シャルナス・バルタス インタヴュー(1996)+

以下は1996年10月2日にキャピタル東急で行われたシャルナス・バルタスへのインタヴューである。初出(月刊ラティーナ1997年8月号)タイトルは「『フュー・オブ・アス』新しいリトアニア映画の担い手、シャルナス・バルタスの日本公開を期待する」だったが・・・結論から言うと、WOWOWで放映されたが、劇場公開されなかった。映画はソ連時代に強制収容所があったシベリア(映画はいつの時代なのかの設定はない)の雪と氷に覆われた山村にヘリコプターで降ろされた少女(カテリーナ・ゴルベワ、後に『パリ18区、夜』『ポーラX』に出演するが、それ以前はバルタスの三作に出演)と村人(そのうち一人は国際的に活動する日本人ダンサー、秀島実が演じる)の出会いを「一言の台詞も使わずに」凝視する。
東京国際映画祭では翌年も彼を招き、レオス・カラックスが出演した『家』の上映が行われ、上映終了後に配給関係者が彼のもとに集まっているのを見ててっきり公開されるだろうと踏み、再度のインタヴューはその後と考えていたのだが、誤りだった。彼の作品のプロデューサーのパウロ・ブランコと2000年ポルトガル映画祭のパーティーで話した時、モロッコの砂漠での『フリーダム』の撮影について楽しげに語ってくれたことを思い出す。詳細は忘れたが・・・いずれにせよこれは上映すらされなかった。そして昨年2005年に新作『Seven Invisible Men』を発表したが、これも日本では未上映である。2005年10月5日にはリトアニア・ポエティック・ドキュメンタリー映画祭で初めて単独で撮った中編『先日の記念の為』(1990)がヴィデオ上映された。が・・・すでにジョナス・メカスに代わってリトアニアを代表するきわめて独創的な映画作家として世界では回顧展が頻繁に行われているのが周知なのは、日本以外でのことだ。
これは余談なのだが、当時コンタクトをとったソ連の映画作家のほとんどは現在も日本では紹介されていない。昨年やっととりあえずヴィデオ上映されたエフゲニー・ユーフィトとは1995年頃サンクト・ペテルブルグに留学していた日本人の女性を介してFAXのやりとりをしていたし、グルジア(ゲオルギア)を援助していた某財団支部を通じて連絡をとったことがあるアレクサンドル・レクヴィアシヴィリ(パラジャーノフやソクーロフに注目されていた作家で、近年はソ連からイスラエルに移住したユダヤ人たちを描く連作ドキュメンタリーを撮っている。奇しくもそのうち2本はロンムの『野獣たちのバラード』製作に参加したウラジミール・ドミトリエフのプロデュースによるファウンドフッテージ作品である。)にしても、現在新作"Mountanious Racha"を撮っていることはわかっているが、このままだとたぶん未紹介のままだろう。商業市場に委ねることが情報遮断=国際的な知的孤立を招く危険に直面していることにいったいどれほどの日本人が自覚的なのだろうか。
『フュー・オブ・アス』を一度だけ見た後に行われたインタヴュー当時気づいていなかったことだが、『The Corridor』にしろ『家』にしろ、舞台となる場所と登場する貧しい人々の異様なたたずまいや台詞がないこと(よって配給業者を悩ます高額の字幕代など一銭もかからない)に目を奪われがちなバルタスの映画ではあるが、視線や切り返しの編集と動作の連続性については、厳密でむしろ古典的とも言えるほどである。だが彼の映画は視覚誘導的ではまったくない。何処とも言えぬ場所、誰ともわからない人々・・・そこには情報がないからだ。台詞がないことで、我々は他の作品を見ている時は気づかない、映画を成り立たせているディテールによってフィルムを味わうことになる。そしてあまりに豊かなフレーム外に作られた音の世界によっても。『ヴァンダの部屋』のペドロ・コスタについて言われたことは、だからバルタスについてすでに言及されるべき事柄だったのである。彼もまた「聴く」時代を代表する「反情報的な」映画作家なのだ。『家』の上映を映画館の最後方から見ていたとき、何か物音がする度に観客が絶えずそちらを振り向くほど過敏になっている光景に驚かされた記憶は今も生々しい。

-バルタスさんは画家のように空間的なモチーフを持っておられるような気がします。例えば遠景の画面では、奥には山や森がそびえ、手前に空間が広がり、音がそこを満たしている、というふうに。

いや、まず最初に、1時間30分なり2時間なりの間に何かを見せるとすると、その時間を浪費するわけにはいかない、ということがある。とにかく観客に風景なり何なりを見せるとき、その風景はある人には同じでも他の人には違った意味やフィーリングを与えるかも知れないんだ。

-主演のカテリーナ・ゴルベワにはどのように説明されるのですか?

説明するのは好きじゃない。なぜなら・・・特別なルールはない。彼女は非常に繊細な人だし、私が言う前に何をどうすればいいのかを感じている。だから多くを彼女に言わなくてもいい。我々は異なった人間で、異なったシチュエーションにいるとき、私がそれに反応し、彼女がそれに応じる。刻々と違う方法でね。

-そもそも彼女らに役というものを与えているんですか?

だが、そもそも俳優とは何か?誰も答えられないような、神秘的な職業だ。多くの研究や演技を既に行った者でも、何かを表現しようと考えた後でしか演技を始めることはできない。だからその表現は自分の表現ではない可能性の中にあることになる。でも重要で本当に面白いのは「彼という人間」であって、象だのトマトだのを演じる彼ではないんだ。
また職業的でない俳優は2度使うことはできない。彼らは自分のしていることについて考え始め、酷い方向に進んでしまうからだ。ただ一度だけ、自由な状態でいる彼らを使うことができるだけだ。そのときだけ、彼らの中にある何かを撮ることができるんだ。

-台詞がないことが、観客の想像力により強く訴えてくるように思えます。

それも台詞を使わないことの理由の一つではある。もちろん人はそこからより多くのことを感じることができる。明らかなことは、台詞は情報的だということだ。もっとも重要なのは台詞よりも私たちに触れてくるものなんだ。 まず私はカテリーナとこの映画を始めた。アマチュアの人々とカテリーナだけでは映画を撮るのが難しくなってきた時、私の友人が秀島について教えてくれた。彼は沖縄出身で、その顔がシベリアの人に似ていると思えたんだ。

-バルタスさんは1964年生まれですが、ペレストロイカからリトアニア独立の時期にモスクワ映画大学(VGIK)に行っていたんですか?

モスクワに勉強に行く前は独立していない時代だった。ソ連で映画を勉強するための場所はただ一つだけで、他にはなかった。すべてのソ連の映画監督はVGIK卒業だった。それはとても中央集権化されたシステムだった。86年頃私には選択肢はなかった。リトアニア独立は私が4年生のときだった。今はそんな状況は終わっているが。

-今はあなたより若い監督はいるのですか?

何人かいる。これからどうなるのかわからないが、興味深い最初の短編を撮った人はいるよ。逆に私より年上の作家たちはすべて活動をやめてしまった。どうやって金を得たらいいかわからなくなったし、古いシステムの中で活動してきたからだ*。私の最初の映画は最終的に私の金で、その後は合作で作ってきた。リトアニア文化省もいくらか出資してくれたけどね。私の製作会社スタジオ・キネマは私と他の若い作家とスタッフの会社だが、すべての製作資金を出すのは不可能だから。パウロ・ブランコはかつて私の作品『三日』(1991)を配給していた。私のほうは『フュー・オブ・アス』のプロデューサーを探していた。次の映画も彼の製作になる。

-あなたがキャメラを自分で回すのは自分自身の画を得たいからですか?

それはまた違った問題だ。私は普通の撮影監督とは仕事をしたことがない。100%自分でコントロールしている。例えオペレーターがいるときでもね。なぜなら以前の作品でも自分で撮影していた方が上手くいっていたし、簡単だったからだ。私はシーンやフレームやレンズすべてで映画を創造する。キャメラで探究するんだ。

*現在は状況が改善されている。詳しくは
http://www.lfc.lt/en

(2006.3.9)



パウロ・ブランコに話を聞かされてから7年の時が過ぎ、「EUフィルムデーズ』にて『自由』Freedomが上映されるというのでフィルムセンターに行った。

なぜ現在のところ最近作の"Seven Invisible Men"ではないのか、については「リトアニア側の指名がこの映画」ということだが、かえってクロノロジカルに見ることができてこちらには有難かった。

これはバルタスの最も開放された美しい映画、悲歌である。『自由』のストーリーは一言で語れる。密入国者らしき人々(だがその他のバルタスの映画と同様に、いつどこで彼らは誰かなどいっさいわからない)が警察に追われ、海岸と砂漠をさまよっていく、というだけだ。むろんリアルな映画ではなく寓話、何より人々はそれらしくサバイバルしようとしていないし、その理由も明かされない。

砂漠についての映画、『グリード』『三人の名付親』から『ジェリー』までのあらゆる映画を思い出させながらも『自由』がそれらと決定的に違うのは、砂漠を渡る風に打ち寄せる波の音が加わるサウンドだ。モロッコの海岸線で撮影されたこの映画は、船を待つ埠頭の人々から始まり、彼らが巡視船に銃撃され(この遠景だけの2つの画面が見事)、海岸から砂漠への道程を辿っていく。ひたすら圧倒的な波の音にまぎれて、瀕死の男のうめく声が聞こえてくる。やがて砂漠を渡る風の音が海の音に合流する。緩慢なリズムは、人だけではなく蟹やトカゲの這うかすかな動きや時が止まったような家の人々の顔にたかる蠅の音を聴くことをも可能にする。

以前の作品と異なり、台詞は2,3個ある。シベリアの廃村やどことも知れない家に集う人々は、ときに争っていても、互いに孤絶しているだけだった。『自由』の一人の男は、接触を求める。彼がもう一人の男と争うシーンは遠くから撮られるか演出によって波の音にかき消されている。少女もまたそうだ。砂漠の家にたどり着いた少女がそこに住む男に定住許可を求める会話と、「置いていかないで」の一言と遠くから聞こえてくる音楽。その瞬間はおそらく「賭け」だっただろう。

ラストの遠景もまた大いなる「賭け」によって実現されたに違いない。それは悲劇的ではあるが、他者と世界へと開放されているこの映画のすべてが凝集された、素晴らしいショットだ。

(2007.5.21)


©Akasaka Daisuke

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