Dutch Masters~オランダ映画/フランス・ファン・デ・スタークとヨハン・ファン・デル・コイケン

A)オフィスの部屋にも学校の教室にも見える、閉められた窓から日差しが入ってくる部屋の中。キャメラの前で数人の男女が語っている。手前に位置する男女は立って、奥に位置する男女は折り畳み椅子に腰掛け、キャメラが横に振られたり移動したりするにつれ画面に合わせて厳格に配されたものであることがわかってくる。まるでそれはキャメラの前での芝居の上演のリハーサルのように見える。一人のスーツを着た男以外は普段着のようだが、クリーム色や白い色の壁に合わせたように中間色や目立たないような色ばかりを身につけており、選ばれたものであることが推察される。彼らは一人づつ、この部屋でスーツを着た男に尋問されているらしい、紫色の服を着た髪の長いある女について語っているように聞こえる。だがそれらの言葉は女の行動のディテールを描写するにもかかわらず、女について何も説明しておらず、彼ら自身のことも説明しない、抽象的で自省的なもののように聞こえる。女は隣の部屋でクレヨンを手に絵を描いており、男が「何を描いているのか」と問うたびに異なった絵が映し出され、それが何に行き着く訳でもない細部の描写が繰り返される・・・。

B)風に揺れる樹々の緑を後に、白い縁取りの長椅子に横たわって強くない日差しを受ける上半身裸の男と白いシャツの女がキャメラを見つめているクローズアップ。ときにキャメラを意識し、ときには意識せずに、ふたりは抱き合い、互いの手が相手の頬を、胸を愛撫する光景が手持ちキャメラの撮影によると思われるジャンプカットで続く。画面の外から男の声が、ゆっくりと自分の言葉を確かめるように間を置いて、「手術と治療を経て、私には力が戻ってきた。仕事をしなければ・・・」と語っている。オフ画面の声に混じって、不意に画面の中の彼がキャメラに向かい、「こうしていると自分の写真集のサンジェルマン・デ・プレの男女を思い出すよ」と話しかける。女の顔が映り、「エドが医者の宣告を受けた時、もう長くないとわかりました・・・でも苦しみにもかかわらず、私たちはずっと幸福になったんです」という声が続く。キャメラはふたりを遠景におさめ、背景の緑を仰ぎ見る・・・。

故(と言わなければならないのはただ悲しいが)ダニエル・ユイレ(1)とジャン=マリー・ストローブの家で初めて出会い、自分たちが実はアムステルダムの歩いて5分しか離れていない場所に住んでいることを知ったという(2)オランダを代表する映画作家二人、フランス・ファン・デ・スタークとヨハン・ファン・デル・コイケン(クーケン)は、2001年に入ると5ヶ月と離れずに相次いでこの世を去った。スタークはストローブに「ジガ・ヴェルトフの唯一の継承者」(3)と呼ばれ(ストローブ=ユイレは『すべて革命はのるかそるかである』をスタークに捧げている*が、マラルメのテクストを複数の人物が朗読する手法はスターク作品のレファレンスでもある(4))、まったく国際的に注目されることなかったが、しかし25本の作品を残している。コイケンはまず写真家として「17歳」「死せるパリ」で注目され、映画作家としてカイエ・デュ・シネマ誌上でセルジュ・ダネーに「JLG、JMSにJVDKを加えるべきだ」とまで絶賛され、世界的に著名な存在となった。対談を残している友人でもあり、音楽を担当しているミュージシャンの関係もあり(スタークの映画音楽をしばしば担当したベルナード・フネキングはコイケンの音楽を書いたウィレム・ブロイカー・コレクティーフのトロンボーン奏者である)、かつて『De Onvoltooide Tulp』(1980,スターク)と『The Master and The Giant』(1980,コイケン)では互いに批評を書き合ったという二人がそれぞれその10年後に撮った傑作、A)『Rooksporen』(『煙のあと』1990, スターク)とB)『Face Value』(1990,コイケン)は、ともに16mmで撮られ、キャメラに向かって語りかける顔、証言という主題を扱っている。2001年にヨーロッパの映画祭サーキットにおいて、ヨハン・ファン・デル・コイケンは、15人の映画作家に推奨された「知られざる映画」を上映するイベント「15×15」で『Rooksporen』を選び、その際すでにハンス・ビーアカンプによって『Face Value』との関係が言及されてはいる。だが、この2本をより詳しく比較してみるとき、単に全く異なったアプローチで映像というものに対していることを超えて、一般にもっともシンプルで我々観客に日常的に働きかけてくる類いの映像である「顔と言葉」の組み合わせの自明性を批判することで、思いもかけない自由をもたらしてくれる。

まずB)『Face Value』は、ベルリンの壁崩壊〜ソ連消滅〜湾岸戦争の時代に生きるヨーロッパの人々のポートレイト集である。コイケン自身最も挑戦的な作品の一つと言い切っているように、アムステルダム、マルセイユ、ベルリン、ロンドン、プラハなどランダムな場所の有名無名のあらゆる階級の人々の現在についてのインタヴュー(例えばB)のシーンで登場するのはこの映画を捧げられている友人で「セーヌ左岸の恋」の写真家エド・ファン・デル・エルスケン夫妻である)から構成され、85%はクローズアップで、語られる内容は多岐にわたりながら、1990年のヨーロッパの様相を表象するフィルムであるような映画である。
ゴダールは「ファン・デル・コイケンは映像をシンフォニーかコンチェルトのように組織し、ワイズマンは公的な場所を研究し古典的なドキュメンタリーを撮る」(5)と述べたことがあるが、コイケン自身もこう述べている。

「顔、顔のシリーズ: それは一つの軌跡です。 単語、文、スローガン、会話の断片、意見、実験、音楽の断片、環境音、工場、ラジオへの声の混合、音楽と混ざる声、クリアな声、不可解な声、吃音か涙まじりの声、歌まで提起された声: それはもう片方の軌跡です。 そして、視覚の線と耳の線がしばしば独自に動きを発展させ、時々もう1つに合流する。 それら両方は、特殊な動きの力学でそれぞれの曲の法則に従います、しかし、それらはそれらの間にアプローチ、距離、ぶつかったり一つになったりする絶えざる緊張関係を見ることから持たらされるでしょう。
サウンドトラックに関する情報はテーマの要請によって分類されるでしょう。 したがって、ある局面では、すべての声が未来について話すのですが、そこには別の場所と意味、別の記憶、またもう一つの「遠く離れた国と外国人」があります。 女性の声の優位なある局面には、男性の声があるでしょう。 ある場合では、死が別の愛の背景で支配しています。・・・それは声のオーケストレーションです。 テキストは意味をもたらし、そして同時に、一種の音楽を構成しなければなりません。 イメージとテクストの組み合わせも音楽であるに違いありません。テクニックに関して: 音とイメージは別々にしばしば録音されるでしょう、時々録音の状況とまったく関係ない会話の間さえ。 また、多少手当たりしだいに出会った音をも集めることができました。 音に関して、いつもそれらは様々な長さの断片で、モンタージュで接続されます。 しかしながら、イメージと音は別々にいつも録音されるというわけではないでしょう。 非常に重要な瞬間に、それらはシンクロされ、2つの間の切断は一瞬で取り除かれるのです。」(6)

ここで説明され、B)にあげたシーンにも見られる映像と音の分離は、おそらくコイケンの写真家としての出自、つまり映画よりもエルスケンの写真集のフォト・ストーリーのように写真と付記されたテクストの関係に由来するものだろう。作品『Moment's Silence』は1960~63年のアムステルダムの風景と人々の断片がただ何の説明もなく写し出されているだけの初期の短編だが、すでにその沈黙とリズムの運動こそが、物語なしで写真と映画の違いを語っている。あるいはコクトーやクルーゾーを連想させる、友人でCOBRAのメンバーだった詩人・画家ルチバートについての『Lucebert-Time and Farewell』の1962年部分において、コルトレーンの「チェイシン・ザ・トレーン」のサックスの咆哮をバックにルチバートが自作の詩を読み上げ、速いカットの黒白映像で作品が写し出されていくとき、音楽と映像の関係は運動と静止の対位法を形成していくように見える。描写する筆の動きと絵の創造に対するルチバートの顔、冒頭のアトリエの後退移動とラスト近くの彫刻の固定画面の積み重ねである。セルジュ・ダネーは言う。「彼(ファン・デル・コイケン)はチャーリー・パーカーやバド・パウエルが演奏するように撮る・・・サックスを吹くように。彼はすべてのフレームを素早く演奏する。パンはテーマ、デカドラージュはリフ、リカドラージュはコーラス、・・・」(7)

『Face Value』では、フレーミングを顔とその周囲に自ら限定しているものの、映像と音の分離は各要素をよりフリーに組織することを可能にする。ランダムに選ばれた断片は、文学的・意味的コンテクストとそれを超えた地点で、対位法を構成する。コスチュームで仮装する子供たちの後にコイケン自身が登場して「レンズ(眼鏡)なしでは見えない・・・」とキャメラに向かってつぶやくシーンに始まり、キャバレーで踊る女ダンサーの白いメイクと眩い照明に移民労働者の浅黒い肌と影が続き、病に絶望する老人に結婚式の幸せなカップルが、マルセイユの右翼集会の喧噪の後にポーランドのユダヤ墓地に無言で献花する人々の列が続く。出会いと別れ、死と誕生、、歌とつぶやき、光と影。深い海の影にきらめく波光が感動的なのもそうした対位法の「音楽性」に貫かれているからである。おそらくコイケン自身が癌を患い長時間キャメラを担ぐことが難しくなったことから来る、絶えず不安定なフレーミングと短い画面の積み重ねが、かえって被写体をとらえることのリスクを感じさせる。『井戸の上の眼』のインド武術、『アムステルダム・グローバル・ヴィレッジ』のタイ式ボクシングなど、格闘技を通じてあらわれる「肉」と赤みのある「肌」(オランダ映画一般に遍在する要素であり、それはハリウッドで撮られたポール・バーホーヴェンの『ショーガール』『インビジブル』にさえあらわれる)が、この作品では「顔を撮る」という形式的な限界を設けられたために(この場合さらにリスクは増すことになる)、さらに映像と音を分離されたことによる人物の匿名性、真実性の不確定とそれをより観客の想像に委ねる姿勢を通じて、強く露呈される。『Face Value』の病に冒された夫妻の触れ合いと母が子を抱き上げるシーンのそれぞれの意味を超えた強烈な官能性は、その音楽性に支えられた自由に由来するのである。

一方フランス・ファン・デ・スタークにとって、この身体とフレームの関係はより厳格で基本的な要素であろう。new century new cinema vol.1で上映することができた短編『Sepio』は、ロベール・ブレッソン後期の形式化による極度の自己拘束を受け継ぎ、それを世界と出会わせることでより開かれたものにし超えていこうとする驚くべき作品だった。ヌーヴェルヴァーグの映画作家たちからさえ否定されたブレッソン後期の映画は、『やさしい女』から『ラルジャン』まで、完全にコントロールされた一つ一つの画面を限りなく絵画に近づけ、その完成がまさに崩れさる瞬間に世界が顕現することを目指すものだった。例えば『やさしい女』で橋の上で突如愛に気づいた男が帰宅してすがりつくドミニク・サンダの膝の裏側、あるいは『ラルジャン』で鉄格子を隔てた夫と妻の微妙に重なり合った後姿。それに対してスタークは一人の女の子を使って、洗濯をし、絵を描き、料理をするといった日常の身振りを撮影し、ブレッソン同様に顔の特権化をフレーミングによって拒否しながらも、枠取りされた身体、手、足がコントロールされていない自然や時間と出会う官能的な瞬間を記録する。鍋に入れたチョコレートが溶けるまでのワンカットは、コントロールされた手の動きとフォルムの溶解が出会う驚くべきサスペンスの時間に満ちている。

そしてA)『Rooksporen』においては、俳優たち(『ゴダールのマリア』に出演したヨハン・レイゼンら有名俳優もいるが、多くはアマチュアである)が部屋で一人づつキャメラの前に現れ、一人の女についての印象を語り、そして部屋を出て歩み去っていくのをキャメラは移動してしばらく付き従い、最後には見送る。一方ある広い部屋に隣接した部屋のデスクにはある男女がいる。女は一人のスーツを着た男によって詰問されているが、その理由は明らかにされない。この詰問者は、刑事にも判事にも精神科医にも見えるが、その素性は明らかではない。いや、そもそも女について証言する26人の男女も、一人一人がいったいどんな素性の人物か明らかにされない。彼らは皆いかにも「普段着」というしかない特徴のない服を着ており、体型も特徴がなく、職業を特定できないのである。そして女についての証言も、確固としたイメージを結ぶことはない。一方女はクレヨンを使って絵を描いている。COBRAの一人が描いていてもおかしくない類のその絵は、確たるイメージに結びつかず、しかも撮られるたびに違った絵のように見える。彼女は詰問者から「何を描いているのか」と訪ねられると、その度に「水の心」とか「助けの叫び」のように答える。そして一人の証言者は語る、「結局私たちは何を待っているんだ?」と。

『Rooksporen』はリディ・ファン・マリッシングの未上演の戯曲に基づく映画だが、いわゆる裁判を扱う映画のような本当らしさとは一切無縁である。それは一見舞台上演のリハーサルを映像に収めたもののようにさえ見える。実際人々のキャメラに向かっての証言は、クローズアップからロングショットまでさまざまなサイズで撮られている。それらはしばしば女の印象の描写から逸脱し、幻覚にとらえられた一人芝居のようにさえなっていく。だがではこれは単なる演劇の中継なのか?という問いに対しては、否、と答えるしかない。人々が証言し部屋から出て行くという語りと無言の繰り返しが醸し出すリズム、室内から室外へと画面が繋がれるたびに気密性から解放される音の面での反復、そして詰問者と机を囲んで答える女の独白はしだいに加速し、長く、つぶやきに近くさえなる。だがベルイマンなどとは異なり設定も台詞で語られる内容もすべてが全容を掴めないこの映画で、観客は安心して人物に感情移入や自己投影などできるはずがない。さらにジャック・ドワイヨンの映画のように少なくとも「愛について語られている」という安心感すらここにはない(とは言え1980年代のドワイヨンの映画は「上演の映画」を前提とした現代映画としてあらためて論じられるべきである。)。彼らは何者なのかも何について語られているのかもわからない。さらにその画面には過度な美しい構図も照明もない。このように何もかも曖昧で不安定なとき、人は映画によって奏でられる不気味なリズムだけを感じ取る。身振りと台詞と、そして沈黙である。

スタークは「伝記的なディテールと確認可能な逸話なしでは、その人が何者かという問いは決定できないままだ。彼らは現前する存在と/または彼らの言葉の神秘の力で存在するのだ」と言っている。だが歩み去る詰問者がジャンプカットで突如消えてしまう一瞬のように、その現前は自明のものではない。そこでは何の変哲もないイメージがおそろしいほど抽象的で幽霊的でさえあるのに、一方では生々しく強力な力で見るものを捕らえて離さないのである。それらの人々の顔と言葉は『Face Value』の匿名の人々の顔と言葉同様に、まぎれもなくキャメラとマイクがとらえた時間に記録されたものでもある。だが『Rooksporen』では、音楽性は匿名の演じる人々の身体と空間の連続性を通じて観客が真にたどり着くべきものになっている。人は日常的に、それらに最も影響を受けているはずのものでありながら、見えないがゆえに、なんと安易にも現前するものに代替し、それを語ることで事足れりとしてしまっていることか。フランス・ファン・デ・スタークは、自主製作とほとんどミニマムの予算と人数によって、人知れず誰もやったことのないジャンルの映画を黙々と作っていたのだと言える。この凄まじい映画作家の全作品上映をつい夢見てしまうが、現前するものはおろか名前によって人々が容易に操作されてしまっているこの時代に、果たして我々は彼の映画を「発見」することができるのだろうか。

(Manuel Asin氏(La Universitat Pompeu Fabra,Barcelona)に感謝いたします)

(1)New filmkritikの追悼ページにジャン=ピエール・ゴラン、ペーター・ネストラー、ハルーン・ファロッキの言葉、『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』公開時にペドロ・コスタ、ヴァンダ・デュアルテからストローブ夫妻に宛てた手紙等が掲載されている。
http://filmkritik.antville.org/stories/1504543/

またパオロ・ベンヴェヌーティによる追悼が以下で聴ける。
http://www.radio.rai.it/radio3/view.cfm?Q_EV_ID=190686

(2)http://www.atelierfransvandestaak.nl/English/Essays/JvdSen.pdf

(3)http://www.atelierfransvandestaak.nl/English/Essays/Straub.pdf

(4)http://www.filmhuiscavia.nl/index.php?option=com_content&task=view&id=53&Itemid=40

(5)ジャン=ミシェル・フロドンによるインタビュー、 Le Monde, 21 may 2001

(6)http://mir-age.iquebec.com/videos/ent005/face.htm

(7)Liberation, 2 mars 1982

(2006.11.06)


*なおストローブはクーケンの『New Ice Age』(1974)について、「資本主義弾圧とテレビの手段と方法をほとんど使用しているように見えるが、それらを批評的なものに反転させる映画だ。 ブレヒトは、レーニンはビスマルクとは異なることを言っただけでなく、違った言い方で言ったと言っていた。 しかし、これはそれらの方法を使用するという考えに反している。 ヨハン・ファン・デル・コイケン(クーケン)は、人がドグマ的にはなれないことを実践的に証明した。 責任を持って仕事をするとき、人は正反対の方法で非常に遠くまで行くことができる、と。」 https://kinoslang.blogspot.com/2018/05/straub-huillet-talking-jms-jean-marie.html (thanks to Andy Rector)

©Akasaka Daisuke

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