ロシアからの声

ソクーロフ以後の映画について

断続的な中断を経て1991年に完成されたマルレン・フツィエフの『無限』Beskonechnostはかつてソ連体制の最後の映画と呼ばれたことがある(1)。フツィエフにとって2001年に自身も含めた第2次世界大戦に出征した人々に捧げた『41年の人々』Lyudi 1941 godaが今のところ最新作となるわけだが、この出征のパレードの場面は『無限』の終幕近くにも描かれている。老いた一人の男がすべてを処分して自らの分身である若い男に誘われて過去の思い出の場所を訪ねてさまよい歩くと、何の説明もなく過去の女たちや情景が男の目の前に次々に現われては消えていくこの映画は、『夕立ち』あたりと比べると音楽が多くかなり感傷的にも思える作品だが、それでも随所に彼の映画ならではの美しいシーンがある。例えば思い出の女と出会って彼女の家でつかの間の時を過ごす時のベッドと天井に映える暖炉の炎の赤さだけをとらえる画面での長いオフ画面での男女の会話、そしていつのまにか身を整えた女のシルエットへの移行。フツィエフが『私は20歳』や『夕立ち』で感動的に用いた登場人物のオフ画面での声が暖かい色の照明や影につつまれて主人公の老人は自然に時を超えていく。あるいは朝霧の中、路面に水が打たれた通りを時代物の正装の女たちが走り抜け、突如パレードの音楽が聴こえてくると、戦地に旅立つ兵士たちが姿を表すシーン。

確かにソヴィエト体制の下で作られ、オリヴェイラやストローブ=ユイレ(彼ら自身もエイゼンシュテインの影響下にあることを認めている)が言うように現代の映画とはまるで別の種類の話法や飛躍を可能にしていたサイレント時代のドヴジェンコ(2)(特に時を超える老人とその孫が伝説の時代から革命を経て近未来都市までを駆け抜ける『ズヴェニゴーラ』)や、その夫人ユーリャ・ソーンツェワの『海の詩』が思い出されてくる。例えば『海の詩』で独ソ戦から故郷の再建のために帰還した男が子供をつれてあたり一面金色の麦畑を歩く時、男の声によるモノローグが過去の独ソ戦の光景を呼び覚ますと、突如戦車が目の前を通り過ぎていく。医者である男は爆撃の恐怖に震えながらメスをふるい敵弾に倒れた仲間や自らの血に染まった姿を見る・・・あるいは男女が真っ赤な夕暮れの中を歩いてゆき、国家再建に焦る男の歩みがしだいに速まるとともに独白が高まり一方置いて行かれた女は悲しげに草原に身を横たえる、すると歌声とともに農民たちの顔があらわれ、そこに現われた医者である男の独白が女に語りかける。またオフィスで怒りに燃えた男が笞をふるうと突如壁が破壊されダムを崩壊させる水の奔流に飲み込まれる・・・

いたるところで共産主義プロパガンダとドキュメンタリー的な映像が美しい声や歌とともにごく自然に過去や幻想への気狂いじみた飛躍を行うソーンツェワの映画が『気狂いピエロ』の時期のゴダールにも衝撃を与えていたのは彼自身の証言にある通りだ。そしてこの主人公のモノローグは、ヌーヴェルヴァーグと同時期にデビューしモスクワの四季をとらえた生々しい街頭撮影が鮮烈なフツィエフの『私は20歳』の全編をも覆い、フルシチョフによる公開禁止措置に対してこの作品を最も熱烈に擁護した(3)ミハイル・ロンムの映画との橋渡しとなる。フツィエフはロンム最後の企画『それでも私は信じる』I vsyo-taki ya veryu...(1974)をエレム・クリモフらと共同で完成させているのだが、この映画には『野獣たちのバラード』のために録音されたロンムの声が使われているという。それに何より傑作『一年の九日』の女性科学者の心の声のモノローグが思い出されてくる。しかしこの観客を魅惑するこの声と詩的な飛躍そのものは現在の映画からほぼ消滅してしまったように思える。ロシア映画でさえも、例えば自然がいかにも西欧的な、ヴィジュアルな背景としてしか存在していない平凡なアンドレイ・ズビャギンツェフの『父、帰る』にはもはやそんな瞬間はありえない。ではソ連崩壊後のロシア映画にいったい何が起こっていたのだろうか。

フツィエフが『無限』を撮ったとほぼ同じ時期アレクサンドル・ソクーロフは注目すべき新しい映画作家と作品についてアンドレイ・チェルニフの『オーストリアの草原』をあげていた。この奇怪な映画は一時ソクーロフの作品とともにロシア国内の映画祭で上映されていたことさえあるのだが、この『オーストリアの草原』Avstriyskoe pole(1991)とチェルニフが脚本に参加した『静かなる一頁』を並べてみるとき、さらにもう一本チェルニフが脚本を書いたスヴェトラーナ・プロスクーリナ(彼女は『エルミタージュ幻想』の脚本に参加しメイキングを撮影している(4))の『鏡の反映』Otrazheniye v zerkale(1992)を加えてみると見えてくるものがある。それは演劇がサイレント映画を通過しトーキーを発見した時つけられるべき音を模索しているような映画、あるいはコージンツェフやトラウベルグ、あるいはアブラム・ロームのような、1920年代に実験演劇からサイレント映画に行った人々が共産主義プロパガンダに従事せずそれを現代でも続けていたら作ったであろう映画とでも言えばいいだろうか。これらの作品ではまず誰もが一見飛び込んでくるヴィジュアルな要素に目を奪われるが、そこでも実は重要なのはサウンド面での試みなのである。男に追われながら満たされることのない女と男を追いかけてやはり満たされることのない女、だがそれは同一人物の二つの顔のようでもある女性たち(エレナ・ブラギナ、ナタリヤ・バラノワ)を主人公にした『オーストリアの草原』は、会話の多さにもかかわらず大半が「複数の独白」で成り立っている映画だ。それはまるで20年代の未来派的な衣装の、どうやらアーティストである女が男たちをアパートに招くシーンにおいて、ギャラリーの男たちとのダイアローグであっても実は女がキャメラに向かって話しかけるモノローグであるように、孤独な人物たちがさまようばかりの映画である。さまよいと言ってもソクーロフの映画にさえ痕跡をとどめていたアントニオーニ的な要素はまったくなく、むしろアブラム・ロームの『未来への迷宮』のように演劇から来たアイディアで満たされている。それはあたかもこれから幕が上がるとでも言いたげに女の横顔をじっととらえる冒頭のワンシーン・ワンショットから始まって、それでいて我々がこの映画にとらえられるのは、モノローグを複数の声に変換する運動のためだ。ワイングラスを傾けながら回想する女のフラッシュバックで車の座席の男女は長い対話を続けるが、そこに彼らのモノローグ=心の声の対話とでもいうべきオフ画面の声がその上から重ねられていく。あるいは突然イタリア語のダイアローグが聴こえてくる謎めいた森の移動撮影の光景のように、映画全体が絶えずポリフォニックな空間を作ろうとする作業に満ちている。

逆に『鏡の反映』は演劇の上演から始まり、俳優のモノローグが聴こえてくる。映画は常に演じているがゆえに自分を見失っていくひとりの俳優の物語を語るが、監督プロスクーリナの関心はダイアローグのシーンにある。タルコフスキーの『ノスタルジア』を思わせる犬を連れて俳優(ヴィクトル・プロスクリン)が歩いていく光景が繰り返されるこの映画だが、タルコフスキーの映画とは異なり、最も魅力的なのは対話シーンなのだ。ソクーロフが賞賛した新作Remote access/Udalionnyy dostup(2004)についてのインタビューで、彼女は対話する一人一人の人物の背景音の違いを編集で接続する瞬間の驚きについて語っていたが、例えば主人公が劇場からついて来た娘ともう一人の中年女性とともに部屋で飲み明かすシーンで、プロスクーリナは台詞を話す人物の前後の、合間の表情やその変化にキャメラを向けていく。そこで彼女はゴダールやカサヴェテスといった偉大な先駆者たちと出会うのだが、彼らほど熟達されてはいないにせよ、いや逆にある意味で不完全だからこそ美しい。この変化の瞬間をとらえるためにこの作品の緩やかなテンポが決定されているのだが、それは映画でなければクローズアップされえない時間だからだ。

これらの映画作家たちと比べるとソクーロフの『静かなる一頁』がかえって幻想的な空間構築のための非常に伝統的な方法や技法で成立している映画だったと思い当たる。確かに彼の映画でお馴染みの、遠くの犬の声、近くからの川の音、沈黙とそして決めの瞬間に幽かに聴こえてくるマーラーの旋律・・・のように映画全体のサウンドををまるごと作曲してしまう手腕はまったく他の追随を許さないものだが、例えばドストエフスキーの「罪と罰」から引用された主人公の部屋に少女が訪ねてくるシーンで、近づいたキャメラが後退するといつのまにか外になっているというヴェーラ・ゼリンスカヤのセットは、壁の移動によって場所の感覚を狂わせるアイディアがアラン・レネが『プロビデンス』で使っていた技法に近く、つまりラウル・ルイスがしばしば発想の源とするカルデロン・デ・ラ・バルカの「人生は夢」などのバロック演劇に由来するものだ。また水没した都市とそこに上の回廊から飛び降りる人々の切り返しは、その奇抜なイメージにもかかわらず、この映画において追求されている虚構空間の回廊の構築に正確に添った想定内の編集とは言える。それは長いテンポと沈黙と静止画像さえも含むが結局は画面の切り返しの連鎖から成り立っている主人公と役人の対話シーンや、同軸上に画面が近づく主人公と少女の別れの会話シーンの演劇性にも言える。また『ストーン クリミヤの亡霊』の冒頭で主人公が浴室で復活したチェーホフを発見するシーンに伝統的な見る/見られるのカットバックの編集が使われていたのに気づく。もちろん「エレジー」シリーズはその限りではないにしろ(とはいえ最も実験的な『ロシアン・エレジー』にさえ死者を見る人々という偽の切り返しの編集が使われていた)、ソクーロフの映画における閉ざされた虚構空間を構築しようとする意志は、例えば『精神の声』のような戦場ドキュメンタリーにさえそのリズムや色彩や光線の選択やすべて後から構築されたサウンドをあらかじめ観客に受け入れさせるという長い固定画面のプロローグによって明確に示されている。さらにこの意志は『モレク神』から『エルミタージュ幻想』等の近年の大作でますます明らかになってきているものだ。では、タルコフスキーやゲルマンのように、あるいは晩年のコージンツェフのごとく、ソクーロフも結局はこの虚構の強固な維持を目指すソ連時代の映画作家に属する人だったと言ってしまっていいのだろうか。これはおそらく新作『太陽』が日本公開されたなら予想できる退屈な閉じた言説空間での論争や映画に対するプチスターリン的な振舞いよりも遥かに重要な問いであるように思える。

この問いはソクーロフ以後に出現した、批評的な資質を持った映画作家たちの作品やテクスト、インタビューを参照することによりさらにあらわになってくるように思える。『エイゼンシュテイン自伝』等で知られるオレグ・コヴァロフは映画史家でもあるが、彼はその作品とテクストのなかで、ソ連時代の映像を再検討するための距離を見出しているように思える。『エイゼンシュテイン自伝』の中での精神分析的なアプローチや、メリエスやバスビー・バークレーの映像への親近性を示すかのような引用併置が目新しいものとは思えないものの、作品の引用とモンタージュされスローモーションで示されるエイゼンシュテイン自身の姿は、偉人というよりどこか滑稽なパーソナリティが垣間見える身振りをあらわにしている。アレクセイ・ゲルマンによって朗読されるエイゼンシュテイン自身のモノローグは、すでに死んでいるエイゼンシュテイン自身によって振り返られる人生へのコメントであるかのように聴こえる。つまりそこでは讃えられたり否定されたりするという単純なものではなく、エイゼンシュテインという個人を見てとるための距離を見出そうとするものだ。それはRadio SvobodaのHPでのレニ・リーフェンシュタールの映画とエイゼンシュテインの『十月』の比較から、前者のロマン主義神話の光と悲劇の欠如、ドイツの街頭のニューズリール映像の中のヒトラーに敬礼をしなかった人々がいた画面があることから前者への現実の無反映を指摘するくだりをはじめ、彼と批評家たちによる一連の歴史的コンテクストを踏まえた古典映画(『イワン雷帝』『アンドレイ・ルブリョフ』『諜報員』等)の再検討と分析にも感じられる(5)。つまりそれらをすべて共産主義やナチスに奉仕したプロパガンダ映像として切り捨ててしまうことなく諸機能を見てとる姿勢がロシアでは可能になったことを感じさせるのだ。コヴァロフのフッテージを扱う手付きは、アルタヴァスト・ペレシャンやソクーロフがそこから純粋な運動を抽出するモンタージュと異なり、メディアである映像への省察を見るものに希求する。

それは自らの由来する時代へ敬意を表しながら将来の危険を察知する方法のひとつでもあるように思える。かつて映像が映画館にしか存在しなかった1937年、スターリンに共産主義プロパガンダ映画『十月のレーニン』製作を命じられたミハイル・ロンムが、そのスターリン死後の年のある夜に作品のネガからスターリンの姿を削除していた話(5)は、ロンムがもしスターリンの死後まで自分が粛清されず生き残った時に賭けてあらかじめ作品を作り上げていたことにスターリンが気づかなかったとすると、かつてスターリンが部下を通じてロンムにフォードの『肉弾鬼中隊』のリメイク『十三人』を命じたことと考え合わせても驚嘆すべき話である。現在『十月のレーニン』を見直すと、ゴダールの『カルメンという名の女』を思わせる銃撃戦シーンやユーモアたっぷりのレーニンのキャラクターなど、スターリン登場場面があったことなどまるで想像できないほど「面白い」映画になっているからである。はたして現在の即時的な映像やメディアを扱う人々、それに日常最も影響を受けている「普通の人々」に『野獣たちのバラード』(フッテージを使ってナチスを扱った映画としてゴダールがしばしば言及している)のこの作家の行動と透徹した視力を持つことが可能なのだろうか。おそらくコヴァロフの省察は、閉ざされたソ連映画史に対して距離をとることで視野と時間を導入し、この視力を保持しようとする試みなのである。

一方エフゲニー・ユーフィトの作品は別の距離をソ連映画史に対して導入する。ソ連体制末期の1985年に『孤独な声』を撮ったばかりのソクーロフを招いた映画学校で学び(6)、在学中にアンダーグラウンドで密かに活動を開始した若い作家たちの一人でネクロリアリズム(死霊実在主義)の旗手と呼ばれ、マリオ・バーヴァやジョルジオ・フェローニによって映画化されたA.K.トルストイ原作「吸血鬼の家族」をアレクセイ・ゲルマンの製作でリメイクした『パパ、サンタクロースは死んだ』Papa, umer ded moroz(1991)で長篇デビューした彼の映画は、タルコフスキーがやったようなソ連製作の芸術SF映画のジャンクとでもいいたい作品である。例えば『ストーカー』の俳優として知られ演出家でもあったアレクサンドル・カイダノフスキーによってソ連末期の1988年に撮られた『灯油売りの妻』Zhena Kerosinshchikaは世評とは異なり師タルコフスキーよりもむしろファスビンダーやシュレーターに近い忘れ難い美しさを持った映画であり、スターリンが死んだ1953年の日常の中からいたるところで奇怪な幻覚の世界(天気に突然降ってくる豪雪、炎につつまれるフルート奏者、死の天使、等)に遭遇する人々の物語を語る。それは映画完成後の数年後に消滅するソ連の予言的なメタファーでもあったのだが、同様のメタファーを使いながらも、ユーフィトとの間にはさらに距離が存在する。それは国家による芸術映画が成立していた作品を自然なものとしていた時代はもはや戻れない過去だと宣言する映画であり、芸術になりそこねることで距離を導入するのである。『シルバーへッズ』Serebryanye golovy(1998)の森の奥の秘密基地に集まった科学者たちによって延々と失敗が繰り返される、おそろしくチープな装置による植物と人類の合体実験は、ジャンク人間たちを延々と産み落としていくのみである。だがそれはただのトラッシュフィルムではない。黒沢清『勝手にしやがれ』シリーズを少々連想させるジャンク人間たちによる延々続く無意味な遊技のシーンは、ソ連体制の不毛のメタファーであると同時に、『鏡の反映』の音楽も担当したヴャチェスラフ・ガイヴォロンスキーによるほとんどノイズに近いサウンドやソクーロフの撮影監督だったアレクサンドル・ブーロフによる黒白撮影による水や樹木に映える光によって、ジャンクのディティールからそれでもなお物質や時間に宿る美しさを抽出する。ユーフィトの映画は共産主義のシステムという基盤を失い資本主義というシステムも機能不全化した世界にそれでもなおかろうじて肯定せざるを得ない何ものかがあるなら、それは汚物や塵の向こうに見えてくる「自然」だと言っているように思える。それは彼自身言及している1920年代の映画たちがサイレント映画の進化とともに発見していたものである。やがてそれは共産主義との遭遇で死滅してしまったのだが、今また廃虚の中から蘇生してくるのである。だからユーフィトの映画の人物たちがすべてゾンビであっても不思議はあるまい。それはまたドヴジェンコの初期作品における時を超える不死身の主人公たちや、ドキュメンタリーとフィクションが混合されもはや区別できなくなってできあがった「自然」の映像へと結びつく。だがその「自然」は我々がいつまで肯定できうる環境であるのか。『シルバー・ヘッズ』の空虚なラストはそれについて何も語っていない。

こういった後続の作家たちの作品や批評の地点から見るとソクーロフの『モレク神』に始まる権力者を描く作品群のイメージは、エリツィンを描いた「エレジー」シリーズの2本を含めていっそう微妙な位置にあり曖昧かつ複雑なものに見えるだろう。モデルとなった人間たちと歴史が存在してしまったことを肯定せざるを得ないといった姿勢、悪への奇妙な親しみ、戯画化やレアリスムといった極論を避けデフォルメすることで遠ざかりつつ敬意を表するといった距離感は、数々の画家たちが描いた王たちの肖像画のように、後の歴史によって正当に位置付けられうるのだろうか。

ソ連が崩壊した後、21世紀に入ると奇妙にも我々は冷戦時代よりもさらに東側の映画およびイメージから遠ざかることになってしまったのだが、見失うことができないのは旧体制の生み出した映像と音の再審と探究の継続の萌芽なのだ。例えば『映画史』以前すでに1980年代のジャン=リュック・ゴダールは西側と東側の間で映画を撮っていることに最も意識的であり、『カルメンという名の女』『ゴダールのマリア』『ゴダールのリア王』のような作品の自然の映像や音響を通じて双方からの力の媒介を果たしていたと言えるだろう。またチェン・カイコーの初期作品がドヴジェンコにつらなるものだったように(それだけに後の「自己改造」が無惨である)、中国映画と大地や工場が結びつくとき、ジャ・ジャンクーの『プラットホーム』やワン・ビンの『鉄西区』といった作品の中にその流れを不意に見出すことができる。またドヴジェンコ的と言えばビクトル・エリセ(『10ミニッツ・オールダー』の一編『ライフライン』)やマルク(マーク)・レチャ(マノエル・デ・オリヴェイラが彼を発見したことを忘れてはいけない)もそうだし、さらにガス・ヴァン・サントの『エレファント』の音響がタルコフスキーの『ノスタルジア』なくしてはありえなかっただろうことなど、ソ連映画に由来するイメージの力は依然としてアメリカやヨーロッパ、アジアの映画にとって依拠すべき外部として存在しているように思える。ソ連崩壊後に現われた映画作家たちの探究とそれを通じてのソ連時代の映像の再検証は我々自身の視線がいつまでもロシアに抱くよう操作された教条的なイメージから解き放たれる将来のためにも必要なのである。

註;

(1)ミロン・チェルネンコ、ノーヴァ・ガゼッタ、n.90

(2)ストローブの発言は2001年トリノ映画祭カタログ、オリヴェイラについては2000年のトリノ映画祭カタログ所収の発言を参照。

(3) ラリサ・マリュコワ、ノーヴァ・ガゼッタ、n.8、

(4)プロスクーリナによるソクーロフへのインタビューは以下。
www.kinoart.ru/magazine/07-2002/now/sokurov/

(5) www.svoboda.org/programs/Cicles/Cinema/Russian/

(6)アラ・ヤールコ、Russian Journal、"Stalin Cinema near the side of Pyrenees"、24/May/2000

(7)以下に詳しい。 www.kinoart.ru/magazine/09-2004/names/jufit0409/

(2005.04.01)


©Akasaka Daisuke

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