アメリカ映画(1)イーストウッド、"The Mad Songs of Fernanda Hussein"、"Talking to Strangers"

クリント・イーストウッドは『ミリオンダラー・ベイビー』で背後から殴打され頭部を椅子に打ちつけるヒラリー・スワンクを本当にスローモーションで撮りたかったのだろうか。これはイーストウッドの映画において、目にも止まらぬ弾丸が飛び交う銃撃戦においてさえそれだけはないと確信してきたことなのだ。『ダーティハリー4』の、既に銃を抜いた大勢の相手から囲まれたハリーが後から巨大な44マグナムを抜いて誰からも弾をくらわずに全員を撃ち殺してしまうシーンから、『許されざる者』のジーン・ハックマン演じる保安官一味にたった一人で対し、しかもライフルが不発であるにもかかわらずまたもや誰からも弾をくらわずに全員を射殺してしまうシーンまで、イーストウッドの銃撃戦ではかつて一度たりともスローモーションが使われたことなどなかった。それらは例えば『ガントレット』や『ファイヤーフォックス』の敵のルーズな追跡と同様に「ありえね〜」という観客のバカ映画的な嘲笑や失笑を誘っていたのだが、実際には、これらのシーンは「現実にはありえない」からこそ、すなわちスクリーン上の虚構であることが自分の正体だと自ら暴露しているからこそ、イーストウッドが映画を口実にしたタダの好戦主義者でも右翼でもなかったと我々に確信させる根拠を与えていたのである。それは例えば観客の目にも止まらぬ跳弾(『ウィンチェスター銃73’』)や相手が床下を通り過ぎる一瞬(『西部の人』)に賭けてくるアンソニー・マン、犯人と観客にリヴォルヴァーの残りの弾を6、5、4・・・と数えさせ(『ダーティーハリー』)身を隠した相手が数cm額を覗かせた一瞬(『ラスト・シューティスト』)に賭けてくるドン・シーゲルや、今の作家なら相手がリヴォルヴァーを抜いた瞬間に主人公のデンゼル・ワシントンとある種の観客に6、5、4・・・と残りの弾を数えさせるカール・フランクリン(『タイム・リミット』)や細菌兵器に感染したヴァネッサ・ウィリアムズの死体置き場への無言の歩みに続く銃火と音を聴かせるロバート・マンデル(『WW。』)らとは違う。追跡においてなら、追う者と追われる者の距離は決して示さず、銃撃の一瞬に同じフレームに入れるという厳格な情報操作を行った『ワイルド・アパッチ』のロバート・アルドリッチの場合と比較してみるとわかりやすい。クリント・イーストウッドは、「リアルさ」よりはむしろ、目の前を推移する自ら作ったイメージの機能に進んで疑いを抱かせるリスクを負う作家であり、そのことは本来アメリカ合衆国の映画において、主人公を弱者にしたり殺したりするより遥かにラディカルなはずだったのである。

実際の早撃ちの競技を見たことがある者なら、現実には本物の早撃ちは素人には見えないからこそ早撃ちなのだということを知っている。例えばヘンリー・キングは『拳銃王』で下手なグレゴリー・ペックが拳銃を抜くのを見せなかったし(抜くのが見えるのは最後に撃たれる時のみ)、『無頼の群』では何と抜く時と発射する時を二つのカットに割っているシーンさえある。モンテ・ヘルマンは『銃撃』のDVDコメンタリーで「ジャック・ニコルソンがあんなに速く銃を抜けるのはトリックだからだ」と語っている。この観点から見ると、『昼下りの決闘』の決闘でジョエル・マクリーを殺して以来、『ガルシアの首』の場末のピアノマンを演じるウォーレン・オーツがジャンプしながら誰からも撃たれずに周りの奴らを全員射殺してしまうスローモーションを撮ったサム・ペキンパーさえイーストウッドよりいくらか「リアルさ」に配慮していたのかもしれない。「映画であることを暴露する」という点で言うと、その後『キラー・エリート』ではボー・ホプキンスを「殺して甦らせる」エンディングをプロデューサーに邪魔されてしまったペキンパーは、どうにかこうにか『戦争のはらわた』で映画の前半の戦闘で殺された少年をラストで甦らせて登場させることに成功している。だがそのためにはベルトルト・ブレヒトの名など持ち出さなければならなかったのである。これに対し『ペイルライダー』の幽霊ガンマンが敵の保安官の驚きに乗じてさして速くもなく銃を抜いて撃ち殺してしまっていた時のように、イーストウッドはただ何の策も労さず堂々と「そうだよ、これは映画なんだ。だからこそ俺は一人で全員を殺せるのだ。」と言っていただけなのである。

一方で多くの人々が失敗作と考えている『バード』から、『ホワイトハンター、ブラックハート』『ルーキー』、『許されざる者』を挟み『パーフェクト・ワールド』までの時期は、実際にはイーストウッドのキャリアのうちで最も面白く重要な進化のプロセス="evolution"の時期であり、シーンの連続性の基準をアクションから時間へ移行させた試行錯誤の軌跡が刻まれているドキュメントでもある。この道程は、例えば『パーフェクト・ワールド』のケビン・コスナーが農夫一家を縛り上げて殺そうとするシーンや『マディソン郡の橋』のメリル・ストリープがイーストウッドの誘いを拒むシーンのように、一つのシーンを観客にとってまるでリアルタイムで推移するかのように一部始終の連続性に厳格に配慮して組み立てることへと行きついた。それは奇しくも『拳銃王』『無頼の群』のヘンリー・キングが、あるいは晩年のジョン・フォードが、またフレデリック・ワイズマンの映画が被写体の語りを尊重する場合に行っていることでもある。そしてこれはイーストウッドの映画に「映画である」ことと何ら矛盾しない「真実性」の力を付け加える。例えば初期のイーストウッド映画に回帰したように見える『目撃』において階段でヨロつく老泥棒がシークレットサービスに追いつかれぬほどの速さで森林を駆け抜けたり幽霊ガンマンのように神出鬼没だったりする一方で、その娘と刑事エド・ハリスの恋や大統領補佐官ジュディ・デイヴィスや部下スコット・グレンの振舞いを入念に描写することが可能になり、『トゥルー・クライム』の迷宮入り難事件はイーストウッドの脳裏をよぎる一瞬で嘘みたいに解決してしまう一方で、ほんの数シーンしか出番のない刑務所の看守や所長、囚人の家族らが演技の連続性を損なわれぬことで個性を定着させ、真実性を与える、というように。

では『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクが昏倒するスローモーションも、この真実性への配慮の一つなのだろうか。そうは思えないのである。それどころかイーストウッドがスローモーションを使用したとき、栄光や賞賛の影で、ペキンパーが戦って傷だらけになりながら勝ち取らなければならなかった自由を楽々手中にしていたはずの彼が密かに危機にあった、または今も徐々にその危機が進行していることを推測させさえする。もちろん過去にも例外はあった。『ホワイトハンター、ブラックハート』でイーストウッドが象をライフルで撃とうとするときのズームとイーストウッドを助けようとするガイドへのスローモーションの交錯。しかしそれはむしろ見えにくい背景の一瞬に施されたものであり、アルドリッチが『ワイルド・アパッチ』で瀕死のバート・ランカスターが帰還を拒否するときに使った微妙に近寄るズームのように、意表をついていた。『バード』のシンバルや『マディソン郡の橋』の灰の緩やかな運動はそれ自体が抒情に結びつくことで正当化されていた。これに対し『ミリオンダラー・ベイビー』の場合、「見えないものを見えるようにする」プロセスで、エルマンノ・オルミの『ジョヴァンニ』同様に過剰な配慮があったのではないかということである。それはルシア・ライカ演じるチャンピオンの典型的な悪役ぶりや神父役にリチャード・ハリスが生きていたらと思わせる弱さを持っていた点と同様に、イーストウッドの映画をふたたび不安定な状況に持ち込む。だが果たして『ブラッド・ワーク』のジェフ・ダニエルズや『ミスティック・リバー』のショーン・ペンに力量を超えた複雑な配役を演じさせ高度な危険に陥らせるというリスクとその意図的な失敗によるズレが『真夜中のサバナ』で到達した円熟期にふたたび亀裂をもたらしたこととともに、それは不吉な徴候なのだろうか。




1991年、湾岸戦争が開始された直後のニューメキシコ州のある町で、二人の子供が殺され、一人の男によってその死体がリオ・グランデ河に投げ込まれる。『ダンディー少佐』のようにまたしても血に染まった河、細い草の葉の緑を染めて赤い雫が垂れて落ちる。このシーンを目にする観客は、ジョン・ジャンヴィトー監督の"The Mad Songs Of Fernanda Hussein"(2001)(1)がおそらく完璧な傑作にはならないだろうということを理解するだろう。だがこの16ミリで撮られ、半ば素人っぽい細部さえ含むこの176分のフィルムは、おそらく他に誰もやろうとしなかったこの15年にわたるアメリカ合衆国の危機的状況のドキュメントとして最も記念碑的な映画なのだ。

"The Mad Songs Of Fernanda Hussein"は湾岸戦争という戦時下の状況に対してダイレクトに反応する普通の人々の物語とドキュメンタリーの融合から成り立っている、と一応は説明できるだろう。映画は四つの章から成り(その一つはグリフィスから引用された「嵐の孤児」である)、複数の全く交わらない登場人物のエピソードが交錯しつつ描かれていく。イラク大統領と同じフセインという名を持つエジプト人と結婚した女性フェルナンダは、学校から帰宅途中に行方不明となった二人の子供を探してニューメキシコの荒野をさまよう。湾岸戦争の開始に激怒したある男子学生は、両親との政治的対立から家出し、ホームレスとなりながらも平和活動を続ける。一方イラクに従軍した帰還兵の一人は職と婚約者を失い、戦争後遺症の日常を送っている。この三人の人物の行動の間に、イラク人オウド奏者ナセール・シャンマのライブ映像(彼は戦争で片手を失ったミュージシャンのために新しい演奏法をあみ出した)、ナショナリズムのプロパガンダである玩具やゲームに日々浸かっている子供たちや、戦勝パレードに沸く町と帰還兵たち(アメリカで最も多くの兵士がニューメキシコ州から派遣されたという)に群がりサインをせがむ少女たちのヴィデオ映像が差し挟まれていく。

アメリカのあらゆる配給会社から拒否され、つまりある種の情報操作によって日本のどんな配給にも載らなかったゆえに誰も語ろうとしなかったこの映画が本当に重要なのは、実は単に湾岸戦争を主題としているからというわけではない。この映画がときに稚拙さの域にまで逸脱しながらとらえようとした文字どおりの「戦時下のアメリカ」の孤絶、企業体の生産品としてのフィルムであれば製作のプロセスで切って捨ててしまっただろう生のリズムや時間をも繊細に定着させようとした野心なのである。例えばフェルナンダと二人の子供に禍いが降りかかる以前のあるシーンで、フェルナンダが木々を拾い集める傍らで地面に寝転がる子供たちは青空の雲を眺めながらとりとめもなく話している。子供たちのアップにさまざまな雲が差し挟まれるシーンの長さは執拗に続き、語られている事柄や被写体の動きを超えてそれらを包括する時間をとらえんとしているのが感じられてくる。これはロバート・フラハティの『モアナ』以来、最近ではアビチャポン・ウィーラセタクンが『ブリスフリー・ユアーズ』で実現した感覚を思い出させる。そしてその果敢な試みがこの"Mad Songs"にロッセリーニやドヴジェンコのある種の美しさを受け継がせることになる。

例えばマイケル・ムーアの『華氏911』は殆どがインフォメーションからなるからこそ世界配給されたのである。この映画ではブッシュと図式的に対立させられる従軍拒否の兵士や兵士の家族らすべてがインフォメーションとして言葉や音楽とともに提示されてしまう。そこでは見えていなかったものが時間とともに浮上してくる瞬間は一度たりともなく、観客はその情報に従うにせよ拒否するにせよ即時にその従属下に置かれてしまう。そしてブッシュか反ブッシュのイメージしか持たない人々を生み出すことは、最終的にはすべてをブッシュについてのイメージで覆ってしまう操作に加担してしまうのである。なぜなら映像とは、どんな極悪人や残虐行為すべてに対しても、被写体として存在することを肯定する能力しか持っていないからである。それが少しでも「笑える」要素を持った人物の場合についてなら尚更なのだ。結局、代議制というものを否定せずに「本気で」(笑)勝とうとするなら対立候補が現主権者以上のイメージを提出するしかないのである。ただ映画がマスメディアとしてこうした即時の反応に結びついていた時代はとっくの昔に終わってしまっており、より曖昧で長い時間をかけて顕在化してくる事柄を見極めることに向いていることが明らかな現在に、今さら情報の大量消費に加担しようとする『華氏911』はひどく時代遅れに見える代物になってしまったのである。

ジョン・ジャンヴィトーはマイケル・ムーアとは異なり、またデヴィッド・O・ラッセルの『スリー・キングス』とも違って、三人のごく普通の人々がある日突然「孤独化してしまう」プロセスを提出する。この映画は突然母国の見なれた光景や周囲の肉親、友人が突然変貌してしまったことへのリアクションの身振りを追うことでロッセリーニ=バーグマンの映画に連なる。そしてこれは赤狩りやヴェトナム戦争を忌避し亡命したり追放されたりした人々の絶望を再現するものでもある。子供たちを求めて荒野をさまようフェルナンダは、彼らの遺体が発見された後もそのさまよいをやめることができない。家族と絶縁した学生は街頭でのさまよいの後で同様に戦争に抵抗する人々のコミューンに出会うが、それが一時的な安堵でしかないことを知っているかに見える。帰還兵は周囲の人々との軋轢、肉体的欲望に反する婚約者の娘への不能(彼が誰もいない荒野まで彼女を連れ出して"砂漠の嵐"作戦について語るシーンは美しい)、失業を経て孤独と悪夢へと追い込まれる。彼が犬を相手に棒切れで石を打ち続けるシーンの執拗な長い時間は、フェルナンダが魂のさまよいの果てにたどり着くゾゾブラの祭(1920年代から行われている巨大な呪いの像を燃やす祭)のドキュメンタリーへと融合し、いつ果てるともなく続く長いシーンへと繋がっていく。それは突然相米慎二の『お引越し』や『風花』の女たちの最後のさまよいがいったい何に繋がっていたのかを今さらながら思い出させる。リスクを負い傷だらけになりながらもフィクションをコントロールされていない「外」と接触させること。

そしてこれはロブ・トレジェンザが長篇第1作"Talking to Strangers"(1988)で目指したことでもある。35ミリで撮られた90分のこの作品についてゴダールは1996年に「『アラン』から『フェイシズ』までのアメリカ映画の偉大な伝統に所属する」と言っているが(2)、それは驚くほど複雑でしかも正確無比な距離感を持つワンシーン・ワンショットを「外」の危険にさらすことに由来するのだ。物語は「ボルティモアに住む一人の若者ジェシー(ケン・グルーズ)があれこれの出会いの後にアーティストになろうとする」というまるでハル・ハートリーの映画にでも出てきそうなものだ。だがトレジェンザはそれを語ること、つまり撮影自体が冒険のドキュメンタリーでありうる映画のただなかに観客を導く。冒頭のバスと車が行き交う大通りの交差点を見下ろす超ロングショットが白いマフラーの主人公らしき若い男をとらえる。彼は待ち合わせをしているらしく、交差点のあちらこちらに到着するバスから降りてくる客に目当ての者はいないかと次から次へと歩き回る。それが来ていないことを確認したらしい彼が大通りを奥へと歩いていくと、入れ代わりに黄色い馬車が鈴を鳴らしながらやってくる。キャメラは馬車を追いながら再びやってくる男をとらえる。一連の動きは真俯瞰からズームとクレーンを組み合わせ距離を維持しながら、コントロールされていないと思われる通りの光景と接しつつ進むのだ。観客はその距離感と維持のために時にふらつくキャメラと途切れそうになる音によってこの低予算映画のリスクに巻き込まれ、異常な緊張感にとらわれる。それは室内画面でも変わらない。銀行で相談の順番を待つ主人公の前で店の若い女と中年の男が言い争っている。そこに頻繁に電話がかかってくるが、どうやらこの女が別れようとしている夫であり執拗に何かを懇願しているらしいと察せられる。さらに業を煮やした中年男が女の上司にねじ込もうとし、女は夫の電話と上司の叱責にパニックとなっていく・・・舞台は女と上司の二つの離れた席を往復する演劇であり、全員がオフィスのためにひそひそと話さなければならないはずが押さえきれずしだいに声高になっていき、キャメラは息せき切ってしだいに歩調を速める人々の複数の動きをとらえつつ追いすがり、振り切られぬよう距離感を維持しようとする。おそらくはマイクを持つ手もしばしば追いきれず声が遠ざかるほどだ。だがこのフィクションを支える危うさの持続こそがゴダールをして「すべての自称映画学校の生徒に見せるべきだ」と述べるほどの傑作にしているのである。

リスクは教会で主人公が懺悔の代わりに神父との対話を試みようとするシーンにも形を変えて現われる。俯瞰のロングショットからクレーンで降りてくるキャメラが狭い懺悔室の天井をすり抜けて二人の顔の接写にまで行き着き、神父の側へ、さらにそれに続いて主人公の側からワンショットでとらえようとなお奥に位置する狭い窓をすり抜け往復する時、傾きながらも厳格さを手放さないトレジェンザのキャメラに驚くほかはない。「水上タクシー」と名付けられた、いくつもの波止場に立ち寄りながら周回するフェリーの甲板を舞台にしたパートでも、トレジェンザは主人公が乗船してくる中年姉妹との会話がコミュニケーションの断絶によって居心地の悪い沈黙に向かっていく様子を並走する船に乗り移り綱渡りのリスクを冒しながら撮りあげてしまう。かつてヒッチコックの『ロープ』でキャメラが危うく人物の側をすり抜ける時、当時のハリウッドのスタジオの技術を持ってしても前代未聞の試みであるワンシーン・ワンショットを実現することがいかに難しかったのかを示すドキュメンタリーとして傑出していたように、トレジェンザのキャメラとマイクはそれ自身の機能の限界を記録するが故に感動的なのである。

映画の最後は主人公がアートを製作しているシーンで終わりを告げる。壁と床を白いスプレーで延々均等に塗っていく作業は実は困難に見えるのだが、この映画の中で最もリスクを負っていないシーンに見える。実際ゴダールもこのシーンは失敗していると断じている。にもかかわらずこのシーンが重要なのは突然キャメラに振り返った主人公がじっとキャメラを見つめる一瞬故である。すでに「バス」と題された、主人公の乗っているバスに拳銃を持って乱入してくる若いストリートギャングたちが主人公に「知的な会話」を挑む滑稽なパートで仄めかされていたことではあるが、トレジェンザもそのサインを通じてはっきりと「これが映画である」ことを語っているからだ。そしておそらくこれによって"Talking to Strangers"は全米の配給を拒否され、いかなる日本のアメリカ映画についての言説でも語られることがなかったのだろう。トレジェンザは同様に冒険的な映画であるガス・ヴァン・サントの『ジェリー』やヴィンセント・ギャロの『ブラウン・バニー』がなおも温存してしまった虚構を、解放したために排除されたのである。

配給から排除され葬られた映画を語ることで逆に現在のメジャー配給とイメージと音の操作のプロセスに乗せられた映画がいったい何を欠落させているかを分析し、アメリカ市場からの距離と相対化、場合によってはこれに抵抗するクリエイティヴな関係を得ることができるはずだ。配給システムの選別が厳密化する「戦時下」ならなおさらである。日本におけるアメリカ映画についての言説が配給される作品とその情報に相も変わらず隷属するだけなら、それがいかにシニカルでも操作される不自由に甘んじることになるだろう。彼らは赤狩りの作家たちやクレイマーやモンテ・ヘルマンらの現代の後継者たちに目を向けることができるか?閉鎖回路から「外」へ出ること。距離をとること。

(1)www.sensesofcinema.com/contents/02/20/gulf_war.html

(2)ゴダール全評論・全発言。 奥村昭夫訳、筑摩書房。なおゴダールはノンクレジットながらトレジェンザの"Inside/Out"(1997)の共同製作者でもある。

(2005.08.17)


©Akasaka Daisuke

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