも連続してこの「患者」を観察する「顕微鏡」的キャメラの使用によって異常を見てとることができるのである。またここでベロッキオは聴くことの試みへと観客を招くかのような冒険をも行っている。主人公の医者ファブリツィオ・ベンティヴォリオが失踪した乳母マヤ・サンサを探すシーンで、真っ暗な長い階段を上り続けて扉を開くと片隅に隠れている乳母を発見するのだが、ここで彼は黒画面のまま観客を放置して音を聴かせるままにする。それはまるで不自由なアフレコのシステムから解放されイタリアでも直接録音を自由に使えるようになった楽しさを観客にも伝えようとしているかのようだ。

ところで第一作『ポケットの中の握り拳』の時期のインタビューで、ベロッキオがジャック・ベッケルの『肉体の冠』における暴力性について絶賛している(4)ことも見逃せない。なぜならこの映画や『現金に手を出すな』『穴』といった活劇にかぎらず、ベッケルの作品の鋭角的な暴力性は、シーンの間途切れることなく続くアクションとリズムの連続性を保つことから生まれて来るからである。『現金に手を出すな』でジャン・ギャバンと仲間たちはリノ・ヴァンチュラの手下を店の地下の奥の部屋に連れて行き、両手を縛り上げて吊るしておいて詰問し、殴りつける。または『肉体の冠』のセルジュ・レジアニが護送車から脱走するシーンや警察署に逃げ込んだクロード・ドーファンを中庭に追い詰めて射殺するシーン、『穴』の一連のトンネル掘り作業も、一続きのアクションは始まると、とどまることなく、間断なく最後まで突き進むのだ。その凝縮された衝撃は抑制された運動と規則的なリズムの連打とともに生み出される。囚人たちが掘り進む穴が突然の崩落で埋まる時や最後の拘束が衝撃的なのもまた、繰り返し描かれる止まるはずのない一続きの作業が突如切断されることからくる。この決定的な瞬間をそれ以前の一連の動きと共に描写するときのベッケルはロッセリーニに非常に近いと思われる。ただもしベッケルの連続性のルーツを辿るならおそらく彼が熱中していたエリッヒ・フォン・シュトロハイムであろう。『グリード』のギブソン・ゴーランドが歯の治療のために麻酔で眠らせたザス・ピッツに魅入られていくシーンや『結婚行進曲』の満開の花の下で延々と続く恋人たちの語らいや雨の中のいつ果てるともなく続く別れの描写は、必然的に顕微鏡的な運動の推移をとらえていた。思えば『グリード』のザス・ピッツが次第にあらわにしていく金銭への執着が病的なまでに進行していく様子は、ベロッキオが初期作品でとりあげた狂気の源流と言えるかも知れない。

『母の微笑』は突如妻から「神を見た」息子がカトリックの授業を受けることを告げられ、更に訊ねてきた神父から兄に殺された母親をカトリック聖人として祭ることへの了承を求められる元左翼のイラストレーターの数日を描く。周囲の人々や光景が突如見知らぬものへ変貌してしまったセルジョ・カステリット演じる主人公のリアクションを描くという構成はまぎれもなくロッセリーニ的と言っていいだろう。ただそうは言っても主人公はドン・シーゲルの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』のように侵略者に変貌した隣人たちから必死に逃亡しようとするわけではない。また青山真治の『レイクサイド・マーダーケース』の役所広司のように優柔不断なまま殺人セレブの共犯となったあげく「いい父親」になれるかもしれないというつかの間の勘違いに耽っていくというわけでもない。主人公は周囲とのコンタクトを通じて彼らと自分との距離と立場を明確にしようとするだけである。出会う人々はいずれもどこか滑稽で戯画的な痛ましい人々である。精神病院に入院したままの長兄、医学会から追放されたが妥協して戻ってきた次兄、姉を聖人に祭ることでバラバラになった家族をまとめようとする伯母、奇跡体験を経てテレビショーの話題になった親戚、さらには出版社のパーティで出会った「イタリアを法王のもとに結集しよう」と唱えて早朝から主人公と形だけの決闘を申し込む貴族など、コミカルなキャラクターが多い点はベロッキオの2作目で当時の左翼を思いきり諷刺した『中国は近い』に近い作品と言えるだろう。だが『中国は近い』とも異なるのは、当惑からある自覚へと進む受動的な主人公の微妙な変化をとらえることに「顕微鏡」=キャメラのフォーカスが当てられていることだ。以前のベロッキオなら主人公となるのは精神病院の患者である長兄のような、主にルー・カステルが演じていたはずのエキセントリックな人物のほうだろう。カステリットは周囲の人々の奇妙さや痛ましさを発見する人となるが、ここで重要なのはやはり彼の反応のほうなのである。ノンリニア編集の故か?いつもより細かくカットが割られステディカム使用など厳格さより軽快さを重視した撮影(マリオ・マルトーネの『戦争のリハーサル』を撮ったパスクァーレ・マリ)ながら、カステリットのリアクションを主軸にした連続性は途切れることがない。カステリットは周囲の人々の滑稽さと醜さとは反対に、息子に入信をそそのかしたのではないかと疑いを抱いていた学校の教師キアラ・コンティに出会った時、彼女の美しさを発見して驚くのだが、とりわけ台詞の少ないこのシーンの素晴らしさもまた彼の反応を軸として編集がなされている故なのだ。

テロリスト「赤い旅団」のメンバーだったアンナ・ラウラ・ブラゲッティの手記「囚人」を元にした『夜よ、こんにちは』もある状況下のリアクションを描く映画であることが明白である。「赤い旅団」によるモロ首相監禁殺害事件を描くこの作品は、元になった手記のタイトルさながら、思想という病の囚われ人となっている人々についての映画なのである。冒頭チネチッタに建てられたセットであろう舞台を思わせるアパートを借りに来る若いカップルから始まり、そのカップルのうちマヤ・サンサが演じる若い娘キアラの視点から映画は進行する。やがてテレビのニュースが首相誘拐を報じ、仲間たちが捕らえた彼の体を箱に詰めて運び込んで来る。この映画にはロッセリーニの『戦火のかなた』のフィルム引用があり、ベロッキオはインタビューでこの理由を、モロ殺害がナチスによるパルチザンの処刑を連想させたからだと語っているが(5)、この映画の奇妙さは、監禁されているモロよりも監禁しているはずの若者たちのほうがずっと不自由な囚人のように見えることなのだ。覗き穴からモロを監視する「赤い旅団」のメンバーたちは恐れ苛立つ。監視するメンバーは交代に外出し、マヤ・サンサは勤務する図書館の同僚とともに元パルチザンだった人々のパーティに出席するし、ベロッキオの息子ピエルジョルジョ演じるメンバーの一人は疲れ果てて監禁場所のアパートから立ち去る宣言さえするが、いつのまにか戻ってきてしまう。その一方でマヤ・サンサの幻想の中ではモロは自由であり、眠り込んだメンバーの間を歩き回り本棚を覗いたりしている。ついには『抵抗』の死刑囚さながらポケットに手を突っ込みスタスタと通りを歩いて行ってしまうため、映画の最後に史実が示されなければ実は首相は生きているのではないかと錯覚さえしてしまうほどだ。このあたりはファジョッリとの一連の作品を通過しているベロッキオならではだが、それにもまして素晴らしいのはやはりサウンド面だろう。『エンリコ4世』のマストロヤンニの独白以来、ベロッキオは最も広範囲のレンジを使うことができる作家の一人ではないか。図書館でキアラと同僚との囁き声から怒声までを使った口論のシーンはそれをまざまざと証明するものだ。そしてモロが若者たちに自分が書いた手紙を読んで聴かせるシーンでのキアラの顔。最初のシナリオでは声のみの登場だったらしいモロの朗読へのリアクションが思想の囚人=病人たちを観察する素材となっているのである.

ではパオロ・ベンヴェヌーティの場合はどうだろうか。この現代イタリア最大の映画作家は、画家として出発しロッセリーニの『コシモ・ディ・メディチの時代』やストローブ=ユイレの『モーゼとアロン』の助手を務め、『雲から抵抗へ』のために当時自ら演出家だったブーティ劇場をストローブに紹介するなど重要な役割を果たす一方、ピサで自主製作を続け、88年に『ユダの接吻』で長篇デビューし2001年に傑作『魔女ゴスタンザ』Gostanza da Libbianoで国際的に注目される。その後2003年にヴェネツィア映画祭に出品され公開された『シークレット・ファイル』Segreti di Statoは『夜よ、こんにちは』同様にイタリア現代史を決定づけた事件を扱いながら、過去へのまったく異なったアプローチによる傑作たりえている。

まず『魔女ゴスタンザ』は1594年にトスカナ地方のある60代の女性に対して行われた教会による魔女裁判と拷問と審問の記録を映画化したものだ。8才のときに誘拐され男にレイプされた経験を持つこの女性はそのままこの男とともに暮らし未亡人となった後、さまざまな民間医療に通じて村人を治療してきたある日、魔女との疑いをかけられる。映画はまずこの女が教会に連行されるシーンから始まり、3人の異端審問官による拷問と激しい審問に対する彼女の答弁で進行して行く。1950年代の黒白を彷佛とさせる撮影監督アルド・ディ・マルカントニオによる素晴らしい画面の中でゴスタンザを演じるルチア・ポーリは、10分近いクローズアップのモノローグを同時録音で何度も語り切ってしまう驚くべきパフォーマンスを見せるが、そこで描かれるのは異端審問という演劇の上演である。書記の手がペンを動かすショットに続き、見下ろす形で老いた審問官が位置し、若い審問官が被疑者の横に立つ。ゴスタンザが衣服を脱ぎ捨てる後姿に続き、両腕を屈強な男が押さえつけると老いた審問官が矢継ぎ早に質問が浴びせられる正面からの切り返し画面が続く。そこで満足な答えが得られないと見るや、指図された男が両腕を逆に決めたまま滑車に縄をかけて宙に吊り上げる。悲鳴と共に両肩が外れたまま激痛に耐える女になお質問が浴びせられ続ける。窓からの逆光と影によってポルノグラフィックな映像を避けてなお鮮烈なこの遠景の後、若い審問官が降ろされたゴスタンザに近寄り穏やかに質問を繰り返す。そこでゴスタンザの長いクローズアップに変わり、彼女自身が魔女となった経緯を語る8分近い凄まじい独白が続いていく。以後彼女は拷問から逃れるためにファンタジーとしての魔女の世界を「創造」し、演じていくのである。

10年近い調査の後に中世の魔女裁判の調書を再現する形で構築されたこの作品から観客はすぐ『雷光』から『バファロー大隊』まで数多くの裁判を描いたジョン・フォード、あるいはドライヤーとブレッソンの映画化したジャンヌ・ダルクを思い起こすことだろう。だがそれにもましてこの『魔女ゴスタンザ』の素晴らしさは審問される女性がしばしば審問官を圧倒する独白と魅力によって、審問にかけられたが最後ほとんどの者が殺害された非人道的な法廷を、上演の場に変貌させる輝かしい存在感を持っているという点である。つまりここでもベロッキオの『夜よ、こんにちは』同様に監禁している者こそが実は精神的にも身体的にも真の囚人であることが暴き出されるという逆転が見られる。弁護するものがおらず、火刑の危機に瀕して魔女の世界を自ら苦し紛れに構築しながら、実はこのトスカナの一人の女性が豊かな想像力と弁舌によってカトリックの審問官よりもずっと自由なのである。とはいえパオロ・ベンヴェヌーティはそこに登場人物の幻想を導入したりはしない。裁判調書に記録されたゴスタンザ自身の証言がすでにその自由を語っているからである。やがてフィレンツェの大審問官による聴取と一人の女性の証言によって、ゴスタンザは魔女としての自己を否定されることで皮肉にも意外な結末を迎えることになる。この映画はローカルな裁判記録の証言を忠実に再現することによって、実は一人の女性によって創造され、現代のすぐれた女優によって演奏される豊かなフィクションを聴こうとする試みなのである。

ベンヴェヌーティはエルマンノ・オルミの『ジョヴァンニ』の主人公である16世紀初頭のローマ教皇軍騎兵隊長「黒隊のジョヴァンニ」の息子で近代トスカナの建設者であるコジモ一世についての企画を10年来温めており、オルミは自分同様ロッセリーニの規範に従っており、根は同じなのだと語っている(6)。『ジョヴァンニ』は確かに魅惑的な映画で、歴史的背景を語るナレーションとキャメラに向かって話す人物の組み合わせの速いカットとリズムは多くの演者たちが素人でありアフレコを必要としたことを観客に感じさせないための洗練されたアイディアであり、そこでは主人公と『木靴の樹』の一家の嫁を思わせる美しい容貌の妻との『婚約者たち』を思い出させる往復書簡、さらにかつて『鉄の時代』の製作に加わったという(7)オルミにふさわしい当時の新兵器である大砲の製作シーンが描かれている。だがこの大砲製作シーンを包む青い光や煙が被写体自体を輝かせるよりも装飾的になっているように、画面と編集はしばしば強調的である。例えば野営中のジョヴァンニが甲冑を従者に脱がされつつ教皇宛の手紙を筆記させるシーンは、主人公と従者と筆記者の三者を交互に示すカットバックで、甲冑に食い込んだ弾丸がこぼれ落ちる画面がそこに差し挟まれる。それはより強力な大砲の弾で甲冑を貫通されることになる伏線という優れたシナリオなのだが、誰もが気づかなくてはならないためのクローズアップを使った演出は過剰なのである。それは今日オルミのような作家であっても観客の視線に委ねるというリスクを負うことがいかに困難かを示している、という意味で興味深い。

『シークレット・ファイル』はかつてフランチェスコ・ロージが『シシリーの黒い霧』、マイケル・チミノが『シシリアン』で取り上げたシチリアの義賊サルヴァトーレ・ジュリアーノが1947年5月1日に農民11人を殺害したとされる事件(この事件を口実にジュリアーノは警官隊に射殺された)について、1951年に裁かれることになったジュリアーノの友人で「この事件には黒幕がいる」とする証言者であるガスパーレ・ピショッタと、その弁護のためジュリアーノ事件を再検証しようとする弁護士を描く映画である。『夜よ、こんにちは』のベロッキオはモロ事件の全容を再構築するといった視点を拒否したが、『シークレット・ファイル』のベンヴェヌーティは事件の全容を明らかにしようとした一人の弁護士の調査を追跡するというフィクションを構築する。それはベンヴェヌーティが助手としてついたストローブ=ユイレの『歴史の授業』というよりは本人曰く「ウェルズ的テイストのないウェルズ映画」(8)というフォルムを持っている。だから冒頭刑務所にやって来る男たちが映写するニューズリールを見るシーンが『市民ケーン』へのオマージュなのは明らかだ。だがこの映画はいわゆるシネフィル的な閉じられた映画では毛頭ない。この作品では依拠すべき公式の記録のテクストが当時のイタリア政府によって改竄されており、疑義を申し立てるフィクション的な人物である弁護士とそれに協力する教授による事件の再構築は、現代において映画の作者たちによる資料の再読によって「創造」されなくてはならなかったからである。事件から半世紀以上の時間が経過してしまった今となっては、それも最後に風に舞って飛ばされてしまうカードのように(このシーンは見事というしかない)あくまでも推論にすぎないと言える。この映画がヴェネツィア映画祭に出品された際に複数の歴史家が映画に描かれた「真実」について異論や反論を主張した(9)としても、映画自体が製作された目的が過去の事件の「再審請求」でないことは確かである。映画は捜査の身振り、「仮説」=フィクションを上演するのである。事件の経緯はイラストとオフ画面からの声で語られ、弁護士は事件当時の場所のミニチュアを使い、相棒とのディスカッションで推論を述べていく。

この映画を素晴らしいものにしているのは、台詞に先んじたフィルムノワール的な人物の無言の動きだ。冒頭の党幹部による映写技師への合図に始まり、ディスカッションに入る前に弁護士と相棒がエスプレッソ・コーヒーを準備する手つき(それはラストシーンへの伏線になる)、事件現場の銃弾の数が合わないと言う弁護士に「説明しよう」と自信たっぷりにミニチュアに向かい、カーテンを引き、照明をつける相棒の立ち居振舞い。ジュリアーノ一味の一人カカオヴァが弁護士の勧める煙草の先をゆっくりと千切りながら事件の証言を突然話しはじめるシーンの手の動き。さらにアーカイヴで資料を探す弁護士をとらえた長い固定画面が続き、突如目的の資料を見つけた彼がこれを床に置き無断で写真を撮影するときの緊張。その長い時間から動きへの移行はきわめてロッセリーニ的である。また終盤カードを並べながら事件の背後にある黒い影の動きを指摘する教授(演じているセルジオ・グラツィアーニは声優でもある)の手と台詞のリズムは、台詞以上にこの事件の幕引きの準備にふさわしい。そして観客にとって視野を限られた固定画面によるラストシーン。すでにそこ=画面の外で何が行われるのか観客には予想がついている。だがそれ以上に無気味なのはこの画面に出入りする人物たちの無言の身振りである。もちろんそこで観客はブレッソンを思い起こすだろうが、むしろベンヴェヌーティと共同脚本家パオラ・バローニは未解決の謎そのものを見せる方法としてこの固定画面を選択したと言う。それは奇しくもロッセリーニが『アモーレ』以来行った「フレーム外は見えない」メディアの限界を提示する方法でもある。つまりベンヴェヌーティは未解決事件の再構築ではなく、調査というフィクションを通じて(彼の国であろうとこの国であろうと)我々が実際に何に支配されているかを明らかにしかつ批判しているのである。


(1)『作家主義 映画の父たちに聞く』奥村昭夫訳、リブロポート

(2)la porta aperta/5,"nel vortice di Macbeth"conversazione con Marco Bellocchio di Edoardo Bruno e Bruno Roberti

(3)1996/7年製作のヴィデオによる若い映画作家が年長の映画作家を描くシリーズ"Ritratti d'autore"の一編。

(4) ジャコモ・ガンベッティによるインタビュー、I pugni in tasca. Un film di Marco Bellocchio, a cura di G. Gambetti, Garzanti, Milano 1967 p43

(5)www.tamtamcinema.it/persona.asp?ID=685&lang=ita

(6)Intervista con Mariella Cruciani,cinecritica n.23/24 aprile-settembre 2001

(7)www.frameonline.it/ArtN17_Olmi.htm

(8)www.drammaturgia.it/recensioni/recensione1.php?id=2013&lant=1

(9)『シークレット・ファイル』の2003年ヴェネツィア映画祭上映時にシチリアの歴史家ジュゼッペ・カサルベアはジュリアーノ事件当時アメリカ諜報機関OSSのジェームズ・アンゲルトンの暗躍を示唆した自説を無視していると抗議した。ベンヴェヌーティは彼のテクストを参照したことは認めつつも彼と共同作業したダニロ・ドルチの出発点は事件現場で発射された弾丸の数に関する疑問であり、そこにはもっと数多くのグループが介入したはずだと主張している。またヴァレリオ・リヴァは"Il Giornale"紙に(陰謀の)証明は映画作家でなく歴史家によってなされるべきであり、ベンヴェヌーティは資料の読み方を知らないのだ、と攻撃している。

(2005.05.02)


©Akasaka Daisuke

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